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──── Liner note
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Be influenced ──
 
アイテムと心模様。
読んだ本・聞いた音楽・エトセトラ。
 
 
 
●07/12/22
◆いつかパラソルの下で (森 絵都・小説)
 
 帯によると『本の雑誌』が選ぶ2005年度第4位とのこと。25歳の独身女性を主人公に、事故死したばかりの父親に持ち上がった不倫疑惑から、兄妹3人で事実関係と父親の生い立ちを探っていきます。作風は刊行順と同じく、まだ児童向け寄りだった『永遠の出口』と一般向けになった『風に舞いあがるビニールシート』の中間点と言った風情で、どっち付かずな印象が拭えませんでした。曖昧な表現になってしまいますが、複雑な大人の世界を表すに一番単純な方法を用いたのが原因だと思います。ただこの感想は、自分の幾つかの経験による補正が含まれて客観性が乏しいことを、否定はしません。
 素早い展開や父親の故郷に渡ってからのやり取り等、プロットは嫌いでなければ悪くもないんですけど、この著者におけるどうしても合わない要素が性描写です。他作でもそれ系統の単語を入れたがるのが気になりましたが、今作では一行目から開始される上に噛み癖やら不感症のようなパーツを付加した挙げ句、本筋には申し訳程度にしか絡まないなんて。あと、主人公に行動と心情の機微が欠如しており、他者と付き合うからと別れを切り出したのに数日後には振られたからよりを戻してと願う恋人に対し、何の葛藤も無く喜ぶだけなエピローグ前は中でも酷いとしか。主人公を物語にとって都合良く扱い過ぎ、と感じたのも客観性に乏しいのでしょうか。
 
●07/12/04
◆ヨギ ガンジーの妖術 (泡坂妻夫・ミステリー)
 
 昨秋に「ブックテスト」なる言葉から巡り合ったシリーズの1冊目で、昭和62年発行。「この文庫本で試みた驚くべき企てを、どうか未読の方には明かさないでください」「各ページを切り開くと、長編ミステリーが姿を現します」のような、余所の本では有り得ない特殊な仕掛けは潜んでいません。その代わりに、巻末の解説で少し触れられているのが唯一の情報源だった準主役キャラクターとの出会いがわかり、後の2冊を先に読んでいても満足度は高いと言えます。
 収録された7話は全て50ページ弱の短編で、軽快な語り口と相俟って「遠隔殺人術」や「予言術」等のトリックが惜しみなく暴かれていく点に、小気味よい印象を受けます。読書の考えを悪い方向に導いてから真相で一気に逆方向まで持っていく傾向が見られる割に、文中にミスリードを誘う気が認められないのも読後感が清々しい要因でしょう。ただし、次々と解き明かされる奇術を誰かに試したくなってウズウズしてしまうことから、身近な人には読ませたくないのも確かだったり。
 
●07/11/14
◆アレクシオン・サーガ <橋の都市>にて (五代ゆう・ライトノベル)
 
 今作の第1巻を「ヒロイックファンタジーと堂々と謳える」「王道中の王道」と評した者からすると、帯の「これぞ王道ファンタジー!」「純ファンタジーの決定版」なる文句に、思わずにやりんぐでした。あと、巻末やチラシの同レーベルの宣伝に萌え系イラストが並ぶ中、ただ一人の既刊だけ別系統の画風なのにも以下同文。あとがきにて、行き当たりばったりで先行き不安な制作環境を吐露されていますが、願わくは「現在のライトノベルの状況」に途中で潰されませんように。読者の立場から協力が可能な、新品で買い続ける努力は怠らないつもりです。
 剣を振るう凄腕の男戦士を超自然の力でサポートする女魔法使いが躍動的に物語を織り成し、過剰ではない適度な情景描写により読み手の頭に異世界の街を構築していく様は、著者の技量が良い方向に発揮されています。明らかに重要人物であるヒロインの登場場面が極端に限られていた前巻の不満も解消されており、シリーズ展開中の『パラケルススの娘』に出てくる如何にも漫画調な数人のヒロインに対して、じんましんが発生する人にお勧め。しかしながら、全体を通してシナリオを成立させることのみに終始している感が否めず、テーマを語ったり生き様を見せ付ける要素の乏しさは物足りないところでしょう。料理で例えると、味は上質でも栄養分が足りなければメニューとしては不完全となるように。
 
●07/10/18
◆パラケルススの娘7 ラーオ博士のサーカス (五代ゆう・ライトノベル)
 
 4巻6巻のように、物語の方向性をなかなか見せないまま本筋から離れがちな当シリーズですが、「いよいよ、クライマックスへの助走が始まります!」とは著者の談。ようやくクライマックスに突入…じゃなくて助走かいとツッコミ入れつつ読んだところ、その言葉に偽りの無いことが判明。新たな設定が明らかにされる訳ではなくて真相に対する登場人物の姿勢の再確認と言った感じで、既刊と然して変わらぬ作りとなっています。うん、普通。
 シナリオの面白さ、キャラクターの絡み、テーマの深さ、どれも独自の魅力に欠ける平凡な出来です。自分の無知識から作中に仕込まれた小ネタを楽しめないのが原因の一つでもありますが、読書中の平静な感情に喜怒哀楽を芽生えさす場面に乏しく、文字を読み進める内に自然と最後のページに到達してしまいましたから。構成に欠陥が生じていたり文章力に難があるような駄作ではありませんが、まるで『パラケルススの娘』制作用のテンプレートに当てはめる材料を変更しただけで新刊としているかのようで、著者の他作品と比べると安直に書き上げた印象が否めませんでした。あと、文中におかしな記述がいくつか残っていませんか。
 
●07/10/05
◆風に舞いあがるビニールシート (森 絵都・小説)
 
 135回直木賞を受賞した短編集。読み通しても全作品に一貫性を見出だせなかった後、帯に「大切な何かのために懸命に生きるたちの、6つの物語」と書いているのを確認し、素直に納得しつつ少し恥ずかしくもなりました。一話目『器を探して』の纏め方に強い違和感がありページを開いてから半年以上寝かせたとは言え、二話目以降は一気に奥付まで到達した癖に、文章を追うだけの読書をしているのかもしれません。
 著者本来のフィールドである、児童文学でのシチュエーションを一般文学に置き換えたかのような『守護神』のユーモラスさは好みでしたが、全体的にエンターテイメント性やメッセージ性に優れているとは思えず、自分がどこに魅せられてのめり込んだのか実感がありません。表題作では、作品の根幹に関わる元夫の生い立ちを第三者の証言だけで主人公が短絡的に推測及び確信するところ、余計な最後の一行のせいで物語が安っぽい終わり方になっているところ、頻出単語兼行動のセックスをセックスとしか言い表さないところ等、大から小まで不満が多かったぐらいですし。なのに、裏表紙を閉じた時に「読んで良かった」と感想を抱かされ、理屈の付かない胸の内に戸惑います。
 
●07/09/16
◆失踪HOLIDAY (乙一/清原紘・コミック)
 
 14歳の少女が継母との屈折した諍いから家出を敢行後、住み込み使用人の部屋に無理やり居座ってこっそり家族の反応を観察するが、やがて自らの狂言誘拐を思い付いて──そんな導入部より始まる、角川スニーカー文庫より発売された同名中編小説のコミック版。初めて読んだ乙一の著作で、おちゃらけた一人称に終盤まで完璧に覆い隠されるテーマ性と、大団円から思わぬ方向に転がるシナリオと、これ以上無いであろう素晴らしい締め方のラスト2行に、大変な衝撃を受けました。最初は作中で「ドラえもんのジャイアンみたいな子」と形容される主人公の面白可笑しさに涙が出そうになるのに、最後には別の意味でほろりとくるんですね。主人公も作者も、読者に対して挑戦的だと言いますか。
 内容は小説版に準じており、コミック版特有の魅力は出しにくい制作環境です。しかしながら、元々が短編を引き延ばした感が否めなかった為に活字よりも早く読める漫画の方が表現の媒体として優れていることと、前者に質の高いイラストを提供した羽住都のイメージを崩さずに作画に成功したことで、存在意義は十分に発揮されています。どちらを先に触れたとしてもきっと、大きくは違わない感想に辿り着くでしょう。思春期の子どもの心に芽生えた「ほんの少しの悪意」を、周囲の大人が「見返りを求めない好意」で包み込もうとしていく物語、だと個人的には解釈しております。あと、「清原絋」だと思い込んでいたのは秘密です。
 
●07/08/29
◆つきのふね (森 絵都・小説)
 
 万引き・進路問題・友人との確執・連続放火事件・売春疑惑等々のトラブルに揉まれながら、一筋の光を求めて疾走する少女を描く長編。題名と途中経過に少し含まれるSFっぽさが、どのように料理されるかは最後までのお楽しみです。これを『アーモンド入りチョコレートのワルツ』と同じ日に読んだことで、その感想で触れた「自分好みの物語像」を明らかにする決定的な証拠になりました。つまり、森絵都の作品で主人公の性別が♀=自分には合わないの法則です。
 単なる感覚でしかないこの乱暴な法則を理屈で説明するのは難しいですが、主人公の行動原理に共感を覚えられないのが最大の要因でしょうか。上記の粗筋にある比喩の通り、主人公の少女はとても前向きな行動派。そこに「どうして前向きなのか」「なぜ行動を起こせるのか」の根拠が抜け落ちているのか、主人公が何をするにしても何を語るにしても違和感が生じます。あと、クライマックスで唐突に登場人物を突き放したかのように終わってしまうのも物足りず、非日常から日常へと帰ってゆくエピローグを責任を持って描いて欲しかったですね。厳密に判定すれば、あの終幕では事態が解決していないのでは。
 
●07/08/11
◆ペンギンズ・メモリー 幸福物語 (映画)
 
 1980年代中頃にサントリーのビールの宣伝に使われた擬人化ペンギンが全配役を務めるアニメーションで、「幸福物語」は「しあわせものがたり」と読みます。全盛期を除くと街中やメディアでとんと見掛けず、上の説明だけでこのキャラクターを思い出せる人は少ないかもしれませんが、少し前にauのCFに起用されて最近は知名度が上がったのではないでしょうか。尚、20年振り2度目の鑑賞になります。
 煮え切らない態度に終始する主人公に苛立ちがあったとか、単なる動機付けだと思った設定が伏線で実を結んだ時にはっとしたとか、そんな感想は作品の本質からはどうでも良くて。コミカルでキュート、おまけにどことなくお間抜けな容姿のペンギンたちを用いて、明暗と幸不幸が表裏一体のシリアスな生き様を見せるギャップが見所なんです。銃器を乱射する戦場のペンギン、バーでグラスをあおるペンギン、松田聖子の楽曲を本人の声で唄うペンギン、ベッドの中で情事の後と思しきペンギン、恋敵に殴り掛かるペンギン、くちづけを交わすペンギン…普通の実写映画なら退屈だったであろう変哲の無い物語をミスマッチなキャラクターに演じさせたことで、こちらの感情移入度を高める奇妙な居心地の良さを感じられました。あと、20年前の記憶と現実が引き起こした頭の中でのいざこざについては、同日の日記にて。
 
●07/07/27
◆アーモンド入りチョコレートのワルツ (森 絵都・小説)
 
 表題作と二編を収録した短編集で、各題名は有名音楽家のピアノ曲より拝借とのこと。『子供は眠る』では少年同士の、『彼女のアリア』では少年と少女の、『アーモンド入りチョコレートのワルツ』では少女同士の関係が主軸で、著者に読者が寄せる期待を纏めて楽しめると言えそう。ジャンルは児童書と思われますが、単行本ではなく文庫で読んだ故に小説としました。
 描くべきことだけを描いた上質な一作目と三作目に感心しつつ、虚言癖のある少女に心を奪われ、振り回されかける不眠症の少年が登場する二作目に、かつて『カラフル』の想いが再来したのが嬉しい。設定を活かした掛け合いが上品な可笑しさを醸すのも素敵でしたが、ともすれば不確定な存在のまま読者の前から消えてしまいそうだった少女を、著者の筆に突き動かされた少年の疾走によって現実に取り戻してくれる終盤の感情移入度は更に最高でした。クライマックスに到達して、いの一番に主人公が放った「おれ、どうも気になってしようがないんだけど……」に続く彼の言葉があまりに不意打ちで、思わず吹き出してしまったのは私だけではありますまい。吹き出すような内容で純粋に感動が出来たのだから、著者はテクニシャンです。『カラフル』も「主人公の少年による少女との関係」の物語で、良い印象を持てなかった『リズム』『ゴールド・フィッシュ』『宇宙のみなしご』『永遠の出口』は、主人公が少女。うん、自分好みの物語像が明らかになりました。
 
●07/07/12
◆鉄腕バーディー 13〜16 (ゆうきまさみ・コミック)
 
 ゆうきまさみのコミックをほとんど揃える立場からしても、前回の感想では「面白くなりそうで未だに面白くならない」「先行き不安なシリーズ」と散々に書くよりありませんでしたが、ここ1年でシナリオ運びとキャラクター配置が軌道に乗り、本領がようやく発揮され始めています。面白くなる前に打ち切られた『パンゲアの娘 KUNIE』の二の舞にならず、本当に良かった。続巻の発売日が待ち遠しくなったのに、3ヶ月だった刊行ペースが完全に4ヶ月になってしまったのが玉にキズですけど。
 最新刊は後半から第三部が開始し、激動を続けた本筋の盛り上がりも一段落。導入部を見る限りでは今後、おざなりだった主人公と友人たちの私生活の絡みが描かれそうな予感に期待を。これはシリアスな状況をコミカルに誤魔化したり、コミカルな設定でシリアスな展開を見せるのが作者の得意技で、その為には日常描写による味付けが必須だと思うからです。かつての『機動警察パトレイバー』では大成功でしたので、本作でもそのようになってくれれば良いなと。少し可笑しくなるのが、ゆうみまさみが如何にも描きそうな素直で単純な性格の登場人物が、ちっとも描きそうでないほんのりエログロな物語上で動いていること。この要素には『究極超人あ〜る』以前の異なる作風が窺えますね。
 
●07/06/16
◆ショート・トリップ (森 絵都・児童書)
 
 毎日中学生新聞に連載の『further sight 旅のかけら』52編より、自選の40編に加筆を施して収録とのこと。書名の「ショート」が1編当たり1500文字にも届かない短さを、「トリップ」が題材である異世界への旅を表しています。発刊は2000年9月で、森絵都との初遭遇から購入までに経過した3年については、同日の日記に。
 小粋な笑いを誘ってくれる時もあれば、心の温まるオチが付く時もあれど、大方はナンセンスとしか表現出来ない作品群に悪い意味で驚いてしまいました。代表例として「何者かに命を狙われるも、茶屋の娘や薬師等の見知らぬ人たちに助けられた蔵馬。宿屋に集合した彼ら計8人は皆が伝説の玉を持っており、そこには文字が浮かび上がっている。繋ぎ合わせると『世界ウルルン滞在記』となった…」で、ここから何を感じ取れば良いのか。シチュエーションが楽しめる訳でもなく、教訓が込められている訳でもなく、物語に対して許容範囲の広い人でないと意図が理解し難い文章を読む苦痛だけが残りそう。あとがきに「一年間に渡る連載中は、とうとう最後まで一通も読者からの手紙が届かず〜」とあるのを読み、納得したのは私だけではありますまい。
 
●07/05/23
◆エンジェル エンジェル エンジェル (梨木香歩・小説)
 
 梨木香歩と言えば『裏庭』で書いた通り「少女とお年寄りの交流」が連想されて、これも違わず。寝たきりになったお婆さんとその孫娘が、水槽の熱帯魚を媒介に想いを重ね合っていく様子を、現在の孫娘の一人称と少女時代のお婆さんの一人称を交互に提示して表します。いくら読み進んでも大した事件は起こらずに日々が淡々と過ぎてゆくものの、後者の旧仮名遣いを用いた上品な語り口と大から小まで輝きを放つ情景描写が大変心地よく、日常から逸脱しない平凡な世界に没頭するのは容易でした。
 本作の肝は、孫娘とお婆さんのさりげない設定が時折交錯して、胸の空く思いを感じられること。しかし、それは彼女たちには決して伝わらず、読み手にしか知り得ない真実として秘められてしまうのが、痛く切ないのです。全150ページで1ページ当たりの文字数も少ない為に物語の骨子を掴むまでの猶予期間が短くて、主題を理解した頃には残り枚数が尽きてしまうのがまた、切なさを増幅する一因として機能しています。登場人物の年齢がわかりにくい欠点はあるものの、『裏庭』の不出来に著者から離れていた者からすれば、その判断を反省させるに値する一冊でした。単行本と文庫版で内容と結末が異なるらしいので、次は単行本で読めればと。
 
●07/05/12
◆苺ましまろ 5 (ばらスィー・コミック)
 
 近年はメディアミックスにご多忙らしい本作は、実に2年振りの新刊。掲載誌もアニメもゲームもCDもDVDも全くチェックしていないので、コミックの発売スケジュールを自然と知る術を持ち合わせておらず、半年に一回くらい自分から調べては「まだ出てないの?」とぽかーんとしていました。注目の「かわいいは、正義!」「かわいいなあ、もう!」「かわいい。おかしい。」「キュ──────ト!!」と悪化の一途を辿っていた帯のコピーは、5巻目には遂に「kawaii wa seigi.」と明後日の方向に飛んで行ってしまい、これまたぽかーん。例えば「かわいいは、健気!」とか「かわいいは、過ち!」とか「かわいいは、お利口!」とか、以下略。
 以前よりもシュールさが控えめになって良かったです。辞書を用いたネタが多かったのは苦笑いです。伸恵と茉莉の顔がふっくらした表紙はほのぼので可愛かったです。どのお話も美羽の扱いに救いが無くて可哀相だったです。バレンタインデーに最初から最後まで喋らなければ動きもしない美羽に込めた作者の思惑が謎だったです。「穴」に過敏に反応してキレるアナと、補助輪付きの自転車に「え?」「は?」な茉莉と、ポッキー1本で「ギュウウウン」な美羽が可笑しかったです。あと、千佳は…相変わらず存在感に乏しかったです。
 
●07/05/03
◆ちいさいぶつぞう おおきいぶつぞう (はな・エッセイ)
 
 曰く「仏像って、本当に好き!」な職業モデルの作者がカメラ片手に京都と奈良のお寺に足を運び、恋焦がれた仏像たちとの感動の対面を綴ります。この本で仏像に纏わる知識が増えるようなことはあまり無く、彼女と仏像の間に広がる不思議な感覚や新しい世界観を、柔らかく親しみ易いながら巧みでもある表現に心を委ねて、ゆったりと楽しむのが趣旨でしょう。小難しい言葉や過剰な装飾を用いずに、自分の頭の中に生まれる素敵な光景と独特な感情を読者に伝えられる文章力はお見事だと思います。豊富な語彙と比喩で使い回しが見られないのも良いです。
 ページに並ぶ写真は食事の内容や通り掛かりの風景が中心で、どのような見目形の仏様と出会っているのか理解しにくいきらいはありますが、そこはご自身のふにゃりんことしたイラストをたくさん配して補足しています。この謎の擬音風の例え、実に4年半振りの使用となりました。彼女のイラストは上手いやら下手やらの普通の範疇に入らないのか、ふにゃりんこ以外の言葉では例えられそうもありません。
 
●07/04/20
◆少年少女漂流記 (古屋×乙一×兎丸・コミック)
 
 不世出の天才小説家・乙一と、孤高の天才漫画家・古屋兎丸による夢の豪華コラボレーション──以上、帯の文句より拝借して再構築。世間から孤立した十代の少年少女の妄想と学生生活を巡るオムニバスで、ダイエット中にお菓子帝国軍との戦いに目覚めたり、高校生になっても魔女っ子ステッキを持ち続けていた友人との再会等、一つ一つのシチュエーションは特異過ぎず退屈過ぎずで良い匙加減。他人の名字を母親の死に様に結び付けて記憶する少女の話にて、最も画数の多い漢字として84画の「たいと」が出てきた時には、作中の主人公と同様の衝撃を受けた経験があり、くすりとしてしまいました。そして、接点の無い彼ら彼女らが邂逅するクライマックスは、お涙頂戴的な展開ではない感動が待っています。
 あとがきを読むと、この作品はオマージュが多用されている様子。ただ、自分がそのように判断した要素に関しては記述が見当たらず、少し首を傾げました。画風と展開から福島聡『少年少女』の影響を確信しましたし、あと「竜巻を飼う」なる発想を『のび太の恐竜』だと形容しているのは、そこは同じ『ドラえもん』にしても「台風のフー子」が元ネタだろうと。作品の最大の問題点としては、人格形成のバックボーンが薄くてキャラクターが実に記号的なこと。乙一は兼ねてから「殺人者は怪物として描いている」なる旨を公言されており、その手法を本作にも当てはめたせいだと思われます。娯楽として純粋に楽しむには適していますが、かつての自分を投影したり整理の出来ない過去を受け入れる為の材料として読むと、悲しさや腹立たしさを誘われるかもしれません。作者の思惑に読者が擦れ違いを起こしそうな描写が、ちらほらしていて。
 
●07/04/05
◆パラケルススの娘6 薔薇と小鳥たちの輪舞曲 (五代ゆう・ライトノベル)
 
 前巻のあとがきで「次巻はちょっと一息ついて短編集」と予告されたのに、実際は通常の長編と目立った違いの無い構成になった様子で、一区切り内で解決しない事象が残ることには読み始めの段階で少し戸惑いが。同著者の『アレクシオン・サーガ』の再来、自分が読み間違えしたせいなのではと不安になってしまいました。二度続いたので次に疑問を抱いた際には、まず作者を疑うようにします。
 今回はインターミッションにて、主人公とヒロインたちの絡みで読者を容赦無くくすぐるシチュエーションがてんこ盛り。話の本筋には猟奇殺人が据えられているのにどうしたことでしょう、このニヤニヤした顔とこそばい胸の辺りは。ただ、そのニヤニヤを誘う手段を台詞と会話に頼り過ぎている印象があって、出来れば動作や行動で表す方に比重を置いた方が好みなのに…なんて風に不満を洩らしつつ読み進めていたところ、中盤を過ぎた頃に「買い物袋のタマネギをぐいと中に押し込む」なる旨の描写があって、これは実に上手だと感心。そうそう、このようなさりげない仕草でくすぐって欲しかったんです。
 
●07/03/15
◆アレクシオン・サーガ (五代ゆう・ライトノベル)
 
 HJ文庫は創刊して間も無いのに早くも背表紙の配色とレイアウトを変更して、本棚で『ゴールドベルク変奏曲』と隣り合わせに並べても美しくないのが頂けない…なんて版元への文句はさて置き、剣と魔法のヒロイックファンタジーと堂々と謳える、王道中の王道故に今となっては珍しいのかもしれない類の作品です。シリーズ物の一冊目である不利を差し引いても目新しさや独自色に乏しいですが、五代ゆうの同系統の著作における男性主人公は文弱ばかりでしたので、ヒーロー然とした人物の心理と行動を表す文章は新鮮に感じました。今回は伏線の大部分を司るであろうヒロインの出番が極端に少なかったせいか、方向性を隠したまま大筋に絡まないエピソードを消化しただけで終わった感が強く、全体の評価は今後の展開に委ねたいと思います。
 あとがきに辿り着いて、2度頷かされたことについて。これは表紙のイラストと本文の相性が素晴らしくて感心していると「いのまたむつみさんのキャラクターありで始まった企画」との説明があり納得出来たのと、巻末収録の過去を描いた書き下ろし中編において、明らかな設定の矛盾が存在したのを訝しんだ点に関してです。読み間違えの多さを自覚しているもので、第一話と書き下ろしを何度も行き来したのに、真実は「書き始めと設定の齟齬があるかもしれません」でした。こっそりと証拠隠滅すれば良いのにと思いつつ、文庫版で修正すると雑誌連載のみ読む人の混乱を招くかもしれませんから、作者としては「できるかぎりつじつまは合わせたつもり」が読者に対する限界の配慮だったのかもしれません。
 
●07/03/08
◆ヴィーナスの片思い 神話の名シーン集 (視覚デザイン研究所・美術書)
 
 『天使のひきだし 美術館に住む天使たち』の前作で、ギリシャ神話・北欧神話・ケルト神話について、絵画や彫刻等の美術品を交えて簡単になぞっていきます。ただ、続巻に比べてイラストと解説文のユーモア色が薄くて、微笑を誘ってくれる場面は多くありませんでした。初出の人名が唐突に登場したり、同ページの用語解説とエピソードの関連性がわからないものがあったりと、レイアウトも今一つ。これらの難点は裏を返せば、反省が次回作に生かされたと言うことになるでしょうか。
 全150ページの2/3をギリシャ神話が占めるのに、読書に費やした時間は前半よりも後半の方がよっぽど長くなってしまいました。あまり馴染みが無くて読み入りにくかったのと、固有名詞が独特な音感で覚えにくい難点も原因の一部分ですが、ギリシャ神話が物語としての魅力が抜きん出ていることが最たる理由た。北欧神話とケルト神話ってば優等生じみているせいか、お付き合いしても退屈な時がしばしばです。
 
●07/02/15
◆のほほん風呂 おうちでカンタン季節の湯 (たかぎなおこ・エッセイ)
 
 風情ありげな桜風呂から、しずかちゃんを連想させる牛乳風呂まで、自宅ですぐに試せる様々な入浴体験のレビュー。彼女のイラストエッセイを読み重ねて残念なのは、最初の『150cmライフ。』では簡素ながらも可愛らしい画風が次第に変化し、3年後の『150cmライフ。3』では随分と雑になってしまったことですが、本作は上記二作の迫間だからかタッチが独特です。絵の魅力では最優秀では。
 湯船に浸かってのんびりする習慣はありませんが、せっかくの機会だからと入浴法を一つ試しました。目次からの取捨選択で紅茶風呂や蜜柑風呂が最終候補に残るも、煮沸や日陰干し等の用意が面倒そう。そこで以前から肩凝りが酷い時のマッサージに使用中のバスソルトにて、塩風呂に決定。発汗作用があり冷え症・美肌・シェイプアップに効果的とのことで、何となく普段より汗が出たような、何となく肌が引き締まったような…?
 
●07/01/31
◆あまいぞ!男吾 壱〜参 (Moo.念平・コミック)
 
 1986年から紆余曲折を経て1992年まで『コロコロコミック』で連載していた作品の復刻版は、全3冊「大あばれ小学生編」「ぶっとび中学生編」「がむしゃら青春編」の合計が約3000ページに及ぶ大重量。発売された2002年はインターネットに接続していない時期と重なり買い逃してしまい、昨年から思い出したように探し始めたてんとう虫コミック版を1巻・2巻・5巻・12〜16巻と集められたところで、不意に出会えました。ようやく見つけられた喜びよりも、100円×3冊で買えたことへの感激が勝った件については反省しております。
 自分が『コロコロコミック』の読者だった頃、お気に入りと言えば『つるピカハゲ丸』『おぼっちゃまくん』『かっとばせ!キヨハラくん』等の派手で勢い盛んなギャグ漫画で、日常生活に即して地味な『あまいぞ!男吾』に思い入れは無かったはずなのに、加齢に連れて読み返したい気持ちが無性に強くなったのが不思議です。このような商品が企画された訳ですからきっと、同様の現象に見舞われた人は少なくなかったのでしょう。作者の述懐にて語られる、人気が出ずに終了した小学生編から時を置かずに中学生編の再開に至るまでの劇的なエピソードは、当時からの疑問を明らかにしてもらえます。ただ、未読だった高校生編と最終回は読まないままの方が幸せでした。前者は場当たり的かつ打ち切り的な展開、後者は読み手として最も嫌いな終幕の描き方だったので。ちなみに、一番懐かしかったシーンには、「赤ちゃんのうまれるとこ」を。
 
●07/01/18
◆生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術  (泡坂妻夫・ミステリー)
 
 2006年10月23日に記した、「ブックテスト」なる言葉に端を発した一連の出来事。その時に購入した『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』と同様に、仕掛けありの文庫本です。今度は本文に潜伏ではなく外観から堂々とわかる類で、読者の驚きはいっそう大きいのでは。詳細を表紙の「この本の読み方」より引用すれば「はじめに袋とじのまま、短編小説をお読み下さい」「各ページを切り開くと、長編ミステリーが姿を現します」となります。1994年発行で切り開き済の中古を手に入れるのでやっとでしたが、書名を検索すれば短編小説部分のページ数は簡単に見付けられ、確かに作者の狙い通りの読み方を試せました。
 どうせ長編の一部分を抜き出すとそれとなく繋がって短編に化ける程度…なんて高を括っていたら、想像を裏切ってくれる仕掛けに感動。ネタバレになってしまうので具体的には書けませんが、短編が長編に完全に溶けこんで消えてしまう際に一捻り加わるのが見事で、前者で読んだ全文章は後者において意味合いが変化するのです。こんなに読者を楽しませてくれる仕掛けが待っていれば、長編で提示されるミステリーの解答に肩透かしを食らうことくらい、愛敬の内でしょう。ただ「雷が〜」の意図が伝わってこないのは、自分だけなのか気になります。
 
●06/12/09
◆パラケルススの娘5 騎士団の使者 (五代ゆう・ライトノベル)
 
 五代ゆう初の定期刊行シリーズは、あれよあれよと言う間に第5巻まで到達しました。1995年に『機械じかけの神々』で虜にされて以来、その後はアンソロジーを含めて全著作を揃えていたのですが、近年は興味の無いTVゲームのノベライズや旧作の復刊等で未購入の著作もちらほらと出現。年に1冊でも発売されれば御の字だった数年前と比べて、隔世の感があります。しかも、来年はもっと増えるとか。
 番外編で濃くなったシリアス色が本編にも受け継がれてコミカル色が薄まったのは、笑いたくても笑えなかったのでありがたいです。第4巻の感想に書いた「ちっとも自ら行動しない本編の主人公」も、その殻が破られました。非日常への入り口である発生に呼応して、日常への出口である解決で消費されていくだけの小事件かと思わせつつ、今までぼんやりとしか見えなかった物語の根幹へ最終的に絡み付いたプロットは完成度高し。剣を頭上に振り下ろされる絶体絶命のピンチや、夢の中で語られる登場人物の知られざる過去のような、ベタな手法が多かったのも決して悪くなく、総じて主人公への「押し」と読者への「引き」の強さが目立つ構成でした。ただ、取り柄の無さが取り柄な主人公の秘密が提示されたのは、それで本当に良いのでしょうか。大切な存在を脅かす苦しみに対して、生まれ付き授かった血筋や特殊能力に頼らずとも、ごく普通の人間が自身の努力によって癒していく物語ではないのだとしたら、テーマを読み違えていたことになってしまうのです。
 
●06/11/26
◆素子の読書あらかると (新井素子・エッセイ)
 
 超を付けてもまだ足りない程に読書家な新井さん家の素子さんによる読書エッセイは、最初に「書評ではない」との断りから入ります。思い起こせば如月さん、ライトノベル系書評サイトを制作していた頃に「書評」と「感想」の違いについて自説を語ったり、前者と後者のコンテンツを明確に区別していたこともあり、初っ端からうんうんと頷いていました。実際の中身は自己申告通りとなっており、取り上げられた作品をほとんど読んだことの無い立場でも、本の趣旨を楽しむ権利を奪われたりはしませんでした。読み終えた本についての感想を記すのではなく、読もうが読むまいが本なる物質の影響下に四六時中置かれている自分が、あれやこれやで揺さぶられてはまた揺り返す忙しい感情を、一つ一つ書き表したような印象です。
 ただ、なぜか、全体的に読みにくくて。いつも以上に文体が砕けているのか所々で言葉遣いが軽くなるのには、ちょっとした目眩に襲われました。雑誌連載+書き下ろし+文庫化で、最初の「はじめに」から最後「文庫版のためのあとがき」までに長い年月が過ぎていますから、この一冊に限ってそんな統一感を抱くのは根拠皆無なんですけど。歳を取って順応能力が低下したせい…?
 
●06/09/27
◆パラケルススの娘4 緋袴の巫女 (五代ゆう・ライトノベル)
 
 これまでのシリーズは上・中・下が最長だった著者には、初めての4巻目です。時間と舞台を数世代前の日本に移して、設定の補完と新たな伏線を読者に提示する趣旨で書かれており、結果的なのか意図的なのかはわかりませんが、良い意味で文体と作風が少し異なっています。情景描写の濃さは過去3冊とは似ても似つかず、夜の南京町に誘い込まれてからの退廃的でありながら美しくもある異世界は、序盤から読み手の五感と感情移入能力を刺激するに十分。映画のごとく多用された場面転換が最終的に無駄無く繋がる展開も見事でしたし、読者の想像を裏切る仕掛けも大小備える等と魅力が詰まっています。ちっとも自ら行動しない本編の主人公への対比なのか、似たような性格なのになぜか野次馬根性を丸出しする主人公は、応援したくなること請け合い。当シリーズに関して苦言を呈してきた立場としては、遂に作者が本領を発揮してくれた気持ちになりました。
 本巻は全編がシリアスで突き通され、トラブルメーカーは当然としてヒロインまでいません。ここで言うヒロインとは2巻と3巻で登場した、容姿・性格・台詞まで読者サービスに徹したキャラクターを指し、4巻のそれとは別。その為、不要な茶々や戯れで間怠っこしい時間が短くなり、完成度を高く感じられたのではと思ったのですが。その反面、1巻〜3巻の他愛無い日常を楽しんでいた立場から見れば、評価は低くなってしまうのかもしれません。
 
●06/09/05
◆150cmライフ。3 (たかぎなおこ・エッセイ)
 
 自身の身長の短さに纏わる悲喜交々を描いたイラストエッセイ、3冊目。既に前作からネタ切れの雰囲気が無い訳でもなかった本作は、やっぱり否定出来ない中身になってしまっており、読み終えての感想は期待外れであることのみでした。オランダ旅行記や似ても似つかぬ体付きの人へのインタビュー等、新しい企画を間に挟んで盛り上げに努めてはいるものの、もう「背が低めの女性による、普通のエッセイ」でしかありません。企業サイトで連載した弊害なのかも。
 帯や後書きによれば完結で、最後にはこの時の為の取って置きだったであろう、大オチが待ち構えています。読書から得られた信頼を完全に裏切る、それはそれは凄い衝撃の事実が。騙されてた…!
 
●06/08/08
◆天使のひきだし 美術館に住む天使たち (視覚デザイン研究所・美術書)
 
 天使たちが描かれた様々な絵画の紹介と、それに纏わる神話や聖書からの引用が主な内容です。真面目な講義については二の次で、ユーモアたっぷりのイラストと解説文で微笑を誘いながら楽しませる趣旨で作られており、その証拠に主役を張るはずの絵画よりも盛り上げ役のイラストの方が収録の分量が多いくらいだったり。ジャンルを美術書としたこちらの判断を微妙に外してくれる、面白い企画だと思います。
 純粋で、優しくて、無垢で、美しくて、清らかで…なんて、天使のイメージとして最初のページに並べられています。先日までは、如月さんの心中にある辞書に記載された天使の項目にも同様の善き言葉ばかりが書かれていたのですが、この本を読み終えてからは少なからずの淀みが発生してしまいました。抱いていたイメージとは裏腹に、彼らは意外なまでに自分勝手だったり悪行に手を染めたりするらしく、過度に信じ込むと危険なみたい。
 
●06/07/23
◆ゴールドベルク変奏曲 (五代ゆう・ライトノベル)
 
 売り文句曰く五代ゆうアーカイブ公開、デビュー作よりも前に書かれた作品とのこと。ちょうど行き着けの書店の配置が変わっていたせいで、手に取ってしばらくはお目当ての『パラケルススの娘』の新刊のつもりだった為、気付いた時にはびっくり。読み始めるとジャンルも珍しくSFで再びびっくりして、更に『機械じかけの神々』の名場面であったり、『四獣伝説 遥かなる波濤の呼び声』『<骨牌使い>の鏡』の登場人物の原型と思しき物語を構成する欠片が散りばめられる、極上のファンサービスと言えそうな内容になっており、またびっくりしました。
 最初の感心は独白主体の文体で、洗練された飾り気の無い美しさを醸し出しており、主人公の儚げで可愛らしい言葉遣いが刻まれてゆく前半は好感触。著者は今の今まで、この技術を隠していたのでしょうか。キャラクターにしても個々が持つバックボーンに裏打ちされた人格形成により生を与えており、『パラケルススの娘3』の感想で指摘した欠点は窺えません。ページ数の割に事件数が多くて全体的に忙しない、主人公が案外手荒に成長させられてしまう、中途半端な性描写が蛇足等、中盤以降に立て続けの残念さはありましたが、これらは「新人賞への投稿を意識して書いた」ことによる回避し難い害でしょう。特に主人公は硝子細工のような脆さを読者へ提示していたので、エピローグを含めてもう少し慎重な取り扱いをして欲しいと感じたのは本音です。作者を指揮者・物語を楽譜と例えるなら、クレッシェンドが強過ぎかも。そして、それらの不満を差し引いても決して揺らがない立派な完成度が、本当にびっくり。
 
●06/07/06
◆パラケルススの娘3 仮面舞踏会の夜 (五代ゆう・ライトノベル)
 
 既刊と比較して表現力に乏しかった第1巻と、無闇に文章力が低下していた第2巻に続く、心配の絶えないシリーズの第3巻。幸い今回はこれと言った欠点が無くなっており、残念に思ったり肩透かしを食らったりせず最後まで安心して読めました。クライマックスが前倒しで終盤の盛り上がりには欠けましたが、何度も繰り返し読ませる為に書かれた作品でもありませんし、ある程度の品質が保たれつつ続編が定期刊行されるのが重要なので問題ありません。
 ただ、未だにほとんどのキャラクターの掘り下げが行われず、個性付けをイラストに頼っている現状は気になります。最初から性格と容姿に「気弱」「お調子者」「清楚」「萌え」「ツンデレ」「幼馴染み」等のわかり易いパーツをはめこんで作っただけに止まり、多くの主要登場人物に対して人的魅力を感じにくいままなのは否めません。そのようなお約束を歓迎する読者層を狙っての展開なのかもしれませんが、本作でしか味わえない面白さが現段階では見当たらない点に不安を覚えます。
 
●06/06/13
◆ネリマ大好き (新井素子・エッセイ)
 
 帯付き新品同様と言う状態の良さに惹かれて新古書店で購入した1992年の書籍で、ネリマは新井素子の故郷である練馬のこと。題名と内容の関連性はあまり強くなく、話題は作家業から旦那まで幅広く扱います。対談形式で進められる為、彼女のボケや天然にツッコミや茶々が挿入されるのが愉快。また、執筆当時の著者と現在の自分との年齢が非常に近い点から今まで読んだ彼女のエッセイとは印象が大きく異なり、何だか妙に親近感を覚えられる発言が多くて思わず頷き続けてしまいました。
 例えば、無茶苦茶な方向音痴であるとか、布団は重いのが好きだとか、寝ているはずなのに自覚がないとか、カタカナ人名は最初の二文字が同じだと同一人物だと判断するとか、他にも色々でうーむ。2年前の『明日も元気にいきましょう』では「自分の書いた自分の知らない文章を自分が読み返している」との感想だったようですが、今作では遂に「新井素子さんは実は自分ではないのか」とまで妄想したとかしなかったとか。あと興味深いのは、馬鹿を莫迦と書くようになった動機を赤裸々に告白されていることで、今件の衝撃は同日の日記にしたためています。
 
●06/04/25
◆鉄腕バーディー 3〜12 (ゆうきまさみ・コミック)
 
 発売日に購入する唯一の書籍なのに、2003年に第1巻第2巻の感想を書いて以来になった理由は、今にでも面白くなりそうで未だに面白くならないから。最近は一触即発な事象を解決せずに別の話題に移すことが多く、全ての描写が散漫な感が強いです。特に最新巻では冒頭に主人公に纏わる大イベントを起こしながら、残りのページはそれとは無関係な過去明かしに割かれ、ツッコミ入れたくなりました。旧作ではワイド判1冊分の話にコミック9冊分を費やしたりと、展開の遅さは以前から気になっていたんですけど。
 数ヶ月前、旧作を元にしたOVAのフィルムコミックを初めて読んだら現在連載中のよりずっと良い出来で、複雑な気持ち。先行き不安なシリーズだけど、キャラクターの千川はづみに夢で話し掛けられた記念に扱いました。
 
●06/03/23
◆パラケルススの娘2 地下迷宮の王女 (五代ゆう・ライトノベル)
 
 昨年10月の発売直後に購入はしていましたが、期待に反して完成度に難ありな第1巻のショックが大きく、今まで本棚に眠らせていました。ともすれば著者のファンである自分とお別れになる為、読む決心がつかなかったんです。先月にはシリーズものとして順調に第3巻も登場したとのことで覚悟が決まり、最後のページまで見届けた上で導かれた結論を先に述べると──確かに十分な魅力を含むお話でした、一度も栞を挟まずに済んだので。キャラクターにしろストーリーにしろ、お約束を約束した上で読者を欺くべき時にはあからさまに欺いてくれるのは、作家性を強く打ち出していた過去へのアンチテーゼのようで、気持ち良いくらいの割り切りでした。
 しかし、本作には明らかに拙い文章が散在しており、客観的評価を下せる要素の質が低いのが悔やまれます。会話中に互いの名前を無駄に呼び合ったり、不必要な括弧で括られた一文が目立ったり、添削が不完全な様子。はっきり言えば、あざとい枚数稼ぎに見えてしまい、詳細は3月26日の日記に。
 
 
 
 
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