| ■関ヶ原 前田家利長リプレイ | |
| 大名:D 戦力:C 配下:E 地利:B 難易度:上級 ●戦力 ・石高88 兵力62 所持金 ─ 東軍の数多の外様大名で最高の石高を誇り、現場で初手謀反から進行可能な攻略手順を擁し、寿命や百姓一揆で理不尽に足を掬われもしない屈指の有力勢力。しかし、武将数と兵力が平凡止まりで難易度判定は中級に至らず、伊達家や上杉家より格段に難しいのが現実でもある。 ●武将 ・前田利長 軍事15 政治 5 魅力10 士気16 忠義19 ・高山重友 軍事12 政治10 魅力 6 士気 5 忠義15 ・太田長知 軍事10 政治 2 魅力 4 士気17 忠義10 大名の軍事と士気が高めだし、配下が2人もいるし、この初期陣容で愚痴るのは贅沢だとの見解も、本作の全部の弱小大名で辛酸を舐めてきた今なら僅かに。それは錯覚で正気に戻って客観的に見れば、苦しいお家事情なのは認める。 ●外交 西軍と同盟して東軍領を掠め取ってゆくのが、初見での最善策。しかし、珍しくも両雄への直接的な影響力を持っての開始なのだから、それを利用して旗幟を鮮明にせずに天下統一へ達したいのが人情ではないか。東西の両者に加担せず、目指すは第三勢力化だ。 以下、リロードと開幕最善手追求を禁止で進行。無謀か否か、自分でも半信半疑である。 | |
| ■1600年 春〜1601年 春 |
| 富山城(越中)で謀反。石高59・武将3・兵力73の泡沫勢力が、北陸地方は越中国に誕生した。石高が減少とは言え、お隣の金沢城(加賀)が空城なのは当家にとって生命線で、ここが埋まっていたら初手謀反は考えられず、開発者も絶妙なゲームバランスを施してくれたものだ。本シナリオにおいて、東日本のいつ終わるかも知れぬ放浪をしなくて構わないのは、大名選択の時の葛藤が薄れて望ましい。 当家の誕生とは無関係に西軍の七尾城(能登)が孤立しているが、城レベル38・武将1・兵力40と守りは固い。さりとて、何もせずに金沢城へ逃げ込まれては孤立状態が解消されてしまう為、強引なのを承知で野戦に挑む。利長の軍事と配下の隣接支援効果を拠り所にちくちくと突けば、幸運にも城主の首を討ち取れて、後の兵糧攻めと徴兵の両立が確定した。 |
| ■1601年 夏〜1602年 春 |
| 七尾城の陥落で石高79・兵力108に。次は東軍の後手を取れたので、春日山城(越後)へ。こちらは無人と言えど城レベル42でやはり手強く、突破口を開けずに東軍の遊軍に見咎められた。 |
| ■1602年 夏〜冬 |
| 武将3・兵力120の全戦力を最前線の魚津城(越中)に集めて東軍を刺激すれば、遊軍は武将5・兵力98と先の半分程の規模に萎んでくれ、武将獲得の好機到来。しかし、間合いの見誤りにより敵大将の騎馬大戦果が高山重友にぶっ刺さり、兵力40→2と致命傷を受けてしまう。太田長知が透かさず救援に回って彼を安全圏に入れ、前田利長も勝利決定権を放って雑魚どもを駆逐したのは良い働きながら、現時点で既に5人中3人を討ち取ったのは力の入れ過ぎで、武将増員は遠のいたし損害も大きい。 |
| ■1603年 春〜夏 |
| 兵力は倍の79まで回復し、春日山城の城レベルは12まで下がり、全戦力を集結させれば力攻めで落とせる。そんな目論見を見透かしたかのように、東軍の超大軍が来襲。ただ、行動順で先手となり能登国に籠って休戦成立に一縷の望みを託せば、祈りが通じて総撤退してくれた。 |
| ■1603年 秋〜冬 |
| 行動順が最後で隣接する城と周囲は無人、つまりは空城攻めの時間だ。三度目の正直となる春日山城の他、大聖寺城(加賀)にも出陣した。 |
| ■1604年 春〜冬 |
| 春と夏は順番運が悪く、城攻めを放棄してまた能登国に籠ってやり過ごした。秋は西軍の後手を取れ、大聖寺城に安全侵攻して落城させた。冬は雪遊びに興じた。 |
| ■1605年 春 |
| 開始から5年経過した前田家利長及び各地の情勢。 ●戦力 ・石高94 兵力129 所持金16845 小幅な成長の兆しは見えつつあるが、越後国と越中国の一進一退に時間を割き過ぎ、速度勝負の本シナリオでは痛打。最初から城レベルの低い逆方面に向き、加賀国統一を優先すべきだったか。それはそれで中央の大激戦に己から近付くのと同義で、結局は総花的になって落胆していそうでもある。 ●武将 ・前田利長 知行31 兵数40 忠義 ─ ・高山重友 知行21 兵数40 忠義25 ・太田長知 知行21 兵数40 忠義25 ・前田利常 知行21 兵数 9 忠義21 待望の初増員は1605年元服の前田利常(軍11政15魅16)で、能力も申し分無くて百人力。石高に対しての武将数は適応しているが、太田長知が数年後に天寿を全うするのは覚えておかなければ。 ●大名家 ・徳川家 石高 800 兵力1044 敵対:前田家利長 豊臣 ・豊臣家 石高1204 兵力1289 敵対:徳川 5年も経てば情勢はどちらかに傾きがちなのに、今回は未だ互角に渡り合ってくれており、当家にとっては朗報。主戦場が甲信地方や東海地方なのも、空城攻めしたい土地から離れているので、戦火に巻き込まれにくい配置を作ってくれるだろう。この均衡がいつまでも崩れませんように。 北庄城(越前)に西軍の大軍が待機した為、大聖寺城は素直にお返しする。その代わりに改めて春日山城に進軍、力攻め込みで待望の落城。また、北庄城の大軍は南下したらしく、大聖寺城は現状維持で持ち堪えた。 |
| ■1605年 夏〜冬 |
| 春日山城は今後の重要拠点になりそうだと、城レベル21まで普請。また、海津城(信濃)に東軍の武将8・兵力48が閉じ込められているのを確認したが早いか、即決で包囲に。この時、天神山城(越後)と栃尾城(越後)から武将1・兵力40の東軍に牽制されており、今プレイで初めての先攻めで凌いだ。 秋を迎え、海津城に西軍が雪崩れ込む恐れが生じ、全兵力を投入して防護壁としたにも拘らず、一割と言う僅かな兵力差なのに侵攻を食い止められない。ただ、当家が行動順で幸運を掴んで落城が優先となり、本庄繁長(軍16政11魅11)・大久保長安(軍1政18魅5)・酒井家次(軍6政6魅12)・石川忠房(軍4政1魅8)・分部光信(軍8政2魅5)を一挙に獲得出来て、大満足な釣果だ。早速、浮気者だけど有能な本庄繁長を重臣に抜擢し、知行と褒美を奮発しておく。 |
| ■1606年 春 |
| 東軍は武将6・兵力166と武将13・兵力130で、西軍は武将13・兵力254で、重要拠点を貫かんと意気揚々。先攻めでは失敗時の退却した軍団が敵兵力を誘引してしまうので、春日山城はもう成り行きに任せようと全軍団を引き上げ、北庄城に侵攻した。こちら側は安普請の城が多い他、両雄の争いと絡まないのが良い。春日山城は悪しくも西軍→東軍と囲まれ、城レベル21なのに1ターンで沈黙。 |
| ■1606年 夏〜1607年 春 |
| 夏は先手で休戦を狙い、秋は先手で何も出来ず、冬は雪に埋もれ、春は先手で何も出来ず。 |
| ■1607年 夏〜冬 |
| 唐突に魚津城を襲ってきた、東軍の武将1・兵力40を排除。小浜城(越前)・小谷城(北近江)に空城攻め。我が軍も唐突に春日山城奪還作戦を決行し、東軍の武将2・兵力44を排斥。そして、ここまでなかなかうだつの上がらない当家を律儀に支えてくれた、太田長知が天寿を全う。彼がいなければ難易度の大幅向上は間違い無く、例え評価が凡人でも実に貴重な逸材だった。尚、石川忠房も捨て駒としての役割を果たし、一足早く没している。 |
| ■1608年 春〜秋 |
| 東西戦は甲信地方で長々と拮抗しており、どちらも兵力四桁を下回りつつも大量滅亡を起こさない。当家はまだ兵力200を超えたばかりなので局地的な抵抗すら難しいが、本シナリオの8年経過でどの勢力も肥大化しないのは希少だし、この機会を逃したくないとの実感が湧いてきた。即ち、本プレイでノーリロードでクリアの実績を絶対に積みたい。 空城攻めの時間が到来し、田辺城(丹後)・長浜城(北近江)・坂本城(山城)と広範囲に攻めてゆく。夢は伊勢の海まで到達し、西軍を西日本から隔絶してしまうこと。この動きは流石に察知されて反撃を受けてしまうも、長期的な戦略として念頭に。 |
| ■1608年 冬 |
| 坂本城における比叡山の戦いは、武将6・兵力221の我が軍に、西軍の武将12・兵力329が先んじて躍り掛かったものである。失うものが少ないので大人しく後退しても構わなかったが、我が軍が比叡山に篭居して様子を窺っている内、敵軍のやや低い士気と無駄に多い武将を突けばと判断したのが賢明で、見事に逆転勝利。この負け戦により、西軍は一時的に兵力500を割った。 |
| ■1609年 春〜冬 |
| 手番を取れた為、山中での劇的勝利の代償を支払うべく、能登国に全武将集合して休息。この間に思う存分、両雄には潰し合って欲しいと心遣いを見せれば、坂本城に空城攻めを受けた。なんと卑劣な。 |
| ■1610年 春〜秋 |
| 開始から10年経過した前田家利長及び各地の情勢。 ●戦力 ・石高215 兵力312 所持金125 行動順にあまり恵まれず、空城攻めしても取って取られての繰り返しで、なかなか成長の軌道に乗れない。褒美代が物入りで金詰まりなのも厳しいが、越前国・北近江国と支配地域が徐々に伸びてはいるので、今は焦らずに忍耐か。 ●武将 ・前田利長 知行47 兵数40 忠義 ─ ・高山重友 知行21 兵数40 忠義25 ・織田信雄 知行21 兵数37 忠義22 ・前田利常 知行21 兵数40 忠義22 分部光信 知行21 兵数40 忠義25 石田重家 知行21 兵数 7 忠義21 ・本庄繁長 知行21 兵数33 忠義21 大久保長安 知行21 兵数35 忠義22 ・酒井家次 知行21 兵数40 忠義22 兵力の集中は教科書通りに出来ている反面、大名直轄領に余裕が出なくて武将数を増やせない。ただ、これでも困っていない理由を後述。 ●大名家 ・徳川家 石高 606 兵力680 敵対:豊臣 ・豊臣家 石高1286 兵力543 敵対:前田家利長 徳川 両家の数字を見れば歴然で、原因不明で当家に対して兵力で圧倒出来ておらず、共倒れの様相。5年前より石高を激減されられた方が兵力差を覆しているのは、本作でなかなか生じない光景だろう。当家は両家とほとんど交流していないし、滅亡情報も散発的にしか表示されないから、どこで何が起きているのやら。おまけに、まだ代替わりも発生していない。 西軍の葉武者を蹴散せば、自領の最南端は水口城(南近江)から桑名城(伊勢)へ通じ、暫定ながら夢は案外簡単に叶った。現状を死守すれば西軍は西日本へ戻れないから、実り豊かな近畿地方を荒らし放題だし、東軍と共闘して西軍を圧死まで追い込める。その反動で東方面が手薄どころか無人になり、春日山城を奪われたのは必要経費。 |
| ■1610年 冬〜1611年 春 |
| 手広い空城攻めと、手頃な敵兵力の全滅の掛け持ち。前述のように兵力の集中を徹底出来ている分、攻撃力に最大限に還元可能なので野戦は造作無い。振り返れば、当初の成長の鈍さが責任ある積極徴兵に繋がっており、何がどう転ぶかわからないものだ。自領は瞬く間に膨張してゆき、西軍の兵力は150まで下落した。 |
| ■1611年 夏〜冬 |
| 西軍の衰退と反比例し、東軍の兵力は800まで持ち直しており、前者の滅亡よりも後者の弱体を進めたい。手始めに那古野城(尾張)を悠々と囲む武将5・兵力134に、武将10・兵力277で横槍を入れて丁重に料理しておいた。その後は行動順で先手を取ったのを踏まえ、軍勢を反転させて近畿地方の無血平定に全力を注ぐ。 あと、上杉家滅亡の報が冬に届いて、まだ健在かと驚いた。東日本の西軍は佐竹家が早々に東軍へ靡いたのに、凄まじい生存力に脱帽。当家が天下統一を果たせたなら、彼らが影の立役者なのかもしれない。 |
| ■1612年 春〜秋 |
| 物産豊饒な和泉国・大和国を掌握し、もうお腹いっぱいと言ったところで、配下たちへの加増も捗る。東軍の戦力削りも順調で、武将3・兵力111と武将1・兵力40が刃に伏した。西軍に対しては退却されても構わないので大軍を用いるが、武将1・兵力40と武将2・兵力80は正々堂々と自爆し、東軍に捕われた軍団も複数あり、総戦力は武将6・兵力81まで急降下。ここまで零落すれば問答無用で押し潰すだけな反面、一望千里な西日本の西軍領からの百姓一揆勃発が怖い。 |
| ■1612年 冬 |
| そんな不安を帳消しにしてくれたのが、我らが宿敵。家督相続が起きずに東西決戦の決着とは、今回は複数の不可思議な体験をしている。 ・豊臣家が滅亡しました。 |
| ■1613年 春〜秋 |
| 西軍の雄大な遺領の大半を接収して当家は、石高1285・武将13・兵力420で天下を二分する、巨大勢力に変貌した。ただ、東軍と比較すれば石高857・武将29・兵力845と、正面対決での不利は否めない。丁寧に各個撃破して緊張感を維持するのも本作の醍醐味だが、今回は必殺の退路遮断で一網打尽を狙おう。那古野城を明け渡し、清州城(尾張)を普請し、堅城を包囲させて那古野城を封鎖すれば暗々裏に罠の完成だ。小牧城(尾張)が侵攻拠点になり、侵攻の順番が那古野城→清州城なら一手詰めの絶好機…とはならず、清州城は落城の憂いに。 尚、小事を書いておけば、兵力差のせいで各地に少数で攻められ、どこも即座に討ち取ってはいる。 |
| ■1613年 冬 |
| 天下統一を間近に控えた前田家利長の状況。 ●戦力 ・石高1203 兵力401 所持金65251 退路遮断には野戦の勝利が当然ながら不可欠で、敵大将は軍事と士気の高い徳川家康なのが確定しており、兵力差は倍もある。数値だけを見れば、思惑通りの急転直下とはならない恐れも少々。 ●武将 ・前田利長 知行761 兵数40 忠義 ─ 石田重成 知行 0 兵数 1 忠義15 ・高山重友 知行 48 兵数40 忠義25 繁沢元氏 知行 48 兵数39 忠義25 ・織田信雄 知行 51 兵数40 忠義21 松浦重政 知行 0 兵数 1 忠義22 ・前田利常 知行 48 兵数40 忠義23 分部光信 知行 48 兵数40 忠義25 石田重家 知行 48 兵数40 忠義21 ・本庄繁長 知行 51 兵数40 忠義20 ・酒井家次 知行 48 兵数40 忠義22 ・糟屋武則 知行 51 兵数40 忠義23 精鋭とも忠義者とも言い難い面子だとしても、本シナリオではどんな人材でも足手纏いにはならず、生きているだけで偉い。そんな中、大久保長安が天下統一直前に逝ってしまい、若干の虚脱感を覚える。これが序盤にもたついた1ターンの重みだ。 今度は乾坤一擲の丁半博打で当方に軍配が上がり、一手詰めの権利を収得。ここで後手を踏んで尾張国で狼藉を働かされたら収拾を付けるのが非常に面倒な為、心から安堵した。野戦では大将がやや後方となる偃月右の陣で対応され、安直な大将集中攻撃の勝ち筋は見えなかったが、捨て駒による誘導で何とか群れから出てきてもらえて、危険な場面は生じず。頂上決戦の癖に盛り上がりが全然無いのは、題材の特異性を踏まえてご勘弁願いたい。 ・徳川家が滅亡しました。 1613年 冬 前田利長は天下人となった。 |
| ■あとがき |
| 「関ヶ原」の新しいリプレイを12年振りに書こうと、ノーリロードを達成出来そうな大名探しで毛利家と共に浮上したのが、この前田家利長。自ら望んで二重の足枷を嵌めた甲斐あり、楽勝と嘯いても過言では無い好都合な難度となり、所要時間も130分の速攻でした。当家の動向なんて無関係に、数年で両雄が肥大化して呑み込まれてがお約束な中、こんなにも再現性が皆無そうな展開に恵まれて驚きです。 そうは言っても、本プレイに至るまで20回は挑戦失敗を繰り返しており、苦渋は十分に舐めてはいます。筆者が関知しないところで一体どんな処理が起きていたのか、セーブデータを小まめに残していれば感想戦風に振り返れましたが、リロード禁止に就き再観察不可能なのは少し残念かも。本文から読み取れるのは、上杉家が東軍を長期に攪乱していたらしいことくらいでしょう。ありがとう、上杉景勝。 |