■天下布武 武田家リプレイ
 
 大名:B 戦力:B 配下:C 地利:F 難易度:中級
 
●戦力
・石高115 兵力54 所持金1800
 
 上杉家・北条家・毛利家の対信長三羽烏を凌ぐ石高は強大な織田家に次ぐ第2位にも拘らず、長篠の戦いで軍団が壊滅した直後と言う意地の悪い開始年のせいで兵力が僅かと、数値が実に不均衡。それが長所か短所かは、実際に選んでみるまでわかりにくいだろう。
 
●武将
・武田勝頼  軍事20 政治10 魅力10 士気22 忠義 ─
 武田信廉  軍事 4 政治11 魅力12 士気 ─ 忠義18
 武田信豊  軍事 7 政治 7 魅力 8 士気 ─ 忠義20
・高坂昌信  軍事17 政治 5 魅力11 士気 9 忠義19
 木曽義昌  軍事15 政治 2 魅力10 士気 ─ 忠義10
・小山田信茂 軍事14 政治10 魅力 8 士気10 忠義 9
 小山田昌行 軍事12 政治 1 魅力 9 士気 ─ 忠義14
・跡部勝資  軍事 6 政治10 魅力 5 士気10 忠義18
・秋山信友  軍事12 政治12 魅力14 士気10 忠義14
・小幡信貞  軍事 8 政治 7 魅力 7 士気 9 忠義13
・穴山信君  軍事 5 政治16 魅力12 士気12 忠義 6
 駒井昌直  軍事 4 政治 1 魅力 5 士気 ─ 忠義10
・岡部元信  軍事12 政治 1 魅力 6 士気16 忠義23
 大熊朝秀  軍事 6 政治10 魅力13 士気 ─ 忠義11
 岡部昌綱  軍事10 政治 8 魅力 8 士気 ─ 忠義12
 
 シナリオ1では人材大国だった武田家は何処へ。人数は十二分なのに凡将・裏切り者・余命短めと問題児が大半で、苦笑いが止まらない。長篠で失ったのは兵力だけでなく優秀な家臣もなのだと、歴史の勉強になる。
 
●外交
 遠く離れた弱小の里見家だけが味方で、CPU担当だと織田家他から容赦無しに蹂躙されて可哀想な程な反面、織田家・上杉家・北条家と同盟が可能なのを知っておけば一発逆転。ただ、難度が劇的に下がってつまらなくなってしまう為、自分の腕前と相談して妥協点を決めたい。
 
 
 本作において最も面白い大名だと推したいのが、戦略性が高い・天災の影響が弱い・潜在能力が強い・リロードが不要と四拍子揃った、シナリオ2の武田家。今回は天下布武に記した「個人的にお約束にしている手順だと同盟は一切使わず、他家は完全無視で高天神城に全軍団集結→徳川信康を寝返りで強奪→秋に力攻め込みで徳川家全滅」を用い、リロードも禁止で進行します。
 
■1575年 夏〜秋
 
 全軍団を高天神城(遠江)に集結。行動順で上杉家・北条家に先んじられて4ヶ所に攻撃を許してしまうが、少なくとも織田家とは休戦が成立したこと、彼が現れないと意気消沈な真田昌幸(軍17政18魅11)が仕官したことを喜ぼう。
 
穴山信君「手抜かりはございませぬ」
徳川信康「徳川信康でござる」

 
 秋を迎え、耐久度19の浜松城(遠江)に集いし徳川家全軍団から、徳川信康(軍17政9魅15)に知行21を提示して寝返らせ、自軍の端役の武将まで徴兵を限界までした後、お家の命運を賭けて武将11・兵力80の武田軍が、武将12・兵力65の徳川軍に総力戦を仕掛ける。敵大将は寡兵なので、例の問題児たちを当てがって時間稼ぎと両軍の士気調整を行い、大切に最後まで生き残らせるのが不可欠。両軍の大将の士気が非常に高いのは、当方にとって有利な要素だ。目標を遂げた野戦を経て、攻城戦では決死の力攻めを強行し、織田家の盟友を一瞬で滅亡させて遺領も得た。武田信豊・小山田昌行・小幡信貞・大熊朝秀・岡部昌綱・駒井昌直・武田信廉、討ち死に。
 その反対側で北条軍が駿府城(駿河)を武将1・兵力18で囲んでおり、そちらにも武将6・兵力30を投入して勝利。少し無謀だが、次の標的の北条家は中途半端な兵力の武将がいれば前倒しで消しておきたくて、無理を承知で。後攻かつ暫定落城させられたのが幸いし、強制討ち死にを逃れた北条氏繁(軍16政2魅8)の加入が嬉しい。
 
・徳川家が滅亡しました。
 
■1575年 冬
 
 仁科盛信(軍16政11魅18)が元服。早逝するのはともかく、譜代の武将一掃後の屋台骨として頑張ってもらいたい。注目の総兵力は38まで落ち込み、徴兵で72まで持ち直した。駿府城への牽制に北条軍が武将1・兵力12を深沢城(駿河)に配置したのを見逃さず、武将7・兵力24で侵攻及び攻城戦へ。小山田信茂・岡部元信・木曽義昌・秋山信友・跡部勝資・穴山信君、人員整理もとい討ち死に。
 
■1576年 春〜夏
 
 箕輪城(上野)と海津城(信濃)を犠牲に上杉軍とは休戦が自然成立しており、北条家への攻撃を続ける。包囲から一周年の岩殿城(甲斐)を解放し、武将2・兵力24を討った。
 
・鈴木家が滅亡しました。
・吉良親貞が長宗我部家の家督を相続します。
・千葉家が滅亡しました。
・南部晴政が享年60、南部信直が家督を相続します。
 
■1576年 秋〜1577年 春
 
 心苦しい間引きの断行により大名直轄領が90万石を超えたので、捨て駒以外の家臣6人の知行を21に上げ、秋の特別収入で大々的に徴兵。現時点で武田家は武将8・兵力131、北条家は武将7・兵力151と、早くも戦力拮抗となった。しかも、北条家は佐竹家・里見家との争いも平行させねばならず、軍団配置では優位を実感する程で、自城の岩殿城(甲斐)では普請してから敵軍を誘い込んで武将2・兵力71を、敵城の韮山城(相模)では武将2・兵力25を打ち倒す。
 
・畠山家貞政治が滅亡しました。
・十河家が滅亡しました。
・佐伯惟教が大友家の家督を相続します。
・宇都宮家が滅亡しました。
・北条氏照が北条家の家督を相続します。
 
■1577年 夏〜秋
 
 各個撃破戦術が功を奏し、北条家は武将3・兵力87まで零落。もう広大な平野の管理はままならず、当軍に武蔵国への侵略を許す。一方、武将18・兵力246の上杉家は、知らぬ間に内輪喧嘩を始めていた北条家に反応して箕輪城に武将1・兵力31を置いたが、これは当家との休戦が崩れてしまう形だ。当家も間断無き連戦で武将9・兵力127と勢力としての成長は明白に悪く、他家を刺激したくないので敢えて守備兵は割かない。小諸城(信濃)を包囲されたが、耐久度35の堅城なので適当に応対した。
 
・外様大名の佐野家が滅亡しました。
 
■1577年 冬〜1578年 夏
 
 兵力を温存しつつ、攻め時は攻めて、武田家→上杉家→北条家と渡っていた箕輪城を取り返しに出向き、武蔵国の平定も目論む。
 
・外様大名の阿蘇惟将が滅亡しました。
・外様大名の土持家が滅亡しました。
・外様大名の尼子家が滅亡しました。
・外様大名の畠山家義隆が滅亡しました。
・本願寺家が滅亡しました。
・北条氏尭が北条家の家督を相続します。
・北条氏舜が北条家の家督を相続します。
・一色家が滅亡しました。
・宇喜多春家が宇喜多家の家督を相続します。
 
 北条氏尭を見事に討ち取ったのは、我らの唯一の味方の里見家。お互いが手を伸ばし合い、握手を出来そうな位置まで来れた。
 
■1578年 秋
 
 兵力は微少ながら未だ石高100以上を固持の北条家が、随分と諦め早くて織田家に自主降伏。石高400を超えた大勢力への雪崩的降伏は既に始まっており別に驚かなかったが、それによって武将3人が軍団1個に纏まって箕輪城の包囲軍へ反撃に転じたのは予想外で、武将1・兵力40対武将1・兵力40+武将2・兵力6の不利な野戦を強いられてしまう。幸いにも籠城軍が、兵力40が騎馬を半端に編成+大将が兵力2だったので大怪我を免れたとは言え、己が油断による余計な出血に落胆。
 
・外様大名の浦上家が滅亡しました。
・安東家が滅亡しました。
・外様大名の近藤家が滅亡しました。
・伊東家が滅亡しました。
 
■1578年 冬
 
・里見義弘が享年49、里見家が滅亡しました。
・松永久秀が死亡、松永久通が家督を相続します。
・上杉謙信が享年49、上杉景虎が家督を相続します。
 
 冬は寿命。里見家の突然の滅亡で、上杉家は偉大な当主を失った代わりに常陸国・上総国を獲得。我が盟友の家臣は逐電したのか。
 
・外様大名の相馬家が滅亡しました。
 
■1579年 春〜夏
 
 上杉家は織田家と奥州勢にご執心で、武田家に興味が無いらしい。上野国・武蔵国を安全に抜けてゆく。
 
・佐竹家が滅亡しました。
・別所家が滅亡しました。
・外様大名の相良家が滅亡しました。
・龍造寺家が滅亡しました。
 
■1579年 秋〜冬
 
 上杉家の興味が当家に向いたので本格開戦し、各地の合計で武将12・兵力212の大釣果。不用意な戦術は慎んで教科書通りを努めた為、被害も必要最低限で済んでいる。
 
・波多野家が滅亡しました。
・吉良親貞が宇喜多家の家督を相続します。
・吉良親貞が享年39、福留親政が家督を相続します。
・福留家が滅亡しました。
 
■1580年 春
 
 開始から5年経過した武田家及び各地の情勢。
 
●戦力
・石高289 兵力287 所持金458
 
 序盤に城を落とされるだけ落とされても忍んだ反動で、戦争の準備が整ってからは快進撃。石高豊かな関東地方がまだ半分残っており、更なる領有地拡大が確実だ。総じて好調に就き、かつて天下布武/徳川家リプレイにて「武田家の選択時には寝返りで得た徳川信康の寿命よりも早いクリアを狙う」と書いたように、1587年の秋までの天下統一を公約に掲げたい。
 
●武将
・武田勝頼  知行43 兵数22 忠義 ─
 畠山義継  知行 1 兵数 2 忠義19
 波川清宗  知行 0 兵数 1 忠義 6
 上条政繁  知行 0 兵数 1 忠義15
・高坂昌信  知行30 兵数27 忠義25
・北条氏繁  知行30 兵数31 忠義25
・柿崎景家  知行33 兵数17 忠義22
・仁科盛信  知行30 兵数40 忠義25
 酒井忠次  知行27 兵数37 忠義20
・徳川信康  知行33 兵数34 忠義19
 大道寺政繁 知行27 兵数40 忠義16
・真田昌幸  知行33 兵数35 忠義19
 
 非情の粛清が実を結び、問題児たちを刷新して多士済々の家臣団結成に成功。この成果を出せた理由には初年の真田昌幸の仕官が大きく、最初から家臣の設定にしてくれていればと開発者に愚痴りたいのは私だけではあるまい。
 
●大名家
・織田家  石高995 兵力1228 敵対:上杉・毛利・島津
・上杉家  石高163 兵力 180 敵対:武田・織田
・毛利家  石高199 兵力 248 敵対:織田
・島津家  石高100 兵力 189 敵対:織田
 
 他にはお馴染みの伊達家・最上家・小野寺家だけで、西日本の圧縮速度が非常に早い。天下統一が最終目的なら織田家の膨張を許さない方が安定だが、今回は図らずも最短クリア狙いな遊び方になっており、偏りの激しい現状も歓迎だ。
 
 
 織田家と初年に築いた休戦は不思議なまでに全然崩れず、毛利家・島津家が懸命に稼いでくれている時間を活用し、最前線は余力を持って下野国・常陸国に移ってゆく。
 
■1580年 夏〜冬
 
 奥州地方・北陸地方に初進出。また、信濃国の中心へ密かに侵入してきた、武将6・兵力46の上杉軍を狩る。本来なら大量の余剰兵力で織田家への空城攻めをすべき局面だが、前述の企図から邪魔はしない。当家の欺瞞に織田家が気付き、心変わりしませんように。また、上杉家には荒木家が、伊達家には葛西家が降伏しており、そのままなら絶対に織田家へ組み込まれないのは幸運だ。
 
・外様大名の蘆名家が滅亡しました。
・上杉景信が上杉家の家督を相続します。
・外様大名の南部家が滅亡しました。
・外様大名の河野家が滅亡しました。
 
■1581年 春〜夏
 
 北陸奥国に到着。織田家があれに気付いたらしく、当家への空城攻めを小規模ながら開始したものの、西日本征伐が終了していないので無視を決め込む。どうぞ好きに荒らして下さい。
 
■1581年 秋
 
 秋は裏切り。越中国で明智光秀が織田家から、出羽国で北条高広が上杉家から、謀反を起こして独立勢力化した。現局面なら普通は謀反即降伏だろうに、石高30・武将3・兵力61と石高7・武将1・兵力15で何をしたいのやら。あと、風前の灯火の最上家は滅ぼすのが可哀想と脅迫で仏心を見せたら、むしろ激怒してきたのも釈然としない。
 
真田昌幸「膝を屈して、降伏して参るでしょう」
最上義光「武田ごときの下風に立つ最上義光ではないわ!」

 
・毛利家が滅亡しました。
・島津家が滅亡しました。
 
 上杉家を根絶やしにして織田家に臨戦態勢を整えたかったが、衝撃の急転直下。当家が奥州地方で呑気に緩手を指している間、西日本征伐と同時に中規模の空城攻めを三河国に受けた。
 
■1581年 冬 
 
 これまで織田家より何度も説得に来ていたが、今度こそ本気な降伏勧告が来訪。きちんと臆さずにお断りしたものの、およそ5倍の兵力差に対抗する術を考えねば。ただ、今年は耐久度28の岡崎城(三河)が兵力440を釘付けにしてくれて、織田家との攻防はごく僅か。奥州地方の掃除を主な仕事とした。
 
・三好長治が死亡、来島通総が家督を相続します。
・来島家が滅亡しました。
 
■1582年 春
 
 武田信勝(軍7政9魅13)が元服。開幕なら人員整理候補だが、今は軍団を増やしておきたくて重臣抜擢する。昨冬に来島通総を討ち取った岩村城(美濃)を耐久度21に普請して兵力46を置けば、武将8・兵力250が反応してくれたので予定通りに退却。
 
■1582年 夏
 
荒木村重が謀反を起こし挙兵しました。
荒木村重が我らが軍門に下って参りました。

 
 武将3・兵力85が春日山城(越後)を起点に謀反して当家に即降伏と、1年前の明智光秀と北条高広がすべき行動をしてくれた。彼の英断のお陰で岩村城への反撃要員――武将17・兵力304を準備出来て、戦法「誘い水」が成功で兵力差は2倍まで低下。尚、遅れて明智家も当家に自主降伏している。
 
・外様大名の最上家が滅亡しました。
 
■1582年 秋〜冬
 
 岩村城を耐久度21に、魚津城(越中)を耐久度41に普請し、戦法「鳥もち」を仕掛けて武将3・兵力120の成果。また、未だお家存続中の上杉家が最後の力を振り絞り、反逆者の北条高広の自力討伐を果たした。
 
・北条家が滅亡しました。
・外様大名の松永家が滅亡しました。
 
■1583年 春
 
 石高1354・武将32・兵力830の織田家に対し、石高451・武将20・兵力551の武田家と、戦力差は真正直な戦い振りの割に短期間で縮小。国境付近には新しい防波堤を建築済で、天下統一までの最短手順を模索すべき段階か。
 魚津城に張り付かせた武将8・兵力288へ、武将14・兵力369を激突させる。敵大将の士気が普通程度なのが気掛かりな中、こちらの高士気及び荒木家・明智家は再び裏切らない内に使い潰したい思いを原動力に、受けの美学とでも言えそうな防御戦術で戦法「全滅」を達成。
 
■1583年 夏
 
 高遠城(信濃)が武将9・兵力252を、岡崎城が武将12・兵力288を堰き止めている。この内、後者の陣容が織田信長・織田信雄・織田信忠と名だたる顔触れで、絶対に逃がすまいと各地から掻き集めた武将15・兵力301で侵攻し、戦力均衡も大きな犠牲を払わずに全滅を達成。後継者の名前を見るに、もう有効打を超えて決定打だろう。あと、来冬までに優秀な武将2人が元服する伊達家を生き長らえさせていたにも拘らず、上杉家が余計な世話焼きで攻め込んでしまった為、仕方無しに咎める。
 
・外様大名の小野寺家が滅亡しました。
・庭月広綱が上杉家の家督を相続します。
・斎藤朝信が庭月家の家督を相続します。
・安富純泰が織田家の家督を相続します。
 
■1583年 秋
 
 岡崎城に武将14・兵力260を収集。そこから敵領に伸びる2本の街路の先に武将1・兵力40と武将11・兵力239の全安富軍が待ち構え、睨み合いを余儀なくされる。せめてもの気持ちと、前者を戦法「先攻め」でやり過ごしつつ、後者を適切にあしらった。ちなみに、これが今プレイにおいて初めての先攻めなのは、自画自賛しても良いのではなかろうか。
 
・外様大名の葛西家が滅亡しました。
・伊達家が滅亡しました。
 
■1583年 冬
 
 先攻め不成立により大軍が押し寄せるも、単独で飛び出てきた大将の狙い撃ちで安泰。他に今更ながら、ようやく東での戦いに終止符を打つ。
 
・外様大名の斎藤家が滅亡しました。
・外様大名の田北家が滅亡しました。
 
■1584年 春〜夏
 
 要衝となって戦線維持に役立ってきた岡崎城を改めて普請し、その西隣に並ぶ落城させたての刈谷城へ大半の軍団を移動。これらと三角形を拵える鳴海城(尾張)に全安富軍を集まらせているのが重要で、この形は将棋なら必至に近い。岡崎城に全安富軍を誘引→鳴海城を空城攻めして退路を遮断→岡崎城の野戦で勝利の流れで、行動順に左右されずに戦法「退路遮断」を遂行可能だからだ。ただし、再三の普請と徴兵で資金難に陥っており、岡崎城の耐久度を21までしか上げられず、行動順が悪いと撤退戦を仕掛けられる恐れがあり、ごく稀にだがCPUも力攻めを選ぶ場合も考慮すれば、まだ確定ではない。それでも物事は自分の願望に従って進んでくれた。
 
■1584年 秋
 
 天下統一を間近に控えた武田家。
 
●戦力
・石高485 兵力469 所持金1049
 
 遺領総取りも織田領浸食も起こらず、こつこつと東日本に歩みを進めた結果、リプレイで過去一の小規模で終幕を迎えた。敢えて西日本を織田家に迅速征伐させ、天下統一を他力本願で早めた分の反動と苦労が数値に現れている。
 
●武将
・武田勝頼  知行71 兵数40 忠義 ─
・高坂昌信  知行33 兵数40 忠義25
・北条氏繁  知行33 兵数40 忠義25
・柿崎景家  知行36 兵数40 忠義25
 酒井忠次  知行30 兵数37 忠義25
・武田信勝  知行30 兵数40 忠義25
 大崎義隆  知行 0 兵数 1 忠義16
・仁科盛信  知行33 兵数39 忠義25
・片倉景綱  知行21 兵数17 忠義25
・小西行長  知行24 兵数12 忠義20
・徳川信康  知行36 兵数40 忠義25
 大道寺政繁 知行27 兵数40 忠義25
・真田昌幸  知行36 兵数40 忠義24
・荒木村重  知行21 兵数14 忠義10
・斎藤利三  知行41 兵数22 忠義20
 細川藤孝  知行 9 兵数 7 忠義16
 
 主力は全員が軍事に長けており、激しい合戦の厳しい連続にも耐えられた主要因。野戦でも攻城戦でも、多少は血気に逸っても構わない冗長性があって助かった。
 
 
 作戦フェイズが先手なら楽勝の局面も、二分の一の確率に敗北。普請不足で落ちてしまった岡崎城から鳴海城へ、全安富軍の武将14・兵力289が取って返してきた。これを見越して待機させていたのは武将6・兵力162で窮地が否めないとは言え、絶対に負けたくない理由が生じては全身全霊で迎え撃つしかない。我に不死身の神気与えたまえ。
 戦地は桶狭間で一面が森、敵陣形は衡軛の陣で二列縦隊の最奥に大将がおり、集中攻撃は不可能。ただ、士気がやや低めの44なのは唯一の急所で、勝ち筋が見えない訳では無い。しかし、大雨に隠れて森を抜けてきた敵騎馬隊に1部隊を倒されるわ、森に籠った我が大将も兵力20をすぐに割るわで、時間経過と共に敗色濃厚に。この瀬戸際に手を差し伸べてくれたのは敵の後詰で、寡兵ながらも命知らずに突進してきた2部隊の手土産で辛くも士気が0に届いた。戦後は事前命令により岡崎城に武田家の大軍が三方から押し寄せ、籠城即落城に漕ぎ着ける。
 
・安富家が滅亡しました。
 
 
1584年 秋
 
武田勝頼は天下人となった。
 
 
■あとがき
 
 上記に突然出てきた「絶対に負けたくない理由」は、1585年の冬が高坂昌信と仁科盛信の寿命故に、折角閉じ込めた旧織田家に脱出されて形勢を複雑化したくないから。これまでの水準の照準が「寝返りで得た徳川信康の寿命よりも早いクリアを狙う=1587年」なのを踏まえれば、この2人が生存中の天下統一は初めてのはずです。あと、開幕前の「本作において最も面白い大名」の理由にはもう一つ、「軌道に乗った頃に主力2人が寿命でやり応え増」があったことも白状しておきたいくて、まさかの早さだったのがわかってもらえるかと。そんな嬉しい早期クリアを狙ったきっかけは荒木村重の深謀遠慮で、これが起こっていなければ拘らなかったでしょう。
 シナリオ2の武田家は、説明書曰く上級者向けなのとCPU担当時の悲惨さから、苦しいだけの選択肢に見えなくもありませんけど、自分で難易度を調整可能な要素が案外多いので、未経験の方にお勧めしたいですね。
 
 
 
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