海竜社・カメリア・マキ・ダークムーン著 あなたを変える魔女のおまじない より |
パーティーや集まりのとき 偶然こぼれた飲み物がドレスにかかったら それは祝福のしるし。 怒らないで許してあげて。 |
スタジオジブリの映画『魔女の宅急便』を小学生の時に観て以来、「魔女」の響きに惹かれるようになりました。似たような「魔法使い」よりも神秘性を感じさせ、それでいて身近な雰囲気を併せ持つのが素敵。もちろん一番の理由は映画のせいで、キキ=魔女=可愛いと植えつけられたせいですが。 如月さんがこの本を買ったのは、そんな魔女好きな理由から。引用はおまじないの内容と効果に由来や発祥が書き添えられている中、幸運を呼ぶおまじないからの一節です。 そもそも、おまじないは自分のエゴから生まれるもので、まず目的ありきで手段は後から考えられるはずでしょう。想い人の夢を見たいという目的に、手段として枕の下に写真を忍ばすように。それに、ほとんどの場合は能動的に自分から行うものであるはず。偶然に頼ってはいつ巡り合えるなんてわかりませんから、おまじないは即効性が命です。 この文章を読んで微笑してしまったのは、不意に巡り合う否定的な現象を後付けで肯定的な解釈に置き換えているところです。祝福される目的ありきなおまじないとしては、手段が偶然に頼らざるを得ず不合理な感じがするものの、それでも今まで伝えられてきたのであれば、その理由はどこにあるのでしょう。 他人の失敗を許容して、己の憤りを抑える心。どれだけ目指していても、そんな聖人君子な存在にはとてもなれそうにないけど。それが自分の祝福をも招くものであれば、幸せ探しの好きな人なら案外簡単なことなのかもしれません。 |
ハヤカワ文庫・新井素子著 ネプチューン Endingより |
ネプチューン。あなたの正行への想いがここまで生物をすすめたなら。海から陸へ出、陸地中くまなくはびこり、空を飛ぶなら。 あたしの正行への想いは、もっと遠くへ行ってみせる。地球を出て、太陽系へ。太陽系を出て、銀河系へ。とりあえず、その次の段。あたしの子供──。 いつか、時間が手を休めるまで、歴史という編物は続くだろう。 |
ハヤカワ文庫『今はもういないあたしへ…』に収録されている、1982年星雲賞日本短篇部門授賞作『ネプチューン』からの引用です。 世界に存在する全ての生物が持つ進化欲求を、凶暴なまでに一途な愛情として表現したり。今までもこれからも重ねられてゆく歴史に、ベストを編む様を介して想いを飛ばしたり。想像するにも一苦労なあまりに大きな比喩に、普段は明日のことを考えるだけで精一杯な心すら深甚とした気持ちにさせられました。 遠くて広くてややこしくて、自分の頭で完璧に理解出来ることなんて1%にも満たないこの世界が。ほんの少しだけ身近になって、なぜだか愛しく思えるようになった文章でした。 あと、如月さんが創作活動を「〜を紡ぐ」と表現するようになったきっかけでもあります。 無から何かを生み出すという一点において創作は、生物の進化や新しい生命の誕生と大差無い、実に貴い行為である気がしてなりません。特に生みの苦しみはその他と程度の差こそあれ、創作には必ず付きまとう要素ですし。人間が創作活動をするのは生物に組み込まれた進化欲求の賜なのかも、なんて言ってみたい訳ですよ。 やっぱりちょっと、大袈裟なんでしょうけど。そのくらい自分の趣味でしていることを、素敵なんだって思い込みたいんですよね。創作の糧として、肯定くらい役に立つものはありません。 |
同朋舎出版 BIRTHDAY BOOK2月28日 星占いより |
選択は2つにひとつ、現実逃避の人生か、それとも人に尽くす献身的な生活か、です。 |
一冊/一日で366日分発売された、誕生日についての本からの一節。それなりに流行ったので贈り贈られ、お持ちの方も多そうですね。 星占いにも色々種類があって。生まれもって授かった性格や才能を星の下で分けるのは、神話や言い伝えがロマンチックだし凄く当たっているので、好きです。逆に、朝のテレビ番組で放送される今日の運勢みたいなのは、根拠が希薄な上に全然当たらないので、いい印象がありません。 こんな自分にとって不利な忠告、他人から言われても「そんな人生は嫌だよ」で終わります。しかし、星占いの形をとって読まされると説得力を感じ、素直に胸へ響いてくるのが不思議です。 捉え方は人それぞれでも。星占いは自己肯定に重要だから今でも語り継がれている、なんて考えるのでありました。 |
アニメ映画 魔女の宅急便 より |
「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神様か誰かがくれた力なんだよね。お蔭で苦労もするけどさ」 |
絵・音楽・文章・踊り・オブジェその他色々と、思想や世界観の表現方法は無数にある中で。どうして自分がその方法を選んだのか思考が立ち止まってしまう時に、再び足を踏み出す力になってくれる台詞。 芸術分野以外、例えば職業なりスポーツなりにも言い換えられます。特に多種多用な競技が混在するオリンピックを見ていると「この人はどうしてこんなマイナーな種目を選んだのかな」なんて思うのは、如月さんだけではありますまい。その疑問の解答を導き出すのに、これ以上の答はありません。役割を与えられた血、なんですものね。 何の縁か自分に受け継がれてきた血の記憶は、途方もない可能性を授けると同時に。八方塞がりのしがらみを与えて己を捉えて離してくれません。だから自分の秘められた可能性を知るためには、どこかで妥協して。そんな血と上手に付き合っていかなければならないのだと思います。 自分は物書きの血、だったら良いなと。 |
富士見ファンタジア文庫・小林めぐみ著 ねこのめ3 六分儀の未来より |
だが、子供というものは大人たちが信じているほどバカではない。 大人は子供時代、自分がどれだけ頭が良かったのかを忘れている。そっちの方がよっぽどバカだ。 |
猫型生体機械ジゼルを取り巻く物語を描いたSFファンタジー『ねこのめ』における、騒動の中心人物である男性キャラ──アスラの幼少期の独白。 いわゆる子どもの立場である時分にこう考えていた人は、そこそこいるのではないでしょうか。如月さんもそんな一人で心底共感、初めてこの文章を目にした時には「よく言ってくれた」と思ったものです。ただ、大人になってもこの考え方を維持する人はそういないはず。 なぜなら、子どもと論戦を交える際に「子どもには理解出来ない」と言う常套文句が使えなくなってしまうから。反論を許さない必勝のセリフ、小生意気なお子様がいれば使ってやり困らせてみたく思います。拒否権並に強い伝家の宝刀、むざむざ大人の特権を捨てる必要がどこにあるのでしょう。 だけどその時。ここで上げたアスラのように、軽蔑と憐憫の眼差しに晒されても自業自得以外の何物でもなく。そして多くの場合、子どもは自分の記憶以上に聡明で観察眼に優れていてこんな風に思われているという事実を、この台詞が現してくれているような気がします。願わくばこんな独白を、誰からも吐かれませんように。 引用元の『ねこのめ』は、彼女の中にしか存在しえない世界観と倫理観、そして極めて洗練された言語感覚が支配する素敵な物語なので、復刊ドットコムで高いお金を払ってでも読んで欲しい貴重な作品です。 いつもナツメの為に必死なジゼルがついつい愛しくなってしまうこと、請け合い。 |
pal@pop公式サイト pal@pop 掲示板より |
詩はけっこう時間かけてゆっくり作るんです。一日一行のためにぼーっとベットに横になってたりします。それはもう「作る」というよりは、静かな湖に釣り糸を垂れているような感覚で、いるのかいないのかも分からない魚が掛かるのをひたすら待ちつづける訳です。 |
掲示板にて頂いたお返事。一つ一つ書き込みに全てご本人が返事を付けているとはいえ、このような創作に対する姿勢の言葉が頂けるなんて思いもしませんでした。書き込んでヨカッタネ。 根気なく飽きっぽい如月さん、この方法だといつまでも掛からない魚に愛想を尽かしてしまいそう。作品は一生懸命「作ろう」としないと大抵、何も思い浮かんできません。悲しいかな、持って生まれた才能や育て上げられた感性の差を嘆きます。 でも、考えに考えて無理やり出来た文章より。ふと頭に浮かんでくれたフレーズやイメージを自由に膨らました文章の方が、何倍もいい響きだったりするのが悔しいですね。 あれだけ苦労してこの出来はなんぢゃいと、消しゴムでなかったことにしてしまうこと数々。消し消し。そして消したのを後悔するの繰り返し。たくさんの想いがそうして死んでゆきました。 |
ルーマニア#203 セラニポージ サウンドコレクションより |
セラニポージは空想が好きな女の子。頭の中でいろんなことを考えているのだけど口下手でうまくしゃべれないしそんなタイミングもない。歌にすると他人にその考えを伝えられるようになれるのが不思議。内容はなにもかもが空想で本物は何もない。彼女の写真はなくてあるのはアーティストイメージだけ。彼女の歌声を聞く、それぞれの人の頭の中で、いろんなセラニポージが生まれる。 |
通称『セラニ』は、ゲーム内に登場する架空のアーティスト。想像のキャラクターながらCDは実際に発売されていて、グルビ製のジャケットが目印です。そして、この紹介文が自分の作詞をする動機にぴったりとはいかなくてもかなり近くて、妙に親近感。 自分の感情だったり主張だったり体験だったりを文章化して表現するのが一般的な歌詞の作り方ですが、如月さんの場合は心の中にある空想世界を現実世界で体感出来るよう文章化した作品が大多数を占めることを、少し気にしていたらこの紹介に出会えてほっとしました。だから内容が本物だとは限りませんし、嘘や偽物もそこかしこにいっぱい潜んでいます。 作品に込めた多様な主義主張は、本人のソレと明らかな食い違いを見付けても見て見ぬ振りをして下さい。 |
富士見ファンタジア文庫・五代ゆう著 機械じかけの神々 上巻巻頭より |
この世でいちばん大きな、ただひとつの勇気 それは世界をありのままに見ること そして、それを愛すること |
下巻のあとがきから正確な引用元を記すと、ロマン・ロラン『ミケランジェロの生涯』(岩波文庫)序文とのことですが、残念ながら未読。情景と心理の描写にかけては恐ろしいくらいの執着で美しい文章を紡ぐ五代さんが「この文章に恥じないような、上等な作品が書けてればいいのだけどなあ」と仰られているのだから、きっと素晴らしい表現が溢れているのでしょう。 暗い出来事や凄惨な事件、醜い欲望や理不尽な不幸が絶えず渦巻くこの世の中で。そんな世界を直視し、許容し、尚かつ愛せるくらい大きくて強い勇気を持てる日が、いつかくればいいなと思います。そうありたいと思います。とは言え、まだまだ弱いままの自分なので。今のところは、文章や作品にこの想いを込めることしか出来ていませんけど。 「一番好きな文章は?」と訊かれたら迷わずこの一節を挙げるくらい、自分に表現すべき事柄の骨子を与えられました。もちろん『機械じかけの神々』自体もこの引用句を象徴にした素晴らしい物語で、初めて読んで以来長く愛して続けています。 そんな訳で、新作を早く読みたいんですけど。アンソロジーの短編を除くと最新刊は『<骨牌使い>の鏡』で、2000年2月の発刊。また5年待たされる予感がぎゅんぎゅんします。 |