| ■群雄割拠 三好家リプレイ | |
| 大名:D 戦力:C 配下:D 地利:D 難易度:上級 ●戦力 ・石高34 兵力55 水軍力2 所持金1700 本シナリオにおいて上位の戦力で、説明書にも名立たる大名家と共に中級者向けに分類されているにも拘らず、CPU担当時に領地拡大する姿はほとんど見られない。武将の顔グラフィックや大名選択画面の表示に誤りがあったり、水軍力2は0と近似だったりは、開発者が調整に手こずった痕跡だろうか。 ●武将 ・三好長慶 軍事 9 政治14 魅力11 士気18 忠義 ─ ・三好康長 軍事 8 政治 5 魅力12 士気21 忠義 5 三好政勝 軍事 9 政治 5 魅力 7 士気 ─ 忠義 5 ・岩成友通 軍事10 政治 2 魅力11 士気12 忠義 8 ・三好長逸 軍事11 政治12 魅力 9 士気 8 忠義 6 ・安宅冬康 軍事10 政治 6 魅力11 士気12 忠義 8 ・三好義賢 軍事13 政治 8 魅力 7 士気13 忠義 7 ・十河一存 軍事15 政治 5 魅力13 士気12 忠義 9 大名を始め一族郎党、悪目立ちしない程度の平均的な才能が必要以上に集まり、普通に戦う分には困らないと思わせて、忠義が全員一桁なのは笑えない。序盤は褒美なんて払えないので、いつどこで誰がどのように寝返るか、イベントフェイズの緊張感は堪らないものが。能力が及第点の三好長慶が早逝するのも困りもので、元服武将が多数な件で何とか折り合いを付けよう。 ●外交 同盟による安全確保とは無縁な反面、「城レベル>兵数」の法則が多方面で成立しており、自領の守りは存外に固い。それが地利とあまり結び付かないのが当家の泣き所で、恵まれていても実感は湧かないだろう。 リロードは禁止で構わなさそうだけど、本シナリオの名物である今川家の膨張への対応に自信が持てず、同盟は容認としました。 | |
| ■1555年 春〜秋 |
| 「最初の天下人」や「畿内の覇者」と巷の二つ名はとても誇らしいのに、本作のゲームシステムでは歴史上の実力を反映出来ず、数多の中堅勢力と同程度の存在感しかない三好家。プレイヤーの介入をもってしても変わらず、身の丈に合った戦略を取らねば未来は描けない。 弱小勢力の終わりなき小競り合いの場――鳥無き島で蝙蝠を気取っても爽快だろうが、実入りが少ない上に中国・九州地方からの侵略者を自ら呼び込んでしまう為、感情より実利を優先して逆方面を見よう。好都合なことに、石高の美味しい大和国の支配者が武将数が足りていない松永家で、今にも防御が手薄になりそうだ。多度津城(讃岐)と堺城(和泉)の二手に分かれて自領の守備も疎かにせず、松永家の動向を注視した。 ・富樫家が滅亡しました。 ・宇都宮家長房が滅亡しました。 ・千葉家が滅亡しました。 ・沼田家が滅亡しました。 ・赤松家が滅亡しました。 ・扇谷上杉家が滅亡しました。 ・長野家が滅亡しました。 |
| ■1555年 冬 |
| 松永家が伊勢国に本気の進軍を始めたのを確認し、紀伊国の鈴木家・畠山家高政を尻目に、予定調和で信貴山城(大和)へ躍り掛かる。武将1・兵力23の敵軍に対し、こちらが調達出来たのは寄せ集めの武将5・兵力36で心許ないが、待ちの姿勢を見せても力関係は悪化の一方だし、大出血も厭わぬ攻勢で細川藤賢を討ち取った。彼に籠城されては戦法「一時撤退」が不可能なので、大きな節目だ。 ・宇都宮家広綱が滅亡しました。 ・水野家が滅亡しました。 ・小山家が滅亡しました。 |
| ■1556年 春〜夏 |
| 未だ兵力51に過ぎない当家は讃岐国の防衛と、安濃津城(伊勢)を落とした松永軍の武将1・兵力40の堰止めを両天秤に掛けられず、不本意ながら前者を放棄する。この苦しい台所事情を見逃してくれないのが河野家通政で、当家の四国地方への影響力は大幅に低下してしまった。 |
| ■1556年 秋〜1557年 夏 |
| 信貴山城を落とせず、多度津城を落とされ、本作では禁忌の「開始時より状況悪化」で、大名直轄領は石高1まで圧縮。秋の終わりに待望の信貴山城を手中に収めても、石高9までしか上がらない。これは多聞山城(大和)が無傷で豪華なままなのが原因なので、今は地道な空城攻めで辛抱だ。結果的には、ありがたくも細川家が加勢してくれて、一季節早く落城を迎えた。 ・小田家が滅亡しました。 ・北畠家が滅亡しました。 ・肝付家が滅亡しました。 ・織田家信長が滅亡しました。 ・織田家信行が滅亡しました。 ・山内上杉家が滅亡しました。 ・織田家信広が滅亡しました。 ・相良家が滅亡しました。 ・遠山家が滅亡しました。 ・椎名家が滅亡しました。 ・北条家が滅亡しました。 ・神保家が滅亡しました。 |
| ■1557年 秋〜冬 |
| 大和国の掌握と近畿地方の豊作により、当家が石高59・兵力63に成長したのは喜ばしいが、騎虎の勢いで僅か数万石の価値しかない勝龍寺城(山城)まで突っ走ってしまったのは、明らかに失策。松永家が主力を当家に向けていないのだから率直に伊勢国を狙うべきで、幸いにも野戦の開幕と同時に自分の落ち度に気付き、退却している。 ・河野家通存が滅亡しました。 ・伊東家が滅亡しました。 ・尼子家が滅亡しました。 ・外様大名の木曽家が滅亡しました。 ・飯富虎昌が武田家の家督を相続します。 |
| ■1558年 春〜秋 |
| 警戒心の不十分な安濃津城に大軍を雪崩れ込ませ、伊勢国での主導権を握って意気揚々になった途端、近畿地方に飢饉が発生して意気消沈。更に、桑名城(伊勢)にて総戦力が約3倍の今川家と接敵し、当家は意図せずに虎の尾を踏んでいた。唯一の救いは、現状の東日本の覇者が石高195・兵力288の上杉家で、いつもの西進一辺倒な今川家ではなく、勝機はありそうだ。 ・足利家義輝が滅亡しました。 ・立花道雪が大友家の家督を相続します。 ・河野家海岸が滅亡しました。 ・長宗我部家が滅亡しました。 ・畠山家義綱が滅亡しました。 |
| ■1558年 冬 |
| 最前線に今川義元が率いる武将6・兵力85が現れ、彼の低い士気を突けば楽勝だろうと全戦力の武将8・兵力115を長島城(伊勢)に突撃させたら、士気が56もあって見込み違いも甚だしい。緊迫の情勢の中、もう伸るか反るかの大博打に出て全滅を狙い、消耗戦の末に兵力を36まで激減させてしまった。 ・河合家が滅亡しました。 ・外様大名の足利家晴氏が滅亡しました。 ・佐竹家が滅亡しました。 ・六角家が滅亡しました。 |
| ■1559年 春〜秋 |
| 讃岐国を敢えて捨てたり、飢饉が直撃したり、破れかぶれで大怪我を負ったりの辛苦を乗り越え、長島城の陥落で当家の石高が三桁に届いた。今後は上杉家の成長を妨害してもらう為に旧今川家とは和睦し、北陸地方から上洛せんと近畿地方にのさばる朝倉家を標的としよう。そんな私利私欲塗れの戦略を練っていると、太原雪斎の寿命が珍しくも前倒しされて目が点に。旧今川家は重鎮を失って、上杉家の相手が務まるだろうか。 ・筑紫家が滅亡しました。 ・太原雪斎が今川家の家督を相続します。 ・宇都宮家豊綱が滅亡しました。 ・一条家が滅亡しました。 ・波多野宗高が波多野家の家督を相続します。 ・蘆田家が滅亡しました。 ・太原雪斎が享年64、岡部元信が家督を相続します。 ・小野寺景道が伊達家の家督を相続します。 ・延暦寺家が滅亡しました。 ・外様大名の浅井家が滅亡しました。 |
| ■1559年 冬 |
| 南近江国と北近江国で朝倉家との戦いに興じていると、唐突に多聞山城へ闖入者との連絡が入り、松永家に奪われていた。己が視野の狭さを反省し、改めて自領の阿波国や敵領の紀伊国を観察しておく。 |
| ■1560年 春〜夏 |
| 開始から5年経過した三好家及び各地の情勢。 ●戦力 ・石高100 兵力142 水軍力2 所持金72 序盤は恵まれぬ環境に泣き言を漏らしていたが、伊勢国に出陣してからは領地拡大が快調で、自然の成り行きで他家との折り合いも付いており、北上して朝倉家を押し返す選択肢しか良い意味で無い。 ●武将 ・三好長慶 知行17 兵数35 忠義 ─ ・雨森弥兵衛 知行 1 兵数 2 忠義19 ・岩成友通 知行 2 兵数 3 忠義 1 ・三好長逸 知行 4 兵数 1 忠義 1 ・安宅冬康 知行21 兵数17 忠義24 ・三好義賢 知行21 兵数40 忠義18 ・十河一存 知行21 兵数33 忠義23 内藤信成 知行 0 兵数 1 忠義19 ・三好政勝 知行12 兵数11 忠義18 昨冬に捨て駒として勇敢に戦死した三好康長を含め、忠義1の三人組が当家に強い不満を持ちつつも身を尽くしてくれているのが、何だか愛おしい。それ以外には適宜に褒美を与えての結果だが、予測よりは維持費が掛かっていない。尚、大名直轄領が21万石を割っているのは、多聞山城の件に因る一時的なもの。 ●大名家 ・岡部家 石高182 兵力256 敵対: ─ ・上杉家 石高305 兵力461 敵対: ─ ・朝倉家 石高159 兵力184 敵対:三好 ・毛利家 石高105 兵力 81 敵対: ─ ・島津家 石高138 兵力159 敵対: ─ 各地で名乗りを上げた有力勢力同士が、まだ雑魚の処理に手間取っていて直接交戦はしていない、貴重な光景。裏を返せば、本来の弱小勢力が意地を見せてお家存続に奔走中で、石高73・兵力40の三村家がその筆頭である。絶好調の上杉家が岡部家・朝倉家と休戦して肥大化傾向なのは、遠くない将来に東西から挟まれる位置取りの当家には気掛かりだ。 多聞山城を取り戻しつつ、我が軍の最先端は小谷城(北近江)へ。朝倉軍は士気が低い為、次々に蹴散らしてゆける。あと、何処からか天野景貫(軍12政5魅4)が寝返ってきて、能力は平凡でも兵力31のお土産が嬉しい。 ・山名家が滅亡しました。 ・斎藤家が滅亡しました。 ・龍造寺家が滅亡しました。 ・里見家が滅亡しました。 |
| ■1560年 秋〜冬 |
| 岩成友通が、朝倉義景に寝返りました。 三好義興(軍8政8魅10)の元服で武将過多な印象を持った瞬間の出来事で、遂に1人目が愛想を尽かしてくれたと感動。内輪揉めが起きなければ、三好家を選んだ甲斐が無い。また、阿波国を間接的に守ってくれていた安芸家が我らが軍門に下ってきて、今までの友好関係を踏まえて受け入れたが、包囲軍が宇喜多家の武将6・兵力66と存外に強く、見捨てよう。・外様大名の麻生家が滅亡しました。 ・立花家が滅亡しました。 ・外様大名の安芸家が滅亡しました。 ・最上家が滅亡しました。 ・陶家が滅亡しました。 |
| ■1561年 春 |
| 真柄直隆が謀反を起こし挙兵しました。 前者は小浜城(越前)、後者は勢多城(南近江)。これは深謀遠慮の内でわざと両者を攻めずに傍観していたのだが、まさか連鎖してくれるとは。石高53・武将3・兵力81の大量加算で、朝倉家との力関係は労せずに逆転した。岩成友通の胸中や如何に。真柄直隆が三好長慶の軍門に下りました。 海北綱親が謀反を起こし挙兵しました。 海北綱親が三好長慶の軍門に下りました。 ・松浦家が滅亡しました。 |
| ■1561年 夏〜秋 |
| 上杉家が東日本で石高400を超えてしまい、畠山家高政・鈴木家・秋月家・宇喜多家・細川家・有馬家・浦上家と、各地方から勝ち馬に乗らんと矢継ぎ早に降伏が殺到。当家にとって最もいやらしいのが畠山家高政と鈴木家で、紀伊国からの侵攻を阻む「城レベル>兵数」の法則が崩れてしまう恐れが生じ、目の上の瘤に成り兼ねないと早々に無力化しておく。他方では小浜城を細川軍に攻められ、反撃して除去した。越前国の平定、磯野員昌(軍17政7魅11)の仕官、那古野城(尾張)に誘き寄せた岡部軍の武将5・兵力113の全滅、一色家の当家への降伏願いと、明るい話題も少々。 ・外様大名の徳川家が滅亡しました。 ・大崎家が滅亡しました。 ・飯富家が滅亡しました。 ・外様大名の細川家が滅亡しました。 ・外様大名の秋月家が滅亡しました。 |
| ■1561年 冬 |
| 三好長慶が死亡しました。享年39才。 わかってはいるものの、大名の早過ぎる死は痛い。史実よりも短命だし、もしや波多野晴通に次いで早死にの大名か。後継者は6人の一族から、軍事と魅力が第一位と三好家の誇る名将――十河一存を選択。彼も余命はあまり長くない分、存命中の天下統一を目標に掲げよう。・三好長慶が享年39、十河一存が家督を相続します。 ・阿蘇惟豊が死亡、阿蘇惟将が家督を相続します。 ・外様大名の有馬家が滅亡しました。 |
| ■1562年 春 |
| 上杉家の武将35・兵力751に対し、十河家は武将18・兵力273に留まり、朝倉家と岡部家とて合計で武将8・兵力135だから全然頼れず、独力で着実な各個撃破に光明を見出さねば。尚、上杉家に寝返られたら厄介だと、三好長逸を力攻めで処分した。 ・浦上家が滅亡しました。 |
| ■1562年 夏〜1563年 夏 |
| 大聖寺城で武将1・兵力40を倒したのを皮切りにと意気込んだが、上杉軍の動員力は凄まじくて徹底抗戦を諦め、紀伊国の統一や岡部領への突入を以ってお茶を濁す。あと、三好政康(軍12政10魅10)と三好義継(軍12政2魅4)が元服。 ・外様大名の畠山家高政が滅亡しました。 ・外様大名の鈴木家が滅亡しました。 ・三木家が滅亡しました。 ・小野寺家が滅亡しました。 ・外様大名の阿蘇家惟前が滅亡しました。 ・前田利家が岡部家の家督を相続します。 ・安東家が滅亡しました。 |
| ■1563年 秋〜冬 |
| 兵力900の上杉軍と有意な接敵が出来ない中、西から兵力340の島津家が押し寄せてきた為、兵力450の当家は恥を忍んで上杉家包囲網の樹立を打診するも、返事は弓矢で到着。島津家の伸長速度が思いの外に早く、もっと前から外交関係を樹立しておくべきだった。この半年の戦果は武将1・兵力40のみで、つまりは1年半で武将2・兵力80しか全滅させておらず、独力で云々の目論見は崩壊寸前かもしれない。 ・高梨政頼が死亡、高梨頼親が家督を相続します。 |
| ■1564年 春〜夏 |
| 岩村城(美濃)にて武将8・兵力250を、岡崎城(三河)にて武将5・兵力119を全滅させ、ようやく初めての有効打を決められた上に、上杉謙信の首級に札を添えた。その代わりに、当家も功労者の三好政勝が痛恨の討ち死に。また、この隙に上杉軍・朝倉軍・島津軍が勢揃いで各所を荒らし始めている。 ・外様大名の南部家が滅亡しました。 ・外様大名の宇喜多家が滅亡しました。 ・長尾政景が上杉家の家督を相続します。 |
| ■1564年 秋〜冬 |
| 旧今川家は石高34・武将2・兵力31まで落ちぶれ、やっとで島津家の傘下に。当家は総力を振り絞って武将14・兵力284を掻き集め、旧上杉家の武将6・兵力237の全滅を目指して浜松城(遠江)の強行突破に挑むが、相次ぐ野戦で満身創痍な現状では途中で大将集中攻撃に方針転換せざるを得なかった。西では遂に、島津軍が和泉国に悠々と上陸しており、きびすを返して追っ払っておく。 ・外様大名の三村家が滅亡しました。 ・柿崎景家が長尾家の家督を相続します。 |
| ■1565年 春 |
| 開始から10年経過した三好家及び各地の情勢。 ●戦力 ・石高307 兵力314 水軍力1 所持金330 石高の割に兵力が少ないのは、旧上杉家との激戦の名残。旧上杉家の物量攻撃には相対可能になった反面、急接近してきた島津家に妨害用の堅城を用意出来ない、淋しい懐事情が難だ。 ●武将 ・十河一存 知行90 兵数35 忠義 ─ 延沢満延 知行 0 兵数 1 忠義 3 ・三好義興 知行21 兵数18 忠義25 ・三好政康 知行21 兵数34 忠義25 三好義継 知行21 兵数23 忠義17 ・安宅冬康 知行21 兵数31 忠義25 ・三好義賢 知行21 兵数35 忠義24 ・直江実綱 知行21 兵数34 忠義25 ・天野景貫 知行15 兵数15 忠義17 ・磯野員昌 知行21 兵数19 忠義16 ・真柄直隆 知行21 兵数40 忠義20 ・海北綱親 知行21 兵数28 忠義22 ・一色義幸 知行11 兵数 1 忠義20 加増しても所持金が徴兵に追い付かないのを逆用し、島津家に領地を削られた時の冗長性を敢えて残しているつもり。最初はどうなることかと逆に楽しみだった忠義も安定傾向で、譜代の重臣から謀反の外様まで色とりどりで団結している。 ●大名家 ・柿崎家 石高836 兵力593 敵対:十河 ・毛利家 石高 69 兵力112 敵対:島津 ・島津家 石高475 兵力441 敵対:十河 毛利 朝倉家は石高91・武将4・兵力70で上杉家に降伏。5年間で毛利家に何が起きたのか、弱体化が著しくて当家が割を食った。毛利家が島津家を抑えている内に上杉家と決着を付けるはずが、この展開を読めと言う方が無茶だ。尚、松永家がちょこまかと、本願寺家がどっしりと、未だに現役なのを付け加えておく。 柿崎軍が旧今川家に引導を渡す間、連携の乱れを突いて合計で武将4・兵力94を全滅させた。 ・外様大名の佐野家が滅亡しました。 ・外様大名の蘆名家が滅亡しました。 ・外様大名の前田家が滅亡しました。 |
| ■1565年 夏〜冬 |
| 武将7・兵力120を全滅させて柿崎景家の切腹を見届けるも、今度の後釜は村上義清で旧上杉家の豊富な人材を思い知らされた。武将の能力以前に寿命で悩まされる当家は、十河一存より先に当家勃興の立役者の三好義賢が逝去。 ・外様大名の一色家が滅亡しました。 ・外様大名の相馬家が滅亡しました。 ・村上義清が柿崎家の家督を相続します。 |
| ■1566年 春〜夏 |
| 島津軍に和泉国を譲渡し、実質的に三好家の防壁として堂々健在の石山本願寺(摂津)で足止めを食らわす作戦が奏功し、旧上杉家を相手に専念可能な時間を少し稼げた。2000しかない定期収入では兵力運用に厳しいのは確かだが、着実に東日本の覇者から武将を討伐しており、手応えを掴みつつある。 ・本願寺家が滅亡しました。 ・外様大名の高梨家が滅亡しました。 ・和田業繁が村上家の家督を相続します。 ・外様大名の波多野家が滅亡しました。 |
| ■1566年 秋 |
| 岡崎城にて和田軍の武将4・兵力133を、当家の武将9・兵力239が例によって全滅させると、後継者は毛利元就――つまり、旧上杉家を一掃完了した。非情な戦力差と島津家の圧力があっての成功劇だけに、各個撃破の有効性を再認識。 ・毛利元就が和田家の家督を相続します。 |
| ■1566年 冬 |
| 十河一存より先に忠義者の安宅冬康が天寿を全うして筆者の士気が急落した矢先、三好長治(軍5政3魅3)の元服で心の安定を僅かに取り戻し、本当に武将の寿命が足枷の勢力だと愚痴った。毛利家は漁夫の利で石高810の天下一の勢力に大化けしたものの、当家によって越前国に楔を打ち込まれており、その超広大な領地を存分には活かせない。兵力も三桁に乗ったばかりで、今後の脅威にはならないだろう。 |
| ■1567年 春〜冬 |
| 旧上杉家との熱戦で負った深手が十分に癒えていないものの、島津家が無粋にも紀伊国にまで蚕食してきた為、応戦して武将2・兵力80の戦果。毛利家も忍び足で大和国まで出張してきただけでなく、兵力240まで瞬時に復活しているのが気掛かり。当家の主力は一心に無人の東を開拓し、西の領地の喪失分を補うのに忙しい。 ・外様大名の土持家が滅亡しました。 ・外様大名の阿蘇家惟将が滅亡しました。 ・外様大名の朝倉家が滅亡しました。 ・菱刈重猛が死亡、菱刈隆秋が家督を相続します。 |
| ■1568年 春〜秋 |
| 春の開始時点での戦況は、我らが十河家が石高310・武将16・兵力345、九死に一生の毛利家が石高814・武将10・兵力219、最も有利な島津家が石高699・武将18・兵力491の三つ巴である。訂正、松永家が石高14・武将2・兵力28で存続していて、流石に春の終了時点で爆死に至ったが、どんな立ち回りをすればこんな脅威の生存力を発揮出来るのやら。 毛利家と島津家が摂津国にて一進一退の攻防を織り成しており、当家は安全を指先確認しつつ日和見の姿勢で空城攻めに励み、戦力再編を着々と進めた。 ・松永家が滅亡しました。 |
| ■1568年 冬〜1569年 春 |
| 十河一存が死亡しました。享年39才。 わかってはいるものの、7年前の目標は達成出来ず。後継者は4人の一族――三好義興(軍8政8魅10)・三好政康(軍12政10魅10)・三好長治(軍5政3魅3)・三好義継(軍12政4魅2)の中から、軍事・政治・魅力の三拍子揃った三好政康を選択。三好姓も返って来たことだし、長者三代とならないように気を引き締めよう。家督相続のお祝いに、東進を改めて本来の標的である毛利家・島津家に大軍を差し向けた。偶然にも二条城(山城)で、当軍と島津軍に重囲された毛利軍の武将11・兵力259に退路遮断の機宜を得て、本作の醍醐味が炸裂。 ・十河一存が享年39、三好政康が家督を相続します。 ・毛利家が滅亡しました。 |
| ■1569年 夏 |
| 毛利家が不正に得た旧上杉領が当家へ正当に拝領されて石高は四桁に上り、捨て駒以外の全武将の知行を48以上まで上げて、今までの鬱憤を晴らした。島津家に兵力はまだまだ叶わないし、旧上杉家のように真っ向勝負も億劫だから、毛利家と同じ道を歩んでもらいたい。伊勢国に突破不可能な要塞を急造で築き上げ、信貴山城経由で島津家主力の誘導を目指す。 |
| ■1569年 秋 |
| 北近江国の農民が一揆を起しました。 懸念はしていたが、実際に起きてしまうと動揺が大きく、筆者の士気が以下略。果たして、誰に相続すれば正解だったか。何はともあれ、もう大規模な楽市楽座で民衆を懐柔する段階ではなく、暴力で全てを解決しよう。 |
| ■1569年 冬〜1570年 春 |
| 伊勢国の要塞化・島津家主力の誘導・島津家別動隊の全滅・山城国経由で大和国を再平定・百姓一揆の鎮圧と、円滑に物事が進む。 ・菱刈隆秋が死亡、菱刈重広が家督を相続します。 |
| ■1570年 夏 |
| 天下統一を間近に控えた三好家。 ●戦力 ・石高1103 兵力573 水軍力1 所持金6158 近畿地方の大名らしく、お約束通りに東西から強豪勢力に挟まれる厳しい形になった反面、島津家が上杉家傘下の毛利軍相手にまごついてくれたのが幸運。自分も上杉家相手に1年半も同じくまごついており、剃刀の刃を渡るような局面には至っていない。むしろ、最終盤は百姓一揆の方が怖くて、イベントフェイズの緊張感は堪らないものが。 ●武将 ・三好政康 知行470 兵数40 忠義 ─ ・真田信綱 知行 48 兵数40 忠義25 大村純忠 知行 48 兵数40 忠義24 ・三好義興 知行 48 兵数40 忠義25 三好義継 知行 48 兵数40 忠義19 三好長治 知行 48 兵数40 忠義25 ・蒲生氏郷 知行 51 兵数40 忠義25 熊谷信直 知行 0 兵数 1 忠義23 繁沢元氏 知行 0 兵数 1 忠義14 毛利輝元 知行 0 兵数 1 忠義21 荒木村重 知行 5 兵数10 忠義10 ・山崎吉家 知行 48 兵数40 忠義24 ・吉川元春 知行 48 兵数40 忠義24 ・直江実綱 知行 48 兵数40 忠義23 ・真壁氏幹 知行 48 兵数40 忠義20 ・磯野員昌 知行 48 兵数40 忠義19 ・真柄直隆 知行 48 兵数40 忠義25 ・海北綱親 知行 48 兵数40 忠義19 いつしか勇猛果敢の気風において人後に落ちない家臣団に生まれ変わり、あの平凡な三好家の最終形とは思えない顔触れだ。初期武将が一人も残っていないのは捨て駒・戦死・寿命が主因で、裏切り者は岩成友通だけで終わった。落ち目の朝倉家へ転出後、どこでどんな人生を送って逝ったのか歴史に残っておらず、あやつの足跡が偲ばれる。 島津家の総戦力となる武将15・兵力502は、極めて堅固な安濃津城で半年以上の制止を強いられており、我が軍も総戦力で大和国から背後を強襲。野戦では敵大将が前方に着陣するのが鈍くて苛烈な正面衝突となり、どう転んでもすんなりと勝ち切れないばかりか、敵武将の猛撃で大切な一族の三好長治が落命。まだ十代と若いのに、先立たせてしまった不孝を許せ。 ・外様大名の菱刈家が滅亡しました。 ・島津家が滅亡しました。 1570年 夏 三好政康は天下人となった。 |
| ■あとがき |
| 三好家は四国地方を撤退して近畿地方を貪れば余裕との雑感があり、序盤の苦戦は予想外でした。それは当初から表明していて実際には成立しなかったとは言え、中盤に躊躇せず同盟コマンドを使用したくらいに。元々、クリアはおろかプレイが少ない大名なので、三好長慶と十河一存以外の寿命や一揆抑止力を把握しておらず、今回は事前学習に近くなっています。いずれはリプレイではなく純粋な楽しみとして、十河一存が存命中の天下統一を目指したいですね。 印象強い場面は、真柄直隆と海北綱親が同時に謀反してくれた時で、朝倉家と言えば三好家も真っ青な程に内紛で崩壊する勢力の代表だけど、あんなにも理想的に奸計が嵌ってしてやったり。これが起きなければ中央の制圧が遅れて一大事だったかもしれず、筆者の士気が俄然高まったのも加えれば、天下統一の分水嶺かも。矯正不能に思えた初期の忠義とは無関係に、最後には一新されつつ有能になった家臣団も、見比べて感慨深いです。あと、敗色濃厚から正攻法で少しずつ形勢を逆転させた上杉家との戦いは、本作の魅力である兵力運用の戦略性を存分に堪能出来ました。総括として、本シナリオにおいて近畿地方の大名縛りだと多くの場合は難度の程良い松永家がお勧めでしょうが、三好家も無理筋の要求が無くて遊び心地は案外悪くありません。 |