──2004年──
 
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■1月1日 新年の挨拶その他。
 
 あけました。今年も変わらず、華も実も備えたサイトが百花繚乱するワールドワイドウェブの隅っこで細々と更新していきますので、よろしければお付き合い続けて下さい。
 
 私信です。如月さんからの年賀状を受け取った方にお願いがあります。近況なり質問なり祝福なりお礼なり書き添えられたのは良いことながら、筆跡が尋常じゃない程に乱れてます。どうか優しい眼差しで解読に励んで下さい。
 
■1月3日 初夢の人選。
 
 今年の初夢は、福岡ドームらしき野球場のロッカールームで、巨人の清原や二岡らしき人物と仲良く喋ってました。誰々の球は打ちやすいとか、テレビの特番に呼ばれた時の感想とか。如月さんは中日ファンなのに、何故この2人なんでしょう。
 
■1月4日 謝って欲しくても。
 
「何で謝ってくれへんかったんやろ?」
「…多分、悪いと思ってへんねんやって」
 
 数年前、久々のアルコールに酔わされながら、数年来の疑問が氷解。そんな簡単なことに気付けなかったのか、罪悪感を持ってくれなければ謝ってくれるはずもない。あの頃は性善説に甘えて人を信じすぎてたみたい。謝って欲しい気持ちに捉われるのは覚悟が必要だと、教えられた会話。
 
■1月6日 今、聞いてる曲たち。
 
 とっかえひっかえ、CDラジカセのディスクチェンジャー。現在、入っているCDはこちら。
 
 
DISC1…CINEMA SCOPE (CECIL)
 頂きもの。年末、年賀状を書いている時にずっとお世話に。歌詞カードに目を通さずに延々と聞いたせいで空耳してたり意味を履き違えてたり、確認したら少なからずの箇所で変な歌詞の覚え方してました。
 
DISC2…愛の火 3つ オレンジ (Chara+yuki)
 どんな曲なのか知らなかったけど、Charaの唄声が懐かしくなって最近に購入。2人して露出度の高い衣装を着たジャケットは、ウエストがきゅっと細く可憐さ満点なyukiと、ヤバいくらい寸胴体型でとっても強そうなCharaのコントラストに涙を誘われます。
 
DISC3…1996 (坂本龍一)
 発売年の12月に買った印象からか、寒さの厳しい真夜中に恋しくさせられるアルバム。『The Last Emperor』と『Merry Christmas Mr.Lawrence』の二枚看板が強烈。
 
■1月7日 危うい唇歯輔車。
 
 目の前に落ちてるほこりを、ゴミ箱に入れる。そんな小さい手間を惜しんでしまう自分がいます。それは取り出した本だったり、脱いだ服だったり、買ってきた品物だったり。対象は色々だけど、ほんの数秒で片付けられるのは共通。それを理由も無く敬遠して、ほったらかしにしてしまうんです。酷いと何ヶ月も。
 頭では片付けようとしてるのに、体が動きません。整理整頓は好きだし、片付け拒否の単位も1冊とか1着のみだから、部屋が散らかったりしないのは救いです。想像するに「片付けられない人」って、この理由なき気持ちを年中味わっているのでは。
 
 密接に繋がるはずの心と体に、確かな距離と温度差を感じて。唇歯輔車の関係は案外、危ういのかも。
 
■1月9日 おちる。
 
 夢の中で、映画を観てました。
 
 映画の題名は『おちる』でした。おちるは落ちるであり、墜ちるであり、堕ちるであり、主人公の名前でもありました。
 おちるは、20代半ばほどの女性でした。和服を着て、長い黒髪を床に垂らし、障子の囲む居間に静かに座る様子は、この上なく嫋やかなものでした。
 
 やがて、微動だにしない彼女を取り囲むように、真っ赤な花びらが無数に舞い降りてきました。それは色彩に美しさと残虐さを閉じ込めたかのような、鮮血のごとき色をしていました。画面の半分以上が赤に覆われても、おちるは視線すら動かしませんでした。
 その光景を無心で瞳に映す内、ふと題名に込められた本当の意味を理解した瞬間、目が覚めました。
 
 少し、怖い意味でした。
 
■1月10日 諸刃の強さ。
 
 誰しも持っている、強さ。
 
 社会的な地位のある人は、組織に守られる強さを。
 鍛えた肉体のある人は、力に守られる強さを。
 十分な財産のある人は、お金に守られる強さを。
 恵まれた人脈のある人は、他人に守られる強さを。
 
 そして、何も持っていない人は。何も持たない故に失うものも無い分、常に己の全てを賭けられる強さを持っている。きっと、これが一番強い。
 
■1月12日 無関心を装う親切。
 
 券売機やレジの前で財布から1枚の小銭を落とす人、よく見かけます。もし、それが自分の足元に転がってきたら、どう振る舞うべきでしょう。
 普通に拾って「どうぞ」と手渡せば、確実に人の役に立っているのだから、悩む必要なんてなさそうだけど。向こうからは大抵「すみません」とお詫びが返ってきます、感謝ではなくて。お詫びって、わざわざしたくないものですよね。かと言って、しなければ礼儀や良心に反して嫌な気持ちを残すものですよね。
 
 小銭を拾うのは、ほとんどの人にとって大した手間ではありません。大した手間でないなら、お手伝いにも大した意味がありません。ほとんどメリットを与えず、デメリットを与えているのなら、親切として成立するでしょうか。1枚ではなくて大量の小銭なら、本人だけで拾わなければならない手間の負担の方が大きいから、親切は成立しそう。
 
 小さすぎる親切は、与えられる側に利益よりも不利益が大きくなり、余計なお世話になってしまう可能性が潜んでいて。手を貸したくとも手を貸さない選択をするのも、時として大事なのかもしれません。
 
■1月13日 お店⇔お客さん。
 
 昨日と少し似てるお話。とてもお勧め出来ない、不人気商品がお店に並んでたとして。これを率先して売るのと売らないの、優秀な販売員はどちらでしょう。
 単純に評価されるのは売り上げを取れる方だけど、お客に悪い品物を掴ませて店の信用を失ってしまえば、中期的な損失になる。かと言って、商品を捌けない販売員を優秀とするのは有り得ない。
 
 難しいけど、売るのが仕事の人はこんな葛藤に悩む暇なんてないくらい、忙しいんでしょうね。
 
■1月15日 小さな巡り合わせ。
 
 昨年末。雑誌を整理してると、4年前の『ヤフー・インターネット・ガイド』が出てきました。表紙の篠原ともえに惹かれて…もとい懐かしくて読み返すと、お勧めサイト紹介に見たいのに見なかったイラストレーターのサイトを見付けます。
 とっくに閉鎖されてると思いきや、幸いにも検索で楽々発見。サーバーは幾度か移転されているものの、更新継続中でした。可愛くも悪戯っぽさを含んだ表情の人物を、閉じられた淡い世界で現したような作風で、好みです。
 
 そして、昨日。書店で新刊を物色して、1冊手に取りました。題名も著者も知らないけど、帯が良くて。続けて、裏表紙や折り込みに粗筋を探します。しかし、ハードカバーにはありがちとは言え、何も書いていません。小説は立ち読みしない派泣かせです。参考になるのは、きっかけになった帯だけ。
 再び帯を見ようと、表紙に目を戻したら──このイラスト、見覚えがある。もしかして、もしかしそう。この前伺ったばかりのサイトの方でした。
 
 大した感動も奇跡もない小さな巡り合わせに、妙に嬉しくさせられて。その本は今、この部屋に。
 
■1月17日 おっちょこちょい・3。
 
 少し風邪っぽくて鼻の調子がじゅるじゅる中なので、小さく丸めたティッシュを両方の穴に詰めてたんです。それを忘れてオイルを焚き、全然香りがしないのを訝しく思ってしまいました。オイルを継ぎ足したり、ロウソクを取り替えたりはしたんですけど、間抜けな顔して間抜けなことしてる己が愛しいです。
 
 第一弾第二弾に続き、第三弾でした。
 
■1月18日 無音マジック。
 
 聞きたくない言葉だけ聞こえなくなる、なんてこと。普通にお喋り中、その人から発して欲しくないように思っていた言葉だけ、自分の耳に届かないことがあって。何回か聞き返してもその言葉は聞き取れないままで、まるで鼓膜が振動を拒否しているみたい。
 
 別に大した言葉でもないのに。心のどこかでその人とはその手の話をしたくない自分がいたのでしょう。
 
■1月19日 お役に立ちます。
 
 物理的な手段で人を助けられたことって、今までありません。相談に乗ったり、愚痴を聞いたり、助言を与えたり、精神的な支えならあっても。自分にリスクが無い上、人の役に立てる喜びを貰えるんだから。
 もっと、大変な行い。例えば、目前に電車の迫る踏切の中で倒れた人を救い出すとか、暴走する自動車に轢かれかけの仔猫を咄嗟に拾い上げるとか。危険だけど格好良さそうなので。邪な動機でゴメンなさい。
 
 そんな場面に偶然遭った時の為に、今は大切に守ってみるのも悪くないかも──なんて、自殺願望者に伝えるのも。所詮は精神的な支え止まり。
 
■1月20日 一方的な賭け。
 
 今になって振り返ると、賭け事をよくしてました。と言っても、競馬や宝くじのようなギャンブルではなく、これからも率先して触れたりはしないでしょう。心配性の悲観論者にとって、お金を賭けるのは性に合いませんから。
 いつも賭けていたのはお金じゃなくて、相手を信じる気持ちです。残念な思いをさせられたり、見損ないそうになったり。嫌な感情を抱いてしまいそうな時に、心の中で賭けていました。誰にも内緒に、勝手に。幾度か連続して外れても最後に勝てればと、無理して思い込みつつ。同じ箇所に賭け続けてました。それは端から見れば、莫迦みたいで痛々しかったらしいですけど、あの頃は気付けないまま。
 
 最終的に勝率がどうなったかは、言わずもがな。
 
■1月21日 如月越冬隊・危機編。
 
 以前書いた通り、如月さんの部屋に暖房器具はありません。ガウンや毛布等の僅かな越冬装備で、今日も凍死の恐怖を回避しています。とは言え、文明の利器に頼らなくても体は十分に温まります。ただ、少し困るのは装備から取り残された手の指先です。
 特に日記を更新中の深夜は、キーボードに伸ばした指に冷気が降り注ぎ、感覚が衰えて思うように動いてくれない時もしばしば。足先に靴下を履くように手袋をしたら、タイピングに支障が出そうだし。
 
 何とかせねばと思案に暮れていたら、救世主となる画期的商品を見付けいました。それは、指先カットの手袋。防寒性能を有してタイピングの邪魔にもならない、まさに求めていたもの。しかも、たったの100円。デフレ経済の恐ろしさを自らの肌で体感です。
 
 今日は記念すべき手袋デビュー。普段より軽やかに指先がキーを奏でているのが、ほんのりうっすら何となくでも伝わっていれば喜ばしいです。
 
■1月23日 食事風景。
 
 自分が作った料理を食べてもらえることで、極上の幸せを感じる人。献立決め、素材調達、下ごしらえ、調理、盛りつけ等々、面倒な作業が目白押し。その手間から返される恩恵に美味しい思いを出来るのも自分ではなくて、作ってあげた相手だったりする。なのに幸せ、そんな人。全然割に合ってないけれど、その感覚は大多数に理解出来る身近なものだから。
 これと同様に、他人の幸せの為だけに生きてこそ満たされる人も存在するのでしょうか。与えた分だけ対価をもらえるんだと期待している如月さんには、絶対に無理ですけど。
 
 料理を作ってあげて幸せになれる人も、ちゃんと自分の食べる分も作らないと生きていけないように。
 
■1月25日 認めたくないの?
 
 罪を犯すのは罪深いけれど、犯した罪を認めないのはもっと罪深い。好めない風潮ですが、ほんの小さな罪を素直に認めれば周りから同情や好感を持たれて、自分の評判を上げる可能性があったりします。そんな大逆転を秘めた機会を、じたばたしている内に逃してしまう人が多いのが不可解。特に偉い人。
 
 白日の下に晒された罪を認めない故に自分の利益になることって、ほとんど無さそうなんですけど。
 
■1月27日 ガーリーポップの風。
 
 ミスタードーナツやハウス食品のCMにカヒミカリィやpal@popやcapsuleが採用されたり、TV番組のジングルでやたらにChappieやcapsuleが使われてたり。最近の世間の流れが如月さん好みに従順化しているのは、気のせいではありますまい。とても良い兆候だと思うので、この調子でもっと頑張って、世の中にガーリーポップを巻き散らして下さい。
 
■1月28日 謎の文字列ヒラエルキー。
 
 携帯電話のメモ帳に「ヒラエルキー」とありました。夢の内容や寝ぼけ眼で思い付いた文章は、忘れないように枕元の携帯電話に記録しておくけど、これは入力した覚えがなければ、その意味もわかりません。自分で作ったか夢の中で聞いた造語かなと思いつつ、とりあえず検索。すると意外にも、100件ほどのページがあり、実在が確定です。
 情報を纏めれば、正しくはヒエラルキー。ドイツ語で階層や階級の意味だそうです。試しにヒエラルキーで検索し直すと2万件近くが表示されて、普通に普及しているみたい用いられているみたい。一般的な言葉なのに知らず、文字順まで間違えていた。そんな踏んだり蹴ったりな真相で、今日は題名からツッコミが入れられていたでしょう。
 
 尚、メモした記憶は思い出せないまま。夢の中で耳にしたのでしょうけど、自分の知識に無い言葉が不意に夢に現れるのも、ちょっと不思議。そんな小さな不思議は、不思議なまま放置され。その内に完全に忘れてしまった時、不思議ではなくなるでしょう。
 
■1月29日 今でも守りごと。
 
 椅子は深く腰掛けないで、背中を伸ばして前半分だけに座る癖。中学生の時から今でも、条件反射で続けてるお約束。この座り方は、吹奏楽部で演奏姿勢として教え込まれたもの。どこもそうでしょうが文化会系の中で最も体育会系な部活で、1年半しか在籍しなかったエセ部員の自分ですらこうだから、その教え込み方の徹底的さが伺えます。
 ある日、部活中に学校の石畳で躓いた時。とっさに右手の楽器を胸元に寄せて左手で上から抱え込み、そのまま勢いよく膝から倒れて、靴下が凄まじい色に染められたのも素敵な思い出です。これは「楽器は命の次に大切にしなさい」と強烈に植えつけられていたから。躓いた瞬間、楽器を犠牲に自身を守るか、自身を犠牲に楽器を守るか、スローモーションの世界で迷わず後者を選んだ自分に驚きます。
 
 先輩からは「命の次でいいよ…」と優しく呆れられましたとさ。
 
■2月2日 文章への心掛け。
 
 文章を書く時の心掛けがたくさんあって、バカは馬鹿でなく莫迦と書くのが代表格。そんな小さな拘りを積み重ねています。
 たまにどこかで誰かさんが「如月さん風の書き込み」等と称して、特徴を再現してくれているのは嬉しい。いつもご利用ありがとうございます、如月文体は月額300円のライセンス制となっております。尚、この文体は小説家の小林めぐみと新井素子のあとがきが基調であり、独創性が薄いのも事実である。
 
 えっと、明日に続きます。
 
■2月3日 続・文章への心掛け。
 
 昨日の続き。今日は心掛けの内の1つ、引用を以て自論としないことについて。
 
 ○○に△△と書いていたので××である、○○が△△と言っていたので××である。○○には書籍やテレビ番組が入ります。文章が上手な人に意外と多い気がしますが、この論理は好きではありません。
 そう思うのは、○○が××についてどの程度信用出来る情報なのか、読み手には判断困難だから。著者の名前や番組の内容に知識にあればともかく、ほとんどの場合は無縁な固有名詞。すると困ります、××であると結論に至った人と価値観の共有が出来なくて。
 
 あと、引用に頼ると書き手の考え方や判断基準を曖昧にしがちだし、引用を以て自論にはしないように注意しています…なんて、偉そうに言ってる奴も、昨年6月14日分がそのものだったり。
 
■2月5日 無いものねだり。
 
 求められても、拒絶出来る強さが欲しい。情には決して絆されず、良心に咎められても平気で、もしかしたら空から地上を見下ろしているかもしれない神様も怖くなくて、いつだって自分の利益だけ打算していられる、そんなの。強さと言うより、鈍さかも。
 他人から非難を浴びせられても、それを気にならない強さか気付けない鈍さを持っていれば、被害は被らない。情や良心みたいに何の強制力も無いはずのものに縛られるより、こっちの方がいいことばっかり。
 
 それなのに大多数の人が求めに応じる生き方をこぞって選び、そして苦しんでるのはどうしてでしょう。
 
■2月8日 間違ったところ探し。
 
 遥か昔の地上は、無数の惨劇が繰り返される過酷な世界。食べられないために食べて、殺されないために殺さないといけません。己の身を守る武器を持たず、他者を傷つける勇気もない者に、生き続ける手段は無かったと言います。
 
 そんな世界と折り合おうとして、地上から逃げ出した者がいました。死にたくない一心で向かった先は、空。地上の争いとは無縁で、弱き存在を許容してくれる空間でした。空はとても静かで、今まで感じたことのない安心を授けてくれます。弱き者はようやくそこに、自分の居場所を見付けられたのです。
 ただ、空を飛び続けるのは大変な重労働。くたくたに疲れてしまった時には、地上で休みたい気分にもなります。でも、地上に戻ったらすぐに殺されてしまうかもしれません。それが怖くて怖くて、どんなに疲れても飛ぶのを止めませんでした。
 
 やがて、短くない年月が過ぎ。あれだけ荒れ果てていた地上に平和が訪れても、空に飛び立った者は帰って来ないまま。一度植えつけられた恐怖心が今も、必死になって飛び続けるように強要させます。哀れに。
 
■2月9日 簡易性格判断。
 
 買った雑誌を捨てられるか、捨てられないか。
 
 捨てられる人は「古くなった情報に価値は無い」と思っており、己の過去の経験を重要視しない人。捨てられない人は「古くなっても情報の価値は変わらない」と思っており、己の過去の経験に捉われる人。何の捻りもない設問と答だからこそ、的中率は高そう。さっき閃いたばかりで、構想5秒の紛い物ですが。
 
 捨てられない症候群の如月さんは書くまでもなく、後者。97年から丸4年間買い続けた情報誌『ぴあ』まで、1冊も捨てることなく全号保存しています。読み返す機会なんてありもしません。
 
■2月10日 構ってあげたい。
 
 小さい頃から見るだけで胸が締めつけられてしまうのは、誰にも食べてもらえない食品全般。早く食べてあげなきゃ可哀相、と思わされます。街の喧騒の中で母親を見失って今にも泣きそうな迷子みたいに、構ってあげなきゃ願望をくすぐるのです。見て見ぬ振りするのは心苦しいので、好きでもないお菓子を無理から口に入れる時もしばしば。この感覚、共有してくれる人がいたら是非語り合いたい。
 
 当の食品にとっては、食べられるのこそ存在を消されて可哀相なのかもしれないけれど。
 
■2月11日 医薬部外品ですその2。
 
 先日、リップクリームを使い切りました。前回に続いて今冬2本目で、流石に去年中ではなくも記録的消費量に違いありません。まさに快挙。リップクリームは超長持ちすると思いきや、使えば割とすぐに無くなるのですね。荒れる唇が教えてくれた、驚きの事実。
 
 唇の他に手の指にささくれも目立つ如月さん、ビタミン足りてないっぽい。
 
■2月13日 君の誇りを汚す者から。
 
 自分の誇りを守らない人は、他人の誇りも汚しがち。誉められても否定して、称えられても認めないのは、美徳ではなくて。自慢出来ることは素直に自慢して欲しいし、羨ましがられることは羨ましく思わせればいいのに。遠慮や謙遜は大切な嗜みだけど、程度が過ぎると逆効果だから。
 収入や学歴や技術や感性や、誰しも1つは持っている誇れるもの。それを持っている者が必要以上に卑下する様子に、持っていない者が触れた時どんな感情を与えるのか、想像は難しくないはず。かと言って、やたらとお高くとまられるのは印象良くないけど。うん、矛盾しています。常にやっかむ側にいて、劣等感や嫉妬心に捉われる身勝手な自分を実感。
 
 要するに、可愛い人への「可愛いね」って誉め言葉への返しは、謙遜の「そんなことないよ」より強気の「うん知ってる」の方が好みなのです。
 
■2月15日 録画してヨカッタネ。
 
 「あたし さくらんぼー♪」
 
 どこかのお店にいる時に流れていて、心惹かれた曲。少し昔のアイドルが唄っていそうな、聞いているこっちが恥ずかしい明るいばかりの唄声と楽曲が、如月さんの花丸を誘います。
 あとで調べようと決めたことまですっかり忘れてたけど、わざわざ録画までしてチェックした昨日の『めちゃイケ』のエンディングテーマで思い出しました。大塚愛さん、とのこと。録画を決心させてこの偶然を導いた「笑わず嫌い王決定戦」に感謝します。
 
 ついでに番組の感想も。お目当ての笑い飯はやって欲しいネタを全部やってくれて、いじられトークも弾んでましたし、感激を覚えました。他は大して笑えなさそうだったので、全部早送りで飛ばしました。すいません、いや、すいますいません。
 
 あと、ネゴシックスの人選は大抜擢過ぎでは。
 
■2月16日 タイム・リープ実現。
 
 あまりに大事なので極秘にしていた能力を、特別に告白します。実は如月さん、タイムトラベラーです。よく起こるのは、寝起きや夢現の時。薄い意識の中で、眼鏡無しのぼやけた視線で時計の針を確認してから眠気に負けて再入眠すると。次に目が覚めたら、1時間くらい戻っています。
 不思議なことに、デジタル表示の時計では一度も起こっていません。想像するに、アナログの時計こそ時間移動を誘発する媒体なのでしょう。他の有名なタイムトラベラーも、ラベンダーの香りだったり精神的恐怖だったり、小道具を必要とするように。
 
 短針の見間違い、なんて言っちゃいやん。
 
■2月17日 階段積み、折り返し。
 
 読書が楽しいって感覚が、失われた自分がいます。内容とは無関係に早く読み終えたい衝動が強く、読んでいる最中はストレスの真っ只中になってしまいます。発売日を指折り数えて待ち詫びた新刊すら、カバーも外さないずに積んでしまいがちになりました。
 もう本を買わなければいい、とも言い切れないのが複雑なところ。イライラに負けず読み終えたら、悩みの種だった積み状態を解消したことへの爽快感がご褒美に貰えるので。落ちものパズルの『ぷよぷよ』で表すならこの爽快感、14連鎖はあります。抑制して抑制して抑制した上で、一気に開放される気持ち良さ。
 
 わかり易いのかわかりにくいのか、わからない。
 
■2月19日 ぷよぷよフィーバー。
 
 前回の締めに引き続き『ぷよぷよ』ネタ。昨日に立ち寄ったゲームセンターで『ぷよぷよ』の新作と邂逅し、どないなものなのかと初めてプレイしました。
 知る人ぞ知る事実ですが如月さん、プロ級のぷよ使いです。約10年前にCSGのコンパイルのブースで行われた大会にて、見事にベスト8の成績を残した程ですから。先着順受付で参加者数が絞られた大会で、3回勝っただけなのが真相とは言え。
 
 新作でも「ぷよ」は所詮「ぷよ」であり、見た目も大して変化無いし、初プレイでクリアする自信満々。そんな余裕の心持ちでクレジットを投入、インストカードも読まず速やかにスタート。
 おー、ぷよのぷよぷよ感がかなりぷよってる…とりあえず基本に忠実に階段積み…折り返し作って…げ、3つ同時に落ちてきた…あぅ、ビッグぷよまで…不確定要素が強くて連鎖組みにくい…あわわ、勝手にフィールドが切り替わってカウントダウンしてる…あぁ、もう、よくわかんない。
 
 己の知る『ぷよぷよ』とは違う『ぷよぷよ』にと戸惑いを隠せないまま、4人目でゲームオーバー。ぷよの世界は厳しい。
 
■2月20日 僕のマシュ…。
 
 マシュマロを食べると背が伸びる、なんて夢のような話を深夜ラジオで聞いて。理想の身長に程遠いまま成長期に終わりを告げられた如月さん、即日買いに走りました。説明によれば軟骨にゼラチンがどーたらこーたらで、科学的に証明されているとのこと。年齢も無関係で、誰しも確実に効果があるそうです。
 そんな訳で真っ白でスイートな甘い恋人なマシュマロさんと、これからお付き合いします。ふにょっとした歯触りが苦手だけど、僅かでも背が伸びてくれるのなら我慢我慢。むしろ好きになってみせますよ。
 
 セラニポージの『僕のマシュ…』状態を目指しつつ、一月後に結果報告を。
 
■2月21日 くちどけチョコレイト。
 
 トップページの入り口が、ホワイト側とブラック側に分かれている。前者は優しくて柔らかい理想主義の言葉で、後者は冷たくて厳しい現実主義の言葉で、同じテーマの文章を綴る。両極端な結論を導き、どちらを読んでも普通の人には納得し難い文章にする。
 甘過ぎたら美味しくないし、苦過ぎても食べにくいところが、チョコレート風味。そんなウェブサイトのアイデアを、歌詞の題材に転用しました。
 
 それが、『くちどけチョコレイト』です。
 
■2月23日 A型寄りのO型。
 
 如月さんは完璧よりも適当好きな、手抜きしたがりの面倒がり屋。自他問わず、仕事だろうが趣味だろうが分け隔てなく、適当に折り合いをつけてばかりです。もちろん、血液型は大雑把な性格で有名なO型であり、完璧主義者として名を馳せるA型とは犬猿の仲になります。わんわんっ。
 どのくらい面倒を嫌っているのか説明すれば、その面倒さを解消可能ならばどんなに面倒なことでも完璧にやり遂げる程です。
 
 えっと、ややこしい。
 
■2月24日 angel's tip.
 
 日本テレビ系列で深夜に放送中のアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の、スタッフロールで流れる哀愁を帯びたエンディングテーマが、胸に響いたのがきっかけ。異国語の歌詞は何を唄っているのか全然わからず、勝手にメロディラインに言葉を乗せて口ずさんでいると。Aメロに合わせて「私の孤独の高貴さを犯せるものかしら」とフレーズが浮かぶ。
 即興にしては雰囲気があり、少し手を加えてサビとして、ノートに走り書きしたメモから合いそうなフレーズを前後に継ぎ接ぎし、新作が完成。構成を短くした手抜きもあり、所要時間60分の安産でした。
 
 題名は日本語では思い付かず、英語かフランス語に逃げる。ただ、自動翻訳で色々と試しても無駄に説明的な文章ばかり表示され、うんざり。次にカクテルの本をぺらぺらと。甘い甘いこのカクテルなら歌詞とも関連性あるし、可愛らしい発音の題名は少し刺々しい内容を柔らかくしてくれるしで、採用決定。
 
 そんな舞台裏あっての『angel's tip』です。
 
■2月26日 でっちあげチョコバナナ。
 
 通り道で、神社のお祭りに巡り合い。歩行者天国になった車道の両端に色取り取り並ぶ夜店に目を奪われつつ、歩いてました。焼そば・タコ焼き・とうもろこし・綿菓子・フランクフルト・ベビーカステラ等々、あらゆる種類の食べ物が入り混じった、お腹の虫をいたく誘惑する独特の香りが漂います。
 そして、チョコバナナの夜店を見付けた時──今の今まで忘れていた、小さな記憶を思い出しました。そうそう、チョコバナナと言えば、3年前のあの子。買ってあげる約束をいつの間にか交わしたことにされて、買ったら連絡してねーとか言われてたのに、結局は約束を果たさないまま果たせなくなったなー、なんて。まだ二桁に届かない年齢だったあの子は今、何歳なのでしょう。それすらもうわからない。
 
 久々に食べたい気分だったけど、守らないままの約束が心に引っ掛かり、今回はお預け。次にチョコバナナを目にする機会も、果たさなかった約束を同じように思い出せるでしょうか。
 
■2月27日 もう一つの卒業。
 
 近所の桜並木道、まだ裸の時期。通り掛かったら、全身を鴇色の花びらで着飾った様子が目に飛び込んできて、戸惑う。えっ、もう咲いたの…なんて不思議に思う間も与えず、木々は元の姿から変わっていない。どこにもピンクのかけらもない、淋しい街角の風景。
 
 でも、一瞬だけど、本当に瞳に映った満開の桜並木。名残惜しい冬とのお別れを錯覚させるくらい、a・chi-a・chiとした陽気に包まれて。
 
■2月29日 昨日は誕生日。
 
 どうせなら、あと1日遅く生まれてたら良かったのにね。
 
 全世界の2月28日生まれが、閏年に決まって言われる台詞。でも、自分含めて1日遅かったとしても3月1日生まれになる人の方が大多数なので、誕生日の祝福には得策じゃないです。2月29日生まれって響きに憧れるのは本音だけど。
 ところで、如月さんの性格や才能は星占いによって完璧に裏打ちされてしまうんですけど、これはそんな性格だったから2月28日に生まれたのか、それとも2月28日に生まれたからそんな性格になったのか、単なる偶然なのか、どれでしょう。
 
 そもそも「選択は2つにひとつ、現実逃避の人生か、それとも人に尽くす献身的な生活か」と言い切られてしまう星の下って、どちらを選んでも幸せになれなさそう。
 
 
  
■3月2日 危機的状況下において。
 
 暴力を振るったことって、無いはず。誰かを叩いたとか殴ったとか噛んだとか。厳密に言えば、何でやねーんと軽い気持ちで重いツッコミを入れた時に本気で痛がられたことはありますけど、力加減を誤るのはツッコミに有りがちな過ちなので、許して。
 そんな暴力も、自分や他人の身を守る為に必要とあらば行使せねばなりません。しかし、いざその状況に陥った時に行使出来るのか、自信がありません。
 
 最近、襲われたり殺されそうになる夢を見ます。普段は穏和で優しさに満ちた如月さんも、降り掛かった火の粉は払わねばなりません。ここぞとばかりに唸らせる拳、必殺猫パンチ炸裂…とはならず、腕が水中のように重くて力が込められなかったり、相手が気の毒で手加減してしまったのか全然効かなかったり、散々な結果が待ってます。
 
 己の非力さに悔しがって大抵、目は覚めてくれますけど。この夢が現実の暗示なら、不安。
 
■3月3日 不足してない時期はいつ。
 
 今日届いたのは、大阪府赤十字血液センターからの封筒。曰く「この時期は極端に献血をする人が減る」「輸血用血液が例年になく足りない」とのこと。ある掲示板で「美容院で担当してくれてたお姉様が退職されて以来、悲しみが止まりません」と相談したら、心優しい方から「献血ルームに出会いを求めなさい」と回答されたばかりの如月さん、まさに渡りに船です。
 
 献血は毎年毎時期、同じお願いが繰り返されているような。
 
■3月5日 読んで欲しすぎて。
 
 本を読み終える。色々と思うところある。誰かと感想を語り合いたくなる。さて、どうしましょう。今なら書名を検索するだけで批評が見付かるし、サイト持ちなら自分の感想も発信出来るし。本に限らず映画やゲームに触れる度に生まれる「意見を分かち合いたい願望」も、お手軽に叶えられます。
 インターネットに手が届かなかった頃、どうしても感想を語り合いたい時は、勝手に人様の靴箱に潜ませてました。暗に読んで感想を聞かせるように強要していた訳で、本当に迷惑な奴です。それも1冊ではなくてシリーズ単位で、最高で1度に8冊を詰め込んで、靴箱を本棚に化かした時も。怒られなくて奇跡。
 
 そんなだから、初めて作ったサイトが書評系になったのも自然の成り行き。
 
■3月6日 自分だけのツィギー。
 
 ツィギーの写真を見たいと数年前に思ったのは、磯尾克行『おしゃれカクテルオーダーブック』がきっかけ。有名外国人女性から連想される熟語に、イメージの合うカクテルを紹介した本です。例えば、ナタリー・ポートマンだと「深遠」でスカイブルー、メグ・ライアンであれば「直感」でダイキリ、等々。
 
 いくつになってもお酒には飲まれてしまう如月さん、この本を買ったのはカクテルの勉強をしたかったからではなくて、女性たちの略歴紹介と共に描かれた吉岡ゆうこによる人物イラストがお洒落だったから。
 その中でも絶品なのが、ツィギーでした。顔のあどけなさも、肢体のしなやかさも、バンビが生まれ変わった女の子みたい。美化の有無はさて置いて実物を見てみたいと願っていたら彼女が来日し、テレビで幾度と見る機会に恵まれました。
 
 どうやらイラストで抱いたイメージは、その中だけで完結すべきみたい。
 
■3月8日 神様の視線。
 
 ここの文章。好きな時に好き勝手に書いてるつもりなのに、実際にはそうでもない不思議。ウェブサイトには書き手が想定していない読み手が現れる恐れ潜んでおり、知られたくないことや話したくないことについて及び腰になっても仕方ありません。
 
 2001年の12月頃。周囲からの雑音で入り乱れていた気持ちを整理したくて、鉛筆とノートで日記を綴った時期がありました。3日間続きました。読み返すには相当に勇気のいる痛い内容で、机の引き出しの奥にしばらく寝かせてから、破り捨てて証拠隠滅。
 そこに何を書いたか、既に覚えていません。ただ、そんな誰の目にも触れる心配の無いプライベートな日記すら「誰かに読まれる恐れ」を否定出来ずに、事実から生じる綻びを理想で取り繕っていました。今と変わりませんね。
 
 好きなことを、好きな時に、好き勝手に書く。その難しさを克服する方法はあるのでしょうか。
 
■3月9日 今年のF1纏め。
 
 今年もフェラーリはご無体に強くて、許して下さいと思いました。佐藤琢磨は惜しかったです。昨年は一戦毎に感想を書いてましたけど、開幕戦を見る限り今年は全戦同じ結果に終わりそうなので、上記をもって今シーズンの纏めとします。F1ファンの皆様、2005年に再会しましょう。
 
■3月10日 酸素が足りない。
 
 さっきまで息を止めていた──体が自然と行ってくれるはずの呼吸が、意識しないと出来ない時があります。不器用者に2つの作業を同時にやれと言われても無理で、元通り無意識化で呼吸するまで何も手付かずに。体中が妙な緊張状態かも。
 
 左右確認を忘れて死んだ人はいても、呼吸を忘れて死んだ人はいないだろうから、多分大丈夫。
 
■3月12日 邪な献血者。
 
 昨日、久々に献血に行きました。いい人ぶりっこな如月さん、社会の役に立てて清々しい気分。体から血液を抜かれたついでに、心から毒気も抜かれたのかも。でも、ご褒美に貰った玉子1パックは微妙。雨も風も強い日で、こんな持ち帰りに気を遣う品物は嫌がらせに近いですってば。
 
 尚、素敵な出会いに巡り合うなんて全くありませんでした。もしや騙されたか。
 
■3月13日 不具合モデム一部始終。
 
 どこのサイトにもリンクアップしなくなって、モデムの設定画面へ。故障かメンテナンスか障害かとループバックテストを行うと、正常とのこと。
 設定に目を光らせて、怪しい箇所を発見。パスワードの欄、文字数が違う。入力フォームが文字非表示なのでコピー&ペーストで確かめれば、全て半角スペース。い、いつの間に。ここを修正したら直るねヨカッタネと思いきや、保存が出来ない。変更を反映しましたと表示されても、反映されない。焦る。
 
 モデムが原因と決め付け工場出荷時の設定に戻したいが、ボタンの位置がわからない。ほとんど読んでいない説明書を取り出して、悪戦苦闘の末にリセット。リセットの証拠の起動ランプを見て、再び設定画面へ。すると、さっきまでのログインIDやパスワードが見事に残っている。
 その時に初めて、メニューに初期化の項目があると気付く。不具合の解消に役立ちそうな単語だと、リセット計画が失敗した今なら躊躇無く押せる、ぽっちーん。よし、今度は全部消えてくれた。必要な情報を入力し直して、保存も問題無し。やったねーと喜んだのも束の間、リンクアップが出来ない。もしやと恐る恐るパスワードの欄を見ると、また文字数が違う。全て半角スペースに置き変わっている。ふて腐れて眠る。
 
 翌日。前日の出来事を忘却して、ドリームキャストの電源をオンにして、インターネットに接続している自分が。後に思い出し、あのパスワードの現状を見直したら、文字数違う&中身半角スペース。これで普通に繋がっていていいの?
 
■3月15日 誰も知らない秘密の場所。
 
 誰も知らない自分だけの秘密を、守り続けるのは難しい。話したい誘惑に負けて漏らしたり、元から同じ秘密を共有する人が他にいたりして。自分の抱える秘密が真に秘密にされることって、少なかったりする。
 完全なる秘密を持っていたとしたら、ちょっぴり嬉しい。君にも、貴方にも、あの人にもバレてなく。数多の人間が生きる世界に自分だけしか知りえない事実があるなんて、特権階級みたいで威張りたくなる。
 
 そんな空想を描いた如月さん、自分だけの秘密を自力で作ってみようと思い立って仕込んでみました。隠し場所は物理的で、変哲の無い風景の中だから誰にも見付けられず、少しのきっかけで気付く人が現れるかもしれない、微妙に揺らぐベールの向こう側。
 
 その秘密が秘密の形を維持したまま、いつかどこかに伝わる瞬間が訪れることを、淡く期待して。
 
■3月17日 割りかし読んでる。
 
 今年は頑張って読書しています。さらりと蔵書整理してみると。
 
 
宇宙でいちばんあかるい屋根 (野中ともそ)
小説ヤダモン 上 (面出明美)
・小説ヤダモン 中 (面出明美)
・小説ヤダモン 下 (面出明美)
ポプラの秋 (湯本香樹実)
ぶどうの木 (坂本洋子)
ブルー・ポイント (日野鏡子)
・バンド・クエスト 1(深沢美潮)
・バンド・クエスト 2(深沢美潮)
カラフル (森 絵都)
魔女の宅急便 その4 キキの恋 (角野栄子)
・リリイ・シュシュのすべて (岩井俊二)
・明日も元気にいきましょう (新井素子)
 
 
 13冊も読んでれば十分。本棚で待機中なのも4冊あり、本に全然触れない人が多くを占めるらしい世の中で、出版業界にとっては救世主なはずです。明らかに新刊で買っていない、古いのが多めなのはともかく。趣味は読書です、と言うのが趣味なんです。
 
■3月18日 季節一巡り。
 
 日記を書き始めてから1年が過ぎました、と言いたかった日から2日過ぎていました。あらら。まだまだ先の話だと思っていたのに、油断大敵。
 2日以上の間を開けずに更新し続けられたのは自画自賛相応で、以前のサイトだと短い近況を1週間に1度書き換えることすら出来ませんでした。日記に時間を取られて、他のコンテンツが手付かずになったり、余所の掲示板に顔を出さなくなったりはしました。
 
 どこまで書けるかわかりませんけど、なるべく続けられますように。
 
■3月19日 ましまろ消費量8袋。
 
 マシュマロを食べると背が伸びる、そんな耳寄り情報を入手したのは先月20日。苦手な食感と強烈な甘さに負けそうになりつつも、普通・苺・葡萄の3種類の味を駆使して、一ヶ月間ずっと食べ続けました。この話が本当であれば効果が目に見えてもいい頃なので、今日は身長測定を。
 柱に印を付けてから始めたので、そこで確認しましょう。高鳴る胸を抑えて柱に背中を合わせます。
 
 えっと、どちらかと言えば、縮んでいますね。
 
■3月20日 ぷよぷよ連勝数13勝。
 
 ルールもシステムも感覚も過去作から変更され、お初の時には散々だった『ぷよぷよフィーバー』。あれから数プレイ後には無事にエンディングを迎え、通算20クレジットは投入した現在は乱入されても平気に対戦をこなせる程に成長しました。ちょろい。
 続々と乱入された本日の戦績は13勝1敗。如月さんは自らは乱入しない気の弱い人なので、負けたらすぐに帰りました。最後の方に連コインしてまで勝負に挑んでくれた貴方、時間も無かったのでお許しあれ。
 
 1クレジットで2時間近く過ごせて、コストパフォーマンスの高さがゲームセンターの好きなところ。
 
■3月22日 何冊あるのやら。
 
 歌詞用、夢日記用、落書き用、イラスト用、外出先と購入品の記録用、知らない言葉の意味をメモする辞書用、インターネットのID・パスワードの一覧用、歌詞に使えそうな単語の保管用、歌詞に使えそうなフレーズの保管用。
 現在使用中のだけでこんなにあるのが、ノート。気に入ったデザインがあればついつい買ってしまい、使われる為に生まれた文房具を使わずに置いておくのは心苦しいので、細々と用途を分けて仕事を与えてあげてます。
 
 買ったものを使わないのは心苦しいから無理してでも使え、が本音。
 
■3月23日 そんな食生活でも。
 
 昨日、大阪府の赤十字血液センターから葉書で、血液検査の結果が届きました。久々の献血の目的がこれで、待ち詫びていました。
 内心ビクビクしつつ開ければ、全ての値が標準値。大きな文字で「これらの検査項目で、あなたが健康であるか否かを判断することはできません」と書いてあっても、異常があるよりは良いに決まっています。あと、併記されてる前回は標準値ギリギリが多いものの、今回はほとんどが標準値に寄っている点にも安心しました。生活が健やかな証拠ですね。
 
 そんな如月さんの健康を支える朝食は何年も前から毎日、即席麺だけ。それでいいのか。
 
■3月25日 私の辞書に無い単語。
 
 最上等から最下等のまでの意味、ピンからキリまで。この慣用句、おかしい。だって、ピンよりキリの方が値段も役割も上でしょう。ピンはカレンダーを壁に刺し止めるアレで、キリは板に穴を開けるソレのこと。何十本で売られているピンと1本で売られているキリ、指先で摘むピンとしっかり握れるキリ、絶対に後者の方が上等なのに意味が逆になっています。
 自信を持って力説してきた如月さん。自信を確信に変える為に一応、辞書で調べました。
 
・ピン
〔ポルトガル語 pinta(点の意)の約か〕第一番。最上等のもの。
・キリ
〔クルスの転か。クルス(十字架)すなわち「十」の意からきたという〕最後のもの。最低のもの。
 
■3月27日 のんべんだらり。
 
 ひもじくてひもじくて食べ物の幻覚が浮かんでしまうような時は、どんなに口に合わない苦手な料理だって美味しく食べられるはず。お腹がいっぱいであっぷっぷな時は、許されるなら結婚したいくらい大好きさなご馳走すら、香りだけで気分が悪くなる。
 満たされている時は満たされたくなくなる。この法則に従えば、どんな曲を聞いても耳障りな時は、むしろ心が幸せと言える。
 
 カヒミカリィの新譜の2トラック目以降を聞きつつ、そう考える。
 
■3月28日 キサラギヤヨイ(Kb).
 
 鍵盤楽器が演奏出来るようになりたいって小さい頃から思い続け、念願の自分専用キーボードを購入したのは99年のこと。これから毎日練習して絶対に弾けるようになろうと決心したにも拘らず、なぜか三日と保たれた形跡がありません。
 ほとんど触りもせずに自室の隅に追いやられたキーボードは、チャッピーのバスタオルやUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを飾るのにぴったりで、とても重宝しています。年1回くらい自作着メロを作りたくて聴音したりと、インテリアと楽器の両方面で大活躍。家電店の閉店セールで店頭価格の6割引で購入したことも踏まえ、最高のお買い得感だと言えます。
 
 志半ばで諦めたキーボード奏者を今度こそ目指そうと息巻いた先日、初めて教則本を買いました。そもそも、独学で可能だと考えていたのが甘い。指導さえあれば従いますから、上手にならない訳がありません。
 適当に吹けば音は出るトランペットと違い、最初に色々と覚える必要がある楽器の難しさに苛立ちつつ。勝手に動いてしまう右手の指と、命令しても動いてくれない左手の指を仲良く喧嘩させて、2日で15ページ目まで進みました。上達の糸口が無かった者にすれば大幅な進歩です。よっしゃ、飽きた。
 
 演奏知らずのキーボードは今日もいつもの場所で、チャッピーの浴衣姿を飾っています。これからもよろしくね、貴方にしかその仕事はこなせないと思う。
 
■3月30日 お茶会の悲劇×4個。
 
 貧相なお菓子に豪勢にもフィギュアやシングルCDが付属する、流行りの食玩を買いまして。収集癖に乏しくて縁遠い存在でしたが、ディスカウントストアで見掛けたある商品が衝動的に欲しくなり、2個購入。ただ、おまけは全6種だから被らないよねと何の心配もせずに開封すると、全く同じ物が現れました。
 この雪辱を晴らそうと、翌日も買いに走りました。同じ店で、同じ商品を、同じ数。確率的に今度こそ違うのが入っているはず、と確信に満ちて開封します。
 
 もう食玩なんて、買ってやんない。
 
■4月1日 嘘のない日。
 
 4月1日が特別な趣旨を持つ日だと教えてくれたのは、『ドラえもん』のコミックでした。そのせいか今でもエイプリルフールと言うより、四月バカってフレーズの方が身近に感じます。酷い名称です。バカは馬鹿ではなく莫迦と書く宣言をしてますが、「四月莫迦」だと岩井俊二の映画『四月物語』みたいな字面でややこしい為、今回は特別措置で妥協しました。
 
 日頃から嘘まみれで過ごしてるので、4月1日に嘘をつく必要は感じません。同じような心当たりのある人は、今日だけ素直になってみるのもよろしいかも。
 
■4月3日 事故の連鎖。
 
 スーパーの店頭で倒れたパラソルの先端が突き刺さって主婦が死亡とか、公園の遊具で複数の児童が指を切断とか。ここ数日ごくごく近所で、全国ニュースになるような事故が連続して発生しました。どちらの現場も頻繁に通るので、もっと怖がるべきかもしれません。例の回転ドアで起きた事故もそうだったように、日常にも結構な危険が潜んでいますね。
 先月の中旬頃、強風に煽られた立て看板が目の前に勢いよく倒れてきました。倒れる瞬間に偶然、ふと立ち止まったのでぶつかりはしなかったんですけど。そのまま歩いてたら、と冷や汗。
 
 次の被害者が自分にならない為に、気を引き締めて外出した方が良さそうです。
 
■4月4日 会話シミュレーション。
 
 子どもの頃からの空想癖が大人になっても維持されている如月さん、無意識の内にどこかの誰かさんと脳内会話を延々と続けるのも珍しくありません。相手の人選は見知る知り合いか見知らぬ第三者で、芸能人や著名人のような、中途半端に知識を持つ人物とは話せません。あと、相手を自由に選ぶのも不可。
 この会話に進行形で気付く、頭の中に「会話中の自分」「会話中の相手」「今を認識する第三者」と三つの人格が同居して、奇妙な感覚に。これって凄い特殊能力かも、と変に浮き足ちだちます。
 
 この会話のシミュレーション、実際に当人と話す時に役立ちはしません。どんなに頭の中で多弁になっても、現実に反映はされないのです。
 
■4月6日 放送禁止3ストーカー編。
 
 フジテレビ系列の深夜番組『放送禁止3 ストーカー地獄編』を見る予定の方は、この先を読まないで下さい。関東・関西地区にて放送済です。前作については昨年7月22日に。
 
 伏線も結論もよくわからず、前作の方が面白かったです。関東で放送されてから番組名の検索で自分のページに来る人がたくさんおり、こんなに検索されているなら上出来だったに違いないと期待していた分、感想は余計に否定的になりました。
 前作の肝は丁寧なトリックで視聴者が気持ち良く騙された点だと思いますが、今作では配慮が足りなくて最初から「ノンフィクション風フィクション」だと自白しちゃってますよね。特に役者の演技力に問題がある場面には拍子抜けでした。
 
 そんな初見の感想の後、番組の趣旨に何一つ気付けていなかった、愚かな自分を恥じることになります。
 
 制作の方々、なじってゴメンなさい。真相に迫る情報を手取り足取り教えて下さった、インターネット様に感謝を。ストーカーに殺された兄の存在も、逆さに現像された写真も、新幹線の絵も、母親と子どもの演技の下手さも、最後の隠し撮り映像も、ニュースの音声も、意味を全然理解してませんでした。それで面白くなかったとか、戯言を言ってしまいました…。
 
■4月8日 恥ずかしさを忘れたい。
 
 消したい記憶は、数えてられないくらいあって。なんて言っても、第三者に話すと差し障りがあるような酷い経験がある訳ではなくて、本当に小さくてどうでもいい内容なのばっかりです。
 
 それぞれの記憶に共通してるのは、大なり小なりの羞恥心。小さめだと人違いをしちゃった時とか、勘違いしていた知識がバレた瞬間とか。大きめのだと、後々考えると赤面ものな台詞を偉そうに語ってしまった、若かれし頃の思い出が代表格です。
 その手の記憶が回顧された時に胸の辺りに発生する、むずむずした感覚が大の苦手。くすぐったさに極めて弱い為、あんな時代もあったねときっと笑って話せなくて、数秒とて耐えられません。
 
 どうにか誤魔化そうと呻いてしまいますが、むしろそっちの方が恥ずかしい。
 
■4月10日 知らないことだらけ。
 
 最近よく、知識の乏しさを実感します。謙遜ではありません、自虐なんてまっぴらゴメンです。
 
 最も乏しい知識は、地名です。地名と言っても都道府県の位置や県庁所在地であれば無知でも珍しくありませんが、如月さんの場合は無知の次元が違って、近所の地名を全くと言っていい程に覚えてないんです。
 地元のお店を調べる時は、インターネットタウンページで検索して住所を確認してから、いざ出発…の前に、マピオンで地図の確認を欠かしません。それでも現地に行くと生粋の方向音痴なのが災いして迷い迷って、頼みの綱である携帯電話のGPSを起動。こんなにも住所に疎い奴が郵便局のアルバイトで外務を担当していたのって、自分でも如何なものかと思います。京都府の田舎の郵便局に初めて通った日、配達中に本気で迷子になった過去は超極秘です。
 
 乏しい知識は他に、料理とか被服とか髪型とか音楽とか。わかんない言葉は素直に調べて納得して、すぐに忘れてしまうんです。パエリアって、カットソーって、ボブって、オルタナって、一体全体何なのさ。
 
■4月11日 悪い意図での自己犠牲。
 
 拡大連座制。自陣営の秘書や責任者が公職選挙法に違反すれば、当選が無効になる制度。選挙後には必ず報道で使われる言葉ですが、如月さんはある疑いを持ってしまいます。逮捕された者が当選人を憎んでいた線は考慮されるのかと。
 そんな腹黒さを隠して選挙活動に尽力し、当選への熱意余って法を犯した様に装い、拡大連座制を利用して平和的に当選人への復讐を果たした、とか。有り得ないとは言い切れないはずだけど、そんな輩を雇ってしまったのはお気の毒で制度は制度だからと済まされてしまうのでしょうか。
 
 自らを法的ないし物理的に犠牲にして他者へ傷を負わすのは、自白さえしなければ真相は闇の中。故に、本来されるであろう非難を容易に回避しつつ、望み通りの見返りが期待出来る。例の事件の第一報を聞いて、こんな風に思いました。
 
■4月13日 とっとこに咲く向日葵。
 
 その昔、アルバイトで生花売り中、パートさんに「如月くんの好きな花は何?」と訊かれたものの、反射で「特に無いです」と答えてしまい、話題を広げられなかった失礼を懺悔しつつ。そんな風に花を愛でる気持ちを少しとて持ち合わせなかった如月さんも、今では何となく好きな花があります。それが、向日葵。
 理由やきっかけは思い浮かびません。好きな花は向日葵だって既成事実として勝手に決めて、文句を言わずに従ってるような感じ。別に嫌いになる必要もないし、街角で見掛ければ嬉しいし、まーいいやって。向日葵は夏を代表する花で、如月さんは夏が最も苦手な季節で、水と油の関係のはずなんですけど。
 
 思い当たる節は、2つ。川本真琴の唄う『ひまわり』が名曲で一時期よく聞いていたせいか、はたまた「だーい好きなのはー、ひーまわりのたねー♪」と一時期よくハミングしてたせいか。
 
■4月16日 時には真面目な話を。
 
>カウチポテトで
 
 時として率先して何もしないのこそ、極めて有効な人助けの手段にならないでしょうか。
 雪山で遭難した仲間がいたとして、周りの制止を無視して深夜の猛吹雪へ向かってしまった者と、二次遭難の危険を回避する為に明け方まで安全な場所で待機した者を比べた際、どのような結果になろうと前者は非難されるべき行動であり、後者は非難される理由のない行動になると、私は考えます。
 
 もちろん、待機した者の思惑は様々です。聡明な理屈の末の者もいれば、自己保身だけの者もいれば、何も考えない者もいれば、遭難者を罵りたいが為の者もいます。
 しかし、結果として事態を悪化させない努力をした点では共通であり、何もしなかった故に非常に広い範囲で歓迎される有益を自然と生み出すことに成功した、とは言えないでしょうか。そしてそれは、己の無謀な行動で恐ろしい程の多方面に迷惑を掛けることよりも非難されるべき、愚かな判断なのでしょうか。
 
 少なくとも私は、そうだとは思えないんです。
 
 
>名無しのネット右翼
 
 この世には、甘党の人と辛党の人が存在します。Aさんがとっても美味しく頂くデザートも、Bさんから「甘すぎて食べられない」と、正反対の評価を下されることが間々あります。この時、納得のいかないAさんは「きっとBさんは辛党だから、甘いものは苦手なんだな」と、その原因をBさんの味覚に求めるかもしれません。
 しかし続けて、Cさんも、Dさんも、Eさんも同じく「甘すぎて食べられない」と口を揃えた時。Aさんは「Bさんが辛党だったんじゃなくて、私が甘党だったんだ」と考えを改めることになります。
 
 この世には、甘党の人と辛党の人がいます。でもこの世に圧倒的に多いのは、ごく普通の味覚を持つ人です。つまり「このデザートは甘すぎる」と言う自分にとって違和感のある声が目立った場合、その原因は声の主の趣向や価値観ではなく、デザートそのものにある可能性を考慮した方が理に叶っています。
 
 ○○さんの書き込みを通して読んでいると、いわゆる「右・左」に基づきすぎた印象を受けたので、それはもっとこう解釈した方が自然じゃないかな、とか思って書き込みました。
 
 
 毎朝ログが消える掲示板で先日の深夜に書き込んだ文章を、勿体無いので加筆修正して本日分に。
 
■4月17日 めちゃ×2責任転嫁。
 
 何が悔しいって、今日の『めちゃイケ』を見逃してしまったこと。大袈裟と言われそうだけど、通常放送ではなく恒例の「濱口どっきり企画」だったのに。グッチョン・スカイウォーカーに、生放送中カラオケ合コンに、ソニンに、桐堂大学に。どれもこれも大笑いさせてくれた名作で、また悔しくなってきました。
 
 元凶は春のスペシャルにおける「ヨモギダ企画」で、これの予告を見て『めちゃイケ』から離れていました。そしたら最も大切なところまで見逃してしまった訳で、自責は少しもありません。
 
■4月19日 動物を愛せし人。
 
 動物ってテレビに映っていると、あまりの愛らしさに見入ってしまいます。特に好きな光景は、小さな体躯に逞しい四肢をした子どもが仲間と戯れる姿で、虎やライオンが該当。その様は可愛いには収まらず、健気であり、無邪気でもあり、それでいて強そうで格好良い。生命として完璧な外見でしょう。
 ネコ科に特別な眼差しを注ぐ如月さん、犬派か猫派か問われれば当然後者。従順な犬に愛想を撒かれるより、気紛れな猫に振り回される方が楽しそう。これは尽くされるより尽くしたい、優しい性格をしている証拠だと思っていますが、それを口に出すのは下品なので止めておきます。誤解されないように言っておくと、犬も愛していますよ。犬種は知的かつ高貴な雰囲気の、コリーがお気に入りですね。
 
 動物って、テレビに映ってる分には大好きです。テレビに映っていない分には、超苦手です。街角で犬や猫が寄って来たら逃げます。だって、怖いでしょ。
 
■4月21日 奥付のトリック。
 
 数日前の朝刊の読書欄に、「奥付のトリック」と題された記事がありました。ある出版社では奥付の刷り部数の上乗せが通常的に行われており、これは読者側からすればルール違反ではないのか、と言った内容。
 
 これを読んで残念な気持ちになりました。本を買う前に刷数を確認する人は多くはないでしょうけど、少なくもないと思います。初刷り優先主義者もいれば、乱丁や誤字等が修正された可能性が上がる二刷り目以上の方がお得だと感じる人もいて。自分は後者で、今までの売れ行きや店頭に並んでからの期間を、発売日と刷数から想像します。奥付には買うか否かを決める為の、幾つもの判断要素が詰まっています。
 そんな大切な情報の捏造が罷り通れば、出版社にルール違反を突き付けたくもなります。雑誌・書籍の出版部数や、ゲーム・CDのセールスや、スポーツ・コンサートの観客動員であれば、宣伝効果を考えて実数から離れた発表をするのも理解出来るんですけど。奥付よ、お前もか。
 
 奥付が将来、映画の「大ヒット上映中」や新商品の「大好評発売中」みたく、最初から誰も信じない売り文句と同じ無価値なものになったら。信用していた者にとって悲しいですね。
 
■4月23日 モーマスご乱心。
 
 モーマスがカヒミカリィに提供した『Cat From The Future』は至高の名曲。その素敵さの源は英詞で語られる切なさ溢れた物語で、以下に粗筋。
 鎌倉時代、恋人からの愛情が足りなくて死んでしまった少女が、遠い未来に輪廻転生で猫として甦る。そこは自分たちの過ごした茶室も神社も消え、大気汚染で月も見えない世界。恋人と過去の世界が恋しい彼女は時折、タイムマシンに乗って昔の恋人の元に戻る。彼に「未来からやって来た猫を怖がらないでね」「私がお化けに見えても怖がらないでね」と囁きつつ。
 
 泣かせるねぇ。ニクいねぇ。そんな如月さんもベタ誉めなモーマス、何をしてはるんですか…?
 
■4月24日 心は教授。
 
 キーボード、弾いてます。飽きた飽きたと言い放ちつつも、次の日には飽きたことに飽きてまた弾いてたりして。そんなこんなで楽器としての復権を数年越しで遂げたキーボード、3月28日分は撤回です。
 再開したのは坂本龍一の楽譜集を買ったからで、自分における『Merry Christmas Mr.Lawrence』の存在の大きさを知れました。楽譜に目を通すと、この曲だけは演奏出来るようになりたいって、自然と沸き上がってくるんです。今は片手でメロディラインを追うのが精一杯で、この先どんなに練習したところで上達は見込めないでしょう。でも、それで構いません。
 
 自分の指先から自分の好きな旋律が生まれてゆくのは、拙く未熟な音色しか奏でられなかったとしても、素直に嬉しい時間だから。
 
■4月25日 小さい頃は信じてた。
 
 小さい頃は、正しさこそ何より強いと思っていました。良心とか、モラルとか、マナーとか。この世には一寸の隙もない程に万人から正しいと認められる事柄があり、その価値観に従うのは人間として当然で、従わずに我を通すのは未熟な証拠で、大人も子どもも公平に裁かれるんだって、信じてた。
 時として正しくないことが幅を利かせる状況も多々あったけど、それはほんの小さな綻びみたいなもので。やがては正しいことが取り繕ってくれるはずだって、信じ込んでた。
 
 そして悲しくも、その想いは絶えず裏切られて。どうして正しいことが正しくないことに踏みにじられて、こてんぱんに負けちゃうんだろう。全知全能の貴方なら、何が正しくて何が正しくないかわかるはずでしょうと、どこにいるのか知る由も無いのにどこかにはいるだろうと期待していた、皆から神様と呼ばれる存在にまで疑問を投げ掛けたりもしたけれど。解決を見い出せなかった不思議は、如何なる理不尽への嫌悪感を育てる糧となり、やがて消えてゆきます。
 
 今となっては、暴力こそが何より強いと認めざるを得ません。
 
■4月29日 お茶猫おきあがりこぼし。
 
 伊藤園の「お〜いお茶 新茶」ペットボトルに、おまけが付いてました。
 
お茶猫おきあがりこぼし

 品種はさくら茶猫、名前はサクラ。パッケージ曰く「転んでもすぐに立ちあがることから粘り強さと健康の象徴として縁起が良いとされています」とのこと。
 
お茶猫たおれてるこぼし
 
 遠慮なく倒しました。
 
お茶猫おきあがらないこぼし
 
 起き上がってくれませんでした。
 
 えっと、縁起悪い。
 
■4月30日 よしなに。
 
 お休みします。ちょっとか、しばらくか、ずっとか、わからないけど。何もわからないので。自分が書いた文章や作品を読んでもらえるのはとても嬉しいことで、お礼を伝えたい気持ちでいっぱいです。そんな1ヒットの贈り物を与えて下さった方々へ、ありがとうございました。
 
 
  
■7月1日 ただいま。
 
 唐突に長々とお休みしてました。半ば自分の中で義務と化してしまったサイトの更新に時間を取られることがなくなったお蔭で、ばたばたしていた日常が楽に過ごせるようになったり、放置していた懸念事項を解消出来たりして、今は新鮮な気分です。それが良い意味ばかりではないとしても。
 予告無く更新を止めてたら不慮の事故で死んだと思って、と書いたことがあったので何かしらのお知らせを残しておかないと駄目でした。よろしければ再び、お付き合い続けて下さい。
 
■7月3日 緊急のお知らせ。
 
 早速、やらかしてしまいました。リンクのミスに、誤字に、脱字に。日記を再開して僅か1日で更新において考えうるあらゆる失敗をしちゃった訳で、気がついた時には恥ずかしくて恥ずかしくて、この機会に恥知らずになってしまおうかと思いました。
 
 もちろん速やかに証拠は隠滅させたので、これ以上の恥ずかしさを味わう心配はありません。
 
■7月5日 0120-445-445.
 
 それは長い間、掛けようとしては掛けずにいた電話番号。ようやく指でなぞったのは、2週間前。
 
 そこで送ってもらうよう頼んだ資料は二日後に届き、意外なまでに薄い冊子と手書きの宛名に拍子抜けさせられつつ、とっくに隅々まで読んだけど。予約を入れるとなれば、平日の昼間にしか繋がらないのは不便だとか、時間を潰して出向く手間が惜しいとか、次の行動を躊躇してしまう自分がここに。
 
■7月7日 佐藤琢磨の表彰台。
 
 約16年前からF1を見始めた者としては、先日の「佐藤琢磨、鈴木亜久里以来となる14年振りの日本人表彰台」なんて大ニュースは早く取り上げたい話題でしたが、今の破竹の勢いだと間近のフランスGPで更に上の結果を記録してくれそうな予感がした為、待ってみました。そしたら見事にレース序盤、マシンの後方から白煙が立ち上がって。今期6度目となるエンジントラブル、お馴染みの光景ですね。
 
 気を取り直して。14年前と言えばF1ブームの真っ只中で、如月さんはミーハーな「中嶋悟ファン」でありました。だから、鈴木亜久里が日本人初表彰台を獲得した時は、嬉しさよりも悔しさが大きかったのを覚えています。後輩が先輩より先に立っちゃうとは、中嶋も入賞はしたのに喜べないと。
 その後、中嶋は淋しくも表彰台を知らずに引退し、亜久里も中堅チームで大した成績は残せず。日本人ドライバーの命運は片山右京に託されます。
 
 デビュー3年目の94年に予選で信じられない速さを見せ、決勝ではあっさりリタイヤしてしまうレースを繰り返す様はまさに「カミカゼ」でしたが。95年から引退までの丸3年間は完走も一苦労となり、その間に幾度と口にした「次、頑張ります」の約束は二度と叶えられませんでした。
 日本中の期待と落胆を背負わされた彼の表情は、インタビューや雑誌記事で常に悲壮感を漂わせ、気の毒に思ってしまうくらい。だからこそ、心の底から応援出来たんですけどね。予選でたまにチームメイトに勝っては嬉しくなり、最後方だろうが無事に完走したら安堵してしまう、本当に好きなドライバーでした。
 
 そんな経歴の持ち主が生中継の解説者で。琢磨の走りに感激しつつ「僕としては(現役の時にこんな結果が残せず)、申し訳無い気持ちでいっぱい」と声を震わせるものだから、胸が熱くなりました。
 
■7月8日 おっちょこちょい・4。
 
 第一段第二段第三段に続き、第四段。
 
 季節は今や、肌が弱すぎる如月さんと非常に仲の悪い夏へと移り変わり。例によって例のごとく、色々な場所の皮膚が湿疹に侵されています。今年は普段より展開が早く、先行き不安中。
 手の甲がよく、痒くなります。その時、力の加減を知らない掻き方をする為、すぐに大荒れの状態になります。痛いは痛いけど、痒いよりは我慢出来ますから。そして自らの手で傷付けてしまった肌にはせめてものお詫びとして、メンソレータムを塗布。
 
 そんな手の甲でついつい、目を強く擦ってしまったとさ。うぎゃ…!
 
■7月10日 CECILと選挙のコラボ。
 
 明日は、参院選の投票日。喜ばしいことに公示日から今日まで、選挙カーと街頭演説に遭遇しませんでした。よしよし。
 
 ここで、CECILかChappieかセラニポージが好きな関西在住者で、尚かつ月曜日の未明から早朝にかけて起きている予定の方に、お知らせがあります。
 前回の衆院選にて朝日放送が投票日明けの早朝、CECILの『super"shomin"car』や『楓風の街』をBGMに、各地の開票結果を繰り返して流してました。あまりのミスマッチさに半笑いである方の掲示板に書き込みましたが、前回見逃した「ゆきちマニア」な方は、駄目元でチャンネルを合わせてみて。
 
■7月11日 私が投票しない訳。
 
 投票権を行使しない理由は人それぞれだけど、多分「興味が無い」か「行くのが面倒」で大半が占められるでしょう。有識者やマスメディアから発せられる投票率の低下を嘆く声が大きくなるにつれ、投票するのが当然との論調が一般的な価値観で正当化されて。如月さんとしては耳が痛く、更には困る風潮です。
 
 正しそうな結論の前でも、実は多くの人にとって思いもよらない理由で投票をしない人がいるかもって、想像してくれたらありがたいのに。
 
■7月13日 あこがれない歯血。
 
 今になって『ちびまる子ちゃん』のコミックを全巻揃えまして。第1巻に『あこがれの鼻血』って、本編と別枠の短編があります。体が丈夫な幼稚園児の作者が周りに心配されたくて鼻血への情熱をたぎらせるも、その願いが通じたのが独りでお留守番中で、流れまくる鼻血に泣き叫ぶも助けてくれる人はなく「こんなはずじゃなかったのに…」となる、そんな粗筋。
 これを小学生で初読した時には気付かなかったけど、同じような年頃に同じような経験していました。
 
 あれは幼稚園か、それ以前の頃。体が丈夫でもなければ鼻血に憧れてもないのに、家に独りだった共通点のみで彼女と同じ道を歩んでしまったのは、一つの過ちが原因。プラスチックのおもちゃがあって、それにはめ込まれていた長細い部品を取り外したかったんです。取り外したかったんですけど、当時の弱々しい指では力が足りません。
 そこで思い付きます、指で無理なら歯があると。部品を歯で噛みつつ、両手で本体を引っ張れば絶対に外れてくれるはず。両手でおもちゃを持み、歯で部品を噛み、えいやぁと両手を動かしたその瞬間  噛みしめた細長い部品は上の前歯の隙間へ吸い込まれるかのように移動し、挟まっていました。
 
 あら大変。思いもよらぬ展開に戸惑いつつ引っこ抜こうとしますが、深い位置に強く挟まっており、びくともしません。一生このままはまっぴらゴメンなので、必死に引っ張りました。まさに自分との戦い。
 5分くらい経って、如月さんは勝利を収めました。ただ、悲しいかなそれは自身が多大な犠牲を払って成り立ったもの。勝者の目の前には、この騒動の元凶となったおもちゃとは別に、真っ白な色をした小さな「何か」が落ちています。
 
 口の中にあるべきはずの物が1本失われて、ぽっかり開いた箇所からとめどなく溢れる鮮血に泣きそうになりながら。1箱分のティッシュで堰き止めていた如月さん、それはそれは哀れで間抜けな思い出でした。
 
■7月15日 西園寺まりいレベル。
 
 視力が悪いのに気取って裸眼で過ごしてる人が、歩いてる内に壁や柱の存在に気づかず鼻をぶつけてしまう。あまりにお約束な場面だけど、そんな絵に描いたようなドジっぷりは空想の世界でしかお目に掛かれないって、ずっと思ってました。そしたら、この前。自分の家で、自分がやっちゃいました。
 
 でも、幼い頃。お店の自動ドアに走って全身を強打した経験があり、大して驚きません。
 
■7月17日 こんなサイトいいな。
 
・ハンドル検索エンジン
 その名の通り、インターネットで使用済のハンドルが検索出来る。ハンドルと一緒に居住地や制作サイトのURLが登録可能で、自分と同じ名前をした見ず知らずの人たちとの交流に役立てたり、未だ誰も名乗ったことのない自分だけのハンドルを決めたい時に使ったりと、貴方のインターネットライフを応援します。
 
・お笑い芸人ネタ台本辞典
 その名の通り、お笑い芸人のネタ台本が収録された辞典。解散してしまったコンビの漫才や、テレビで売れてからネタをしなくなったピン芸人のコントの台本が読めます。あんなに面白いネタが二度と見られない、貴方の抱える淋しさを少しばかり癒すでしょう。
 
 あったらいいなと言う人が、自分で作りましょう。
 
■7月19日 天使にあやされたい心地。
 
 「天使」を用いた慣用句。例えば、グラスに注いだシャンパンの泡立つ音を「天使の拍手」と、会話が途切れて沈黙するのを「天使が通った」と。それらと同じく、赤ちゃんの唐突な微笑みを「天使があやした」とか「天使にあやされた」と言いませんでしたっけ。
 
 そんな訳が…と検索する如月さんに、どんな風に入力しても1件とてヒットしない現実が。
 
■7月20日 万能効力、魔法の言葉。
 
 この世には、不思議な力を秘めた魔法の言葉が幾つもあるみたい。自力で発見しただけでも「エルニーニョ」「不況」「アトピー」と、3つもありました。これらに共通するのは、頭に「だって」を接続すればあらゆる不可解な現象を万人に納得させられ点です。
 だって、エルニーニョだもん。だって、不況ですから。だって、アトピーなんで。どんな事柄を話していても先にこう言われてしまったら、こっちからは言い返しにくい。異常気象や社会問題はもちろん、遅刻の理由にも音痴の原因にも性格の不一致にも、何だってこなせる万能の言葉。覚えて損はありません。
 
 即ち。更新頻度が以前より低くなっていたとしても、不可抗力なんです。だって、アトピーなんで。
 
■7月22日 自己犠牲の犠牲。
 
 自己犠牲の精神はとても貴くて賞賛されるべきだけど、自分が最優先して守るべき存在を蔑ろにして精神を貫いてしまうのは、ただの身勝手。
 幸せな家庭を築いている人、非常に重要な仕事を一任されている人、かけがえのない才能を持つ人。そんな人たちは、自己犠牲の適任者とは言えない。最優先で己の保身を考えるべきで、それこそ多くの人たちから感謝の気持ちを集められる、適切な手段。

 守るべきものを守って初めて、他の守らなくてもいいものを守れるでしょう。
 
■7月24日 二番目のキサリー。
 
 1997年のゲームソフト『マリア 君たちが生まれた理由』を先日、捨て値で買って。内容は「新米外科医である主人公が、自殺を図った少女の主治医となる。彼女は幼少期に目の前で両親が惨殺された経験を持つ、多重人格者だった」との導入部から始まる、テキスト系アドベンチャーでした。
 実は如月さん、多重人格にほんの少しだけ思い当たる出来事があって。今まで誰にも話さなかった、嬉し恥ずかし初告白です。
 
 
 それは96年末から、97年春先頃まで。普通の日常を普通に過ごしていたけど時折、奇妙で不安定な感覚に襲われていました。自分の体が自分の意識から遠くに離れて、どこか遠くに行ってしまっているような感覚。己の意識の支配下から解き放たれても不自由せずに動いている体を、ぼんやり見つめる自分がいました。心模様は何が何だかわからなくての戸惑いと、現状を受け入れられる若干の安らぎが同居します。
 その現象は決まって、日曜日の19時30分から20時に限って起こりました。自然と普通でない状態がフェードイン、やがてフェードアウトして普通の状態に。その時間帯に眠っていれば非常に強烈な金縛りが夢の世界をも壊してまで目覚めさせ、瞼を開けた自分は普段の自分ではなくなっていました。あとは時が過ぎて再び元に戻るまで、勝手に行動する体を見守るしか出来ません。
 
 ここまでは真剣に語れますが、この先は肩の力を抜いてお聞き下さい。どうしてかって、そのもう1人の自分がしていたのはアニメ鑑賞だったから。フジテレビ系の世界名作劇場『家なき子レミ』を、毎週必ず最終回まで。展開さえ伴えばホラー・スリル・サスペンスの三拍子揃えての文章化すら可能であろう記憶も、一気に笑い話へ寄ってしまいましたが、それでも不可解は不可解なので続けます。
 
 そもそも、小学校と共にアニメは卒業しており、世界名作劇場に興味もありません。わざわざ『家なき子レミ』をチェックしなければならない理由は、一切ありませんでした。なのに、例の時刻になると他局にチャンネルを合わせるのもCF中に席を外すのも許さない、強固な強迫観念がなぜ生まれたのでしょう。
 あと、アニメの内容は忘れた反面、あの時は感情移入能力が非常に研ぎ澄まされて、物語の世界に入り込んだ自分を神視点から実感した記憶は残っています。登場人物本人に成り変わったかのように喜怒哀楽を共有し、その感情の激しい揺れは精神を疲れさせるに十分でした。
 
 空前絶後の不思議体験。『家なき子レミ』を毎週楽しみにしていた故人が、その心残りを我が体を媒体に果たしたなんて、オカルト嫌いな如月さんはちっとも信じませんし、かと言って多重人格とも違う気がして、深くは追及しません。
 
 
 以下、おまけ。題名は『02人のキサー・ラギラン』と迷いました。どっちにしろ、読んでいません。
 
■7月26日 如月式読書術。
 
 ご飯を食べながらテレビを見るのは普通で、歯磨きをしながら新聞に目を通すのも普通で、音楽を聞きながら外出するのだって普通なのだから。本を読みながら柔軟運動を行うのも普通なんだと提唱したいのですが、賛同者はこの指止まれ。
 
 頭でブリッジしながらとか、壁に足を立て掛けながらとか、開脚前屈しながらとか。伸ばした制止状態の間を読書で有効活用しようって試みなんですけど。
 
■7月27日 推奨環境なんて言えない。
 
 ドリームキャストなる商業的大失敗を犯したゲーム機で意地になってサイトを作る如月さんから、パソコンの一般的なブラウザでご覧の方に質問です。トップページの見栄え、変わっていませんか。
 自分で書いて自分で解読不能なソースを掃除出来ないかと見直してたら、唖然とさせられる間違いを複数発見。1年間気付けなかった自分を叱りながら完璧に修正しましたが、良きにつけ悪しきつけ変化していたら、見て見ぬ振りして下さい。
 
 多分、恐らく、十中八九、今が正確なレイアウトに近いはずだと思います。
 
■7月29日 作詩と作詞・その1。
 
 「作詩」と「作詞」は、似て非なるもの。単純に比べれば、前者より後者の方が難しくなります。
 
 創作時に制約を受けるのが、歌詞。リズムに乗せるのが大前提とか、Aメロ・Bメロ・サビ・リピートと構成を思い描いて展開させるとか、1番・2番等で同じメロディのパートは音数を合わせるとか。
 歌詞作りを始めたばかりの人が躓き易く蔑ろにもし易いのが、音数合わせです。作者は「作詞」のつもりなのに「作詩」でしかない作品、文芸サイトでよく見掛けました。ここで自作『シュシュ切り』で説明を。
 
 
*1番サビ
意外に/強い/風の今日
あまり/長い/間/待ちぼうけには/させないで
あんなに/固い/結び目も
そよぐ/髪と/共に/ほどけてしまい/そうだから
 
*2番サビ
知らない/内に/曇り空
少し/嫌な/予感/瞳伝って/立ち込めて
やんわり/緩む/結び目と
はねる/髪の/先が/先行き不安/暗示する
 
*サビリピート
予報に/はない/雨模様
うねる/髪の/線を/なだめることも/出来なくて
小さな/傘に/独りきり
結び/目から/ぷつり/ほどける音が/聞こえそう
 
 
 一目で見分けられるように、フレーズ毎にスラッシュで区切りました。4音→3音→5音→3音→3音→3音→7音→5音で、どこも2回繰り返して完成。これが完璧に整うように言葉を紡いでいくのが、歌詞作りで最も守らなければいけない約束だと思います。
 メロディラインを変化させて音数調整をしている曲も大量に存在しますけど、それは作詞家の力量不足です。同じ意味で違う音数の言葉は数多とありますし、語彙さえあれば表現したい内容を少しも犠牲にせずに音数を合わせられますから。
 
 今回は単純に比べれば「作詩」より「作詞」の方が難しいってお話でした。次回に続きます。
 
■7月31日 作詩と作詞・その2。
 
 それなら「作詞」より「作詩」方がお得だ、表現したいことが楽に表現出来るのだから。いつしかそう感付いてしまい、素直に従いました。小説家を目指していたのに作詞に転向した動機が「同じ主題を表すなら原稿用紙200枚いる小説より、ノート半ページで済む歌詞の方が断然お手軽☆」なんて恥も外聞も無い奴で、心変わりは当然。茨の道、避けます。
 
 でも、無理でした。いざ書こうとしても、一行すら思い浮かばない。「作詩」は嘘の言葉を許してくれず、文章に込める主題なり物語なりが、己のそれと合致する必要があったんですね。これが「作詞」なら、どんなに嘘をついても大丈夫なのに。
 如月さんの歌詞は嘘まみれです。自他共に認める悲観論者の割に前向きな内容も書きますし、自分の経験を元に綴ったのは皆無ですし。そもそも、ほとんどの作品が女性ヴォーカルを想定しており、性別すら偽っています。「内容はなにもかもが空想で本物は何もない」とはセラニポージの公式プロフィールだけど、自分にもぴったり。
 
 つまり、単純に比べれば「作詩」より「作詞」の方が難しいけど、後者は制約がある反面に嘘がつけ、その唯一の利点をもって前者の方が難しいと。
 
■8月2日 すもももももも。
 
 「もものうち」と「もんちっち」は、果てしなく似ている。ある日ほわりと気付いてしまった天才が、地球上に自分だけだったらどうしよう。絶対に使い古されたネタだって。
 
 あれ?
 おっとうっかり、カタカナにしないと。
 
 あれれ?
 えっと、自分だけ…?
 
■8月3日 右利き・右手首・腕時計。
 
 今では携帯電話に役目を奪われ、所在地不明な腕時計。如月さんは常に右腕に付けていた為、会って間も無い人からでも「左利き?」と訊かれたりしました。答は、否。左利きだと頭が良くなるとの噂を受けて両利きに憧れた頃もあれど、生まれ付きの不器用さを克服させる程の執着心は無く、完璧な右利き人生です。
 次に大抵「どうして?」と会話は進展します。その人からすれば受け答えの一部で、むしろ話を広げる為の心遣いでもありましょうが。この質問には如月さん、過去の悲しい記憶が甦ります。
 
 本来は左腕に付けるべき物が反対なのは、必然でした。手首を覆って隠したい痛ましい過去を背負った、幾つかの傷跡…は無くて、初めて腕時計に触れた幼稚園の頃に右利きは右腕だと思い込んじゃっていたせい。お箸も右で、鉛筆も右だから、腕時計も右って感じで。理に適ってますね、間違いだけど。真実を知って左腕に修正した時期もあれど、時間を知りたい時に空っぽの右手首を見る癖が抜けず、開き直りました。
 
 以上、説明するのも憚られる理由の全貌でした。
 
 
 余談。上では茶化してますけど実は、右手首に傷跡はあります。中学生の夏休みに同級生と喧嘩みたいになり、相手が手にしていた折れた傘の骨が突き刺さったんです。痛みは酷くないし傷口も小さいのに、血が全然止まってくれなかった記憶があります。
 その時は部活中で、合奏の開始寸前の休憩中。幸いにも自分担当のトランペットは片手で吹ける楽器で、左手のハンカチで止血しつつ右手で楽器を支えて、手負いのまま無事に演奏をこなしましたとさ。
 
 血に纏わる思い出、日記に書き出すと意外な多さ。
 
■8月5日 チューチュー抽出中。
 
 歯に冷たさが染みて痛い、知覚過敏。如月さんは昔からのお付き合いで、冷菓全般を苦手としています。そんな逆境の真っ只中の人にお勧めな暑さ対策の食べ物は、チューチュー。歯に触れずに舌に乗せて食べられるから痛くならないし、体の冷却効果も抜群です。
 チューチューって実に可愛らしくて照れちゃうような発音だけど、正式名称なんでしょうか。普通名詞だったり、固有名詞だったりするのでしょうか。疑問が疑問を呼び、不安になってきました。
 
 そもそも、チューチューと書いて何なのかちゃんと伝わっているのでしょうか。
 
■8月7日 岡崎律子のこと。
 
 一度目の巡り合わせは、小学校高学年。終業式か始業式で午前中に帰宅し、手持ち無沙汰でテレビの電源を入れたら、彼女の唄声が流れてきました。
 少し切なくて、ほのかに淋しくて、胸の奥まで温かい。今まで聞いたことのないくらい素敵に感じたんだけど、当時は曲の正体を調べる術が無く、数日で記憶の彼方でした。
 
 二度目の巡り合わせは、約10年後。インターネットの知人から貰った、お勧め曲を録音したミニディスクを再生して訪れました。知らない歌手の知らない曲なのに、その旋律に聞き覚えがあったんです。
 もしかして、この曲。小学校の時に感じた素敵さを思い出すのに、時間は必要ありませんでした。自分でも忘れていて、当たり前だけど他人に話したことも無かったのに、巡り巡って再会だなんて。こんな偶然があるなんてと、とても嬉しかったです。
 
 三度目の巡り合わせは、今年の5月11日。先のミニディスクを久々に聞いて、他の作品にも興味が湧いてCDが欲しくなって。歌手の名前は…と、同封してくれたお手製歌詞カードで確認して、お店を数件回ったけど目当てのCDは見付からず、これから不定期に探そうと携帯電話に名前をメモしました。
 
 初めて彼女の名前を覚えた日に、報道された訃報。長い年月を経て繰り返された巡り合わせは、こうして幕を閉じました。
 
■8月9日 裏切り者の末路及び現状。
 
 いつの話なのかわからないくらい昔、うんと小さい頃。プロ野球を観に甲子園球場に連れて行かれました。当然、阪神タイガース戦。
 大阪に生まれた男子は阪神ファンになるように条例で義務付けられており、その時は1塁側で応援してました。真弓のサイン入りプロマイドを買い、メガホン振って木戸を応援し、もちろん『六甲おろし』も意味不明な歌詞を舌足らずで唄えていました。
 
 試合は、負けました。その時、負かした相手チームのユニホームが、幼き瞳には格好良く映ってしまって。理由があって阪神ファンになった訳でもありませんから、鞍替えに心苦しさもありません。故に翌日、昨晩の敗戦は勝利に変化していました。以来、地元で形見の狭い思いをし続けることに。
 
 以上、大阪人が中日ドラゴンズファンになる経緯を、完全ノンフィクションでお送りしました。悪夢のごとき昨シーズンは、あるネタ系サイトで「隠れキリシタンのようだ」と返される程に戦々恐々で街を歩いてましたが。リーグ優勝の足音聞こえる今期は、例年以上に安心して肩で風切ってます。
 
■8月11日 乙一著・小生物語。
 
 久々の新刊だけど、本人及び幻冬舎のサイトのネタ日記を纏めただけらしい。彼の著作にお気に入りが多い如月さんも、流石にご立腹。創作物へ正当な支払いを行えば正当な批評の資格が与えられますが、インターネットで掲載=読み手から対価を頂戴しないのが前提で、如何なる批判も「では読むな」で片付けられてしまいます。
 そんな環境で生まれた文章を加筆・訂正しただけでお金を掠め取ろうなんて、あまりに浅ましい。読者を莫迦にした商法に騙されて、久々の新刊だからと喜んで買うようじゃ駄目。本当にファンならその行動こそ、作家の将来を殺してしまうと気付かないと。
 
 書店に行くまでは、そう思ってたんだけど。現物を見るまでは確かに思い続けてたんだけど。
 
■8月13日 未登録な今ですら。
 
 自分宛の封書に「骨髄移植推進財団」と文字列があり、もしやよもやまさか。開封を躊躇させるに十分な予感が、全身をぞくっとさせました。
 いや、でも、資料は請求したけどまだ7月5日分から進展していない訳で。そう、有り得なくてもこんなに焦らされてるのだから、実際に有り得る立場なら気が気でなくなったでしょうね。
 
■8月15日 お盆ですから。
 
 21時前後。テレビに向けていた視線をふと窓に動かしたら、浮かんでました。それぞれが鮮やかな赤色と緑色の炎を纏い、上下左右に不規則に動く2つの球体が、窓ガラスを隔てた間近に。途端、絶句。これは噂に聞く、人魂。
 すぐにテレビへと視線を戻し、現状を整理。ここは最上階だから、屋上から燃やした球を糸で釣って悪戯しているのかもしれない。けど、そんな手間の掛かることをすだろうか。どっちかと言えば、本物の可能性がよっぽど高い…!
 
 幽霊の類は全然信じないけど、見た記憶は消せません。今の時期、小学校低学年くらいの体験でした。
 
■8月17日 明晰夢へようこそ。
 
 この世にはモラルにマナーに常識に法律に、自分の行動をやたらと縛る制限が大量にあって。やってみたくてもやれないことが、無数に存在。だけど、そんな欲求を満たしてくれる仮想世界を、誰もが持ちますよね。はい、夢です。そこは前述の制限はもちろん、物理的な法則すら壊せる万能空間。己の想像力の限りに広がる場所では、不可能を探す方が難しいでしょう。
 夢の世界に入場する条件は、夢の中の自分が夢を見ていると自覚すること。明晰夢、と呼称もあります。如月さんは昔から自力で見極められましたが、人によっては難しいそうなので私的なコツを。
 
・頬をつねる
 使い古されてますけど手軽に試せるし、とっさに出来て便利。痛いような痛くないような…と曖昧なら、本気で鉄拳制裁もあり。
 
・鏡に映る
 これは独自の方法かも。そこに映る顔が見知らぬ誰かさんになっていて結構、驚けます。
 
・時計を見る
 デジタル限定。9:99とか33:33とか、一目でおかしいとに気付ける表示になりがち。
 
・高所から飛び降りる
 夢でなかったら死んでしまう為、くれぐれも慎重に。柔らかい風のクッションに全身を優しく包まれるような感覚が、勝利の印です。
 
 
 今までの経験でよく覚えているのは、夢世界の全貌を暴きたくて果ての果てまで走ろうとしたら、すぐに見えない壁にぶつかったこと。不意の衝撃に困惑を隠せない内、視線の奥の奥まで広がっていた風景が突然倒れて、大きな音を立てました。
 倒れたのは薄い板で、元の場所から先は真っ暗闇。薄い板と、そこに描かれた風景。つまり、夢における全ての背景は書割でした。四方を書割に囲まれた偽りの狭い空間こそ、夢の正体だったのです。
 
 こんな子ども騙しなに欺かれてたのかと、空想癖っ子な如月さんは酷く落胆したそうな。
 
■8月19日 絶対的権力が欲しくって。
 
 物欲に乏しい如月さん、何が欲しいのか訊かれてもうんと悩まないと答えられないけど。常に欲しいものは1つあって、それは権力。世界の人々を動かす歯車を思いのままに操れる程の、絶対的な。
 こう書くと、他者を蹂躙して快感を得たい独裁者願望があるみたいですけど、勘違いしないで頂きたい。自分の好き勝手の為に欲しているのではなく、公平・正義・道徳みたいな万人にとって納得の出来る価値観に基づいて権力を振るいたいのですから。
 
 だって、ニュースなり新聞なりにほんの少し触れるだけで、悲しくなったり腹の立ったりすることがあまりに多くて嫌なんですよ。明らかな悪者に社会的制裁が加えられてなかったり、何も落ち度の無い人が理不尽な被害に遭ったり、本来は分配されるべき利益を特定の存在が独占してたり、死ぬべき者が生きるべき者を殺害したり。世界中に理不尽が溢れています。
 それをありのまま受け止められる程に強い心を、如月さんは持ってませんから。権力さえあれば理想郷を作れるのにって、誰しもが安心して委ねられる価値観で動く世界を作れるのにって、いつの頃からか思ってます。決して満たされはしない欲望だけど、きっとずっと言い続けてしまいそう。欲しいものは、権力。
 
 とか言っても。どんな志だろうが独裁者がいたのなら、そこは理想郷に決してならない訳で、迷惑な独り善がりでした。
 
■8月21日 理解されたがり。
 
 出来る限り、恵まれない境遇への理解を深めるようにしたい。なるべく、苦しんでる人の気持ちは慮りたい。これはきっと正しい心掛けだから、いつまでも守っていたい。そんな風に思うようにしてる人は、自分が逆の立場になった時、他の人に対しても同じように思うよう強制してしまいがちみたい。
 でも、落ち着いて感情を整理すれば。理解して欲しい境遇や苦しみを理解してもらえない悲しみを、余所の人の無知のせいに求めてしまうのは、あまり誉められた主張じゃないとわかる。相手が聖人君子でもなければ、わかってもらえないのが標準の反応だから。理解するのが義務でもなければ、理解されるのが権利でもない、それが今の現実。
 
 恵まれない私は誰からも大切にされて当然なんて驕りだと、見失わなければ良いのだけど。
 
■8月22日 護送船団方式。
 
 本日のラジオ欄の、23時55分から。右から「アテネ五輪 陸上女子マラソン」が並び、左から「アテネ五輪 陸上女子マラソン」が並び…って、いくら何でも横並び過ぎ。
 AMもFMも民放全局全く同じ番組、未だ愛聴者に出会えない短波まで制覇とは。国民的大イベントを前にして、リスナーに選択の余地を与えない恐怖政策が施行されたようです。このせいで毎週チェックしてる唯一の番組が潰されてしまいました。
 
 そこまでしても女子マラソン、特別な理由がある人以外はテレビで観戦するから、無価値でしょう。
 
■8月23日 ザッピングラジオ。
 
 昨日分は日付の変わりにささっと書いて、すぐに女子マラソン観戦に移りました。
 
 テレビを見つつ、ラジオはどんな感じかなと各局に合わせたら、本当にどこもかしこも同じ番組で苦笑い。民放だけでなくNHK第1でも放送してるわ、第2は放送終了しているわで、NHK−FMの孤軍奮闘振りに微笑みました。あと、第1は民放のCM中も中継が続いていると気付いた時は、お得な気分に。
 
 ラジオの解説担当は増田明美。柔らかく耳に優しい声色に、内容の濃い解説に、楽しく豊富なよもやま話に、全選手への暖かい応援に、スポーツ中継の解説者の理想像でした。金メダルは彼女にもあげたい。
 
■8月25日 つねられの刑。
 
 誰かに頬をつねられる。そうされた自分に気付く。痛みを認識する。痛いなら、我慢可能な範囲かを判断する。我慢出来ないかしたくないなら、つねっている手を払い除ける。この一連の行動、どこまでが反射でどこからが自分の意志なのでしょう。
 
 如月さんにとっては色々な要素が絡んでしまい、いつの間にか小さな大問題となってます。
 
■8月27日 名付け親は柊あおい。
 
 雫って名前、今までは無理だったんだ。つまり、大好きな映画『耳をすませば』の主人公は、現実にはいない規格外の存在だったと。あれ、桔梗も?原作の後日談のコミックに収録されている中編のヒロインが、桔梗だけど。
 
 「人名用漢字 488字追加、最終決定」を読んで、現実社会が舞台の創作で登場人物に適切な名前を与えていないケース、結構多そうだと思いました。
 
■8月29日 街頭質問禁止。
 
 よく、道を訊かれます。本当に勘弁して下さい、ちゃんと答えられた例がほとんど無いのだから。
 
 先日も夜道をしゃなりしゃなりと歩いていたら、向かいから来たママチャリが目前で止まり、30歳前後で黒髪ロングの淑やかな女性に尋ねられました。あるレストランを探していると仰いますが、知らない店名。丁重に謝って、現場から逃亡します。
 極度の方向音痴かつ地元の地理すら非常に疎いので、道案内なんて高度な技が務まるはずもありません。回答者候補なんて選り取り見取りなのに、どうしてこんな奴をわざわざ選ぶのか。質問者が「ハズレ引いた…」と後悔していないか、心配です。
 
 道を訊かれるのは精神衛生上よろしくないので遠慮して、と言う切なるお願いでした。
 
■8月31日 風のリグレット。
 
 終わりかけの夏ですね。やけに強い台風来てますね。つまり、夏+台風=リアルサウンド。もしそんな公式を思いついた人がいたのなら、よっぽどのゲーマーさんに違いありません。
 
 『リアルサウンド』とは1997年に発売されたセガサターン用のゲームで、『風のリグレット』が副題。特徴は映像が全く無く、音声だけでゲームが進められることです。凄いでしょ。でも、分岐のあるラジオドラマと言われてしまえば、否定出来ませんけど。
 発表時には各種メディアで騒がれた反面、販売数は伸びませんでした。発売即ワゴンセール行きとなった、悲しい商品です。発売日に約6000円で買ったら瞬く間に980円まで値下がりし、如月さんにとっても悲劇でした。
 
 出演は柏原崇・菅野美穂・篠原涼子・裕木奈江・前田愛、楽曲提供は鈴木慶一・矢野顕子、脚本は坂元裕二、CDーROMは4枚組。特典はクリアパッケージ・点字シート・ハーブの種。知られざる作品の割にスタッフやら何やら豪華過ぎて、どうして売れなかったのかなと今でも愚痴りたくなります。
 シナリオに矛盾点やツッコミどころがあったり、1周に4時間も掛かったり、自由にセーブ出来なかったり、誉められない部分も多々ありますけど。そんな欠点を覆してしまう魅力が潜んでるんですよね、制作者の熱い想いが伝わってくると言うか。
 
 物語は夏に始まり、台風の到来と共にクライマックスが訪れます。プレイするなら、まさしく今。
 
 
  
■9月2日 明かりを消さないで。
 
 いつの頃からか、夏は怖いので明かりを消さずに眠ります。と言っても、幽霊やお化けに脅えているのではなくて、あれです。その4文字を入力するのも躊躇してしまうくらい、姿も形も名も極めて気持ち悪い下等生物。気持ち悪さ余って本当に怖いっ。
 奴らが好むのは暗所だろうし、まさかの事態にも明るければ退避行動がすぐに出来るしと、安心を少し得られます。もし、真っ暗な部屋でうとうとしてる時に、不意に体を這われた感覚なんてした日にゃ。この予防策の効果なのか、何年も遭遇はありません。
 
 9月になれば大丈夫と確信があり、今年も無事に恐怖の夏を乗り切れて、ヨカッタネ。
 
■9月4日 嗜好の利用で高尚。
 
 働き盛りの年齢になった時にそれが原因で健康を致命的なまでに害したら、自分も大変だけど何より関係者に著しい迷惑を掛かる。特に、自分が守るべき家族がいたら悔やみ切れない。いつ爆発するかわからない爆弾を自ら体内に抱えるのって、莫迦でしょ。
 消耗品にお金を払うより、本やCDみたいに手元に残る品物に使いたい。生粋のお子様味覚だから恐れは小さいけど、まかり間違って美味しいと錯覚したら意思弱いし、中毒者に転落が決まっている。
 
 絶対に煙草を吸わない理由の、建前と本音。
 
■9月6日 大阪府北部、5階。
 
 地震。揺れは小さくも2回とも長時間で、止まるより先に地震速報が入りました。
 危ないのは関東と東海で、関西は平気と、阪神大震災以前はそう本気で信じられていたのって、本当に笑えません。天災の循環の迫間にほんの少し出来た空白に、人々の油断が生まれる隙があったのでしょう。
 
 昨日の夕方前に出掛けたら狐の嫁入りで、その青空に「今日の雲はやけに綺麗」と思わされたのは、如月さんの危機回避能力かもしれません。
 
■9月8日 家を買うならマンション。
 
 家を買うなら一戸建てかマンションかで、如月さんは後者。最上階が良いですね、結構な高所恐怖症の癖して生意気にも。我が家のようなプライベートな空間が地上に接していると落ち着けないのもありますが、地震にしろ洪水にしろ台風にしろ自然災害に対し、前者は脆弱そうだから。
 
 そんな訳で、今週末にでもモデルルームの見学を目論んでいます。嘘でも見栄でもなくて、ちゃんと購入予定あります。来世辺りに。
 
■9月10日 覗かれてたり。
 
 1年半前に作り出し、作り終えないままのサイトがありました。どこからもリンクさせていないし、検索エンジンにも引っ掛からないはず。なのに、サーバーに備え付けのアクセスログを初めて覗くと、毎日10〜50ペーパービューが記録されていて、おいおい。
 
 そこもここと同じく文章ばかりで、読み直していないから誤字脱字だらけなのです。油断していました。
 
■9月12日 過ちを犯さない自信。
 
 誰からも罵られる上に社会的制裁が加えられる程に酷い悪行とて、いざ自分がその悪行を必要とする立場になっても絶対に過ちを犯さないと断言出来る人は、そう多くないでしょう。
 全財産を失い路頭に迷って空腹に堪え兼ねたとしても、食べ物を盗んで腹を満たしたりはしない程度ならともかく。船に乗っていたら事故で漂流し、何週間も食料が無い極限に追い込まれたとしても、傍らで息を引き取った仲間の肉には決して手を出さないとは、なかなか言い切れないと思うのです。
 
 本当に自分は大丈夫なのか、何年も前に児童虐待の報道に触れて心配していたこと。そして、とっくの昔に考える必要を失ったこと。
 
■9月14日 はなちゃんパーマ(自称)。
 
 モデルのはなは可愛いと主張している如月さん、今までひた隠しにしていた過去があります。実は昔、テレビで見掛けて「この人がモデル?」とルックスに疑問を呈していたのです。心からゴメンなさい。
 
 どうして今は可愛く見えるのか、自分の七不思議の1つとなって幾年も過ぎ、ようやく原因を突き止めました。解決の糸口は、先日に入手した彼女の著作『はなのおはなし』です。これは1999年に発売されたエッセイで、文章の他に写真やイラストがたくさん収録されています。
 写真にヒントがありました。どこをどう眺めても彼女が映っておらず、どっかーんと広がった長髪にぐりぐりパーマの女性しか…って、これがご本人とは。髪にボリュームが無くてベリーショートが似合う、おでこ娘じゃなかったのですね。
 
 要するに、髪型だけで心変わり。
 
■9月16日 ミルク・オ・レ。
 
 歌詞は全部後付けで、題名が先に生まれました。自分で少し可笑しくなったんです、牛乳に牛乳を加えているだけな訳で改めて名乗る程の飲み物なのかって。
 当初は交わらなさそうな題名と歌詞が、最後のサビで繋がる構造。思い付きでこじつけた割には、上手に纏まった感じです。むしろ、2番で物語が纏まってしまい、リピートのサビを作れなくなりました。
 
 そんな言い訳込みの『ミルク・オ・レ』です。
 
■9月18日 鈍くなってるかも。
 
 五感が鈍っている、かもしれない。体の異常を自覚するのは意外に難しくて、気のせいだとか今日だけとか気軽に思い込みがちで、実際に時間経過で忘れてきました。でも、今回は正しいような。
 鈍く感じるのは、嗅覚と味覚。何を匂っても何を匂ってるのかは鼻で判断出来るけど、何を食べても何を食べてるのかは舌で判断出来るけど、そこから反応が先に進みません。心身が乖離している感じですね。
 
 気のせいかもしれず、栄養が足りないのかもしれず、疲れているのかもしれず、どうなんでしょ。
 
■9月20日 嘘になれない嘘。
 
 嘘を見抜いた時は、それが自分にとって無関係だとしても、心に腹立たしさが生じる。静かな怒りの矛先は偽りを抱えた当人に向けてか、知る必要の無いことに気付いてしまった己にか。
 嘘の発覚に不安を覚えた人は、口数が増えるわ聞こえるように独り言を呟くわで、言い逃れが不可能な苦境で問い詰められた人は、疑われる自身を被害者化して逆に相手を責め出す。本当に真実を見抜けていたのか否かは、大半の場合において確認の術が無いからどうでも構いません。その術があった時は、今まで全てが真実だったし。
 
 そんな経験則の持ち主としては。他人の気持ちが読めたらいいのにと望む方に、他人の気持ちなんて読めない方がいいよと言いたい。
 
■9月22日 灰色空に季節感。
 
 毎日が灰色空で色彩の少ない世界観から、サイト開設当初の配色は白と黒と灰色。いつの日か実際に見た、曇り空の下で鴇色した桜の花びらが強風に舞う光景が印象深くて、日記を始めた頃より桃色を加える。
 どの季節でも同じ桃色の壁紙を流用しているせいで見た目に季節感が無いのが気になり、改装したいと思っていました。でも、ドリームキャストとここのサーバーは画像に関して相性が悪く、衣替えにはどうしてもパソコンユーザーの助力が必要で、なかなか思惑通りに事が運ばなかったのです。
 
 そんなこんなで、ようやく出来上がり。過去の分やタイトルの一覧等、日記系のページ全てに配色を与えました。わざわざ協力してくれた貴方に、おおきに。
 
■9月24日 読書カード。
 
 読書の秋に乗じて近頃、本を読めてます。小説もコミックも、新しい類のも。一月前に収納場所の拡張に成功し、その淋しい空間を色々な背表紙で埋めたくて、少し心惹かれたら無心で購入。買わずに後悔するより買って後悔しろを実践中です。
 正直に告白すれば、105円の値札以外は見て見ぬ振りしており、ハズレでも後悔のしようがありません。お気に入りの作家や漫画家は真摯に新刊で買っているので、出版業界泣かせな我をお許し下さい。以下、最近読み終えた本です。
 
 
▼小説系
・りかさん (梨木香歩)
・夏の扉 The Friends (湯本香樹実)
・バッテリー (あさのあつこ)
・アメリ (イポリト・ベルナール)
・架空幻想都市 上/下 (めるへんめーかー)
 
▼テスト系
・常識力@検定.com (日本常識力検定協会)
・童話の心理テスト (亜門虹彦)
・ココロの本音がよくわかる魔法の心理テスト (中嶋真澄)
 
▼コミック系
・凍りついた瞳 /続/新 (椎名篤子/ささやななえ)
・A Peanuts Book featuring SNOOPY 8/24/25 (チャールズ M.シュルツ)
 
▼動物系
・Rompish Cats 〜子猫のスキップ〜 (小沼諭)
・フェレットクラブ (長坂拓也)
・世界の猫 (小島正記)
・かわいい。 (シンラ編集部)
・犬の心の相談室 (利岡裕子)
 
▼写真系
・不思議の国のアリス (工藤和代)
・「赤毛のアン」からのプレゼント (奥田実紀)
 
▼その他
・海の向こうで暮らしてみれば[完全版] (テレビ番組制作スタッフ)
・コーヒー (ジル・ノーマン)
 
 
 1冊ずつ感想を添えるつもりが、挫折しました。
 
■9月25日 言葉狩りのち。
 
 ここの文章は、仮想人格の価値観や文体で綴られている、規格品。故に、現実でキーボードを叩いている実在の人物の言葉とは、隔たりが必ずあります。
 書評サイトをしていて、読んだ本に「どうしようもない駄作」と感想を抱いた時。その仮想人格は否定的な汚い表現は禁忌としており、「〇〇が△△なのが駄目で、××すれば良かったのに残念」としか言えませんでした。それは素直な気持ちを精一杯に取り繕う面倒な作業ですが、そうしなければならない強迫観念ではなく己の望みだから、仕方ありません。
 
 どうしようもない駄作。さて、これを貴方は汚いと少しでも感じたでしょうか。多分、普通の表現として通り過ぎたと想像します。この仮定が違ってたら先に続きませんが、汚い表現の例えとして使った「どうしようもない駄作」すら、前述の「否定的な汚い表現は禁忌」に従っていて。本来なら口に出すのも汚らわしい…って、これ以上は書けません。書いてはいけないのです、決まりですから。
 
 自分の言葉を自分で狩ってでも自分が書いたって、自信を持っては言えません。
 
■9月27日 好きと嫌いの狭間。
 
 自他共に認めるお子様味覚な如月さん、意外と絶対に食べられない物は少なめ。拒否権を行使するのは納豆くらいで、漬物・サラダ・酢の物・マヨネーズ・ドレッシングと食べたくない食品は数あれど、目前に出されたなら息を止めて呑み込みます。食べ物を残したり捨てたりすると、精神的負担になりますから。食べるのは一時の負担、残すのは一日の負担。
 次に、好きな食べ物のお話を…って、大好物って浮かびません。ラーメンは好きだけどインスタントで最高だし、チョコレートも好きだけど安売りので満足だしで、食に対する欲望が弱い。本当に好きなら最低限、食べ歩きしたり高級品を嗜んで当然なのに。
 
 食べ物1つ1つを「好き」「普通」「嫌い」でリスト化すれば「普通」ばかりになりそうで、好き嫌いが多いと言うより好きと嫌いが少ないのかも。
 
■10月1日 非行児童の事情。
 
 非行児童に対しては、その反社会的性の強弱に関わらず、成人相当の処罰を与えるべきと考えます。暴走だろうが万引きだろうが殺人だろうが、被害者にすれば肯定出来る罪なんて存在しないでしょう。加害者に如何なる事情があっても、他人への攻撃性に昇華させたのは本人の意思で、行為を酌量するには足りない。同境遇の児童たちが、その辛さと痛さに耐えて生きているのが一般的な限りは。
 然るべき機関で矯正される程度しか心が曲がっていないのなら、最初から非行に走らない。そんな弱く愚かな者に健全な社会復帰で救済を与えるなら、年齢による特例で甘やかすより公平な裁きで償わせるのこそ最良の手段でしょう。これについては昨年7月10日にも書いています。
 
 ただ、上で「如何なる事情」と記しましたが、稀に本当に止むに止まれぬ事情が原因の場合があるのも確か。本人は起爆因子も促進因子も持たなかったのに、周囲から植え付けられて道を踏み外してしまったのであれば、それは緊急避難。親や社会に責任転嫁するのは安易だけど、当人に大きな落ち度も問い難い時は、他の何かが責任を被れとしか思えません。
 
 責任の在処を見付けたところで、加害者は加害者のままで、被害者は被害者のまま。理屈に従いつつ、感情に流されつつ、答は求められそうにありません。
 
■10月3日 10月1日は優勝記念日。
 
 その日の帰宅予定時刻は21時頃で、それまでに試合が終わるのは滅多にありませんから、移動手段が徒歩でも慌てず騒がず、5年振りの瞬間に立ち会えるでしょう。でも、万が一を考えて、携帯ラジオは持っていきました。
 
 街灯が夜道を照らす国道沿いでラジオのスイッチを入れた20時、実況曰くもう8回表。そう、今日に限ってめちゃめちゃ順調に進行していました。間に合わないかもしれない、急いた心が早歩きにさせます。そして、あっと言う間に9回表になり、全速力で走るしかなくなりました。すたたたたっ…どて←こけた。
 息を切らして、目眩も起こして、9回裏中に帰宅。しかも、サヨナラで決まるかもしれない最高の舞台です。しかし、テレビのスイッチを入れたらあら嫌だ、どの局も放送していませんでした。
 
 結局は、今にも終了しそうだったのに12回まで延長し、ヤクルトのせいで先に決まっちゃうし、試合に負けるし、胴上げの瞬間もラジオだけだし、中日ドラゴンズの優勝を喜び切れなかったとさ。
 
■10月5日 アンコールは突然に。
 
 中学生から高校生時代に部活や付き合いの関係で各種演奏会によく連れていかれて、どこでも見た光景。緞帳が下りても拍手が止まず、観客の期待に応えるが如く再び上がり…って、そのお決まりの展開は三文芝居みたいでお寒いばかり。自然発生して終わらない本物の拍手であれば愚痴りませんけど、実際はお約束やお情けや礼儀だから。
 自分が演奏側でも、そこで遭遇するのは最初からアンコールが組み込まれたプログラム。最高記録は3回のアンコールで7曲で、言うまでも無くプログラム通りでした。この悪習は寒い以外に、折角のパンフレットが不完全版になってしまうことも付け加えたい。
 
 観客から貰える拍手の価値を極端に下げてしまう、アンコールの習慣が無くなればいいのに。
 
■10月9日 本棚に眠る知識。
 
 本に書いてあった情報を全て覚えるのは、天才でも無理な芸当だけど。どの本にどんな内容が書かれていたかって記憶は、案外忘れない。
 これ知りたいとか、あれ何だっけとか。浮かんだ疑問を解消したい時に答を導き出すのは難しくても、あの本のどこかに書いてあったはずって風に記憶を手繰り寄せるのは、お手軽だったりします。そして、答を教えてくれる本を思い出したのに現物が手元に無ければ、どうして捨てたと後悔するでしょう。
 
 如何なる蔵書も自分の情報を保つのに必要だと考えれば、一冊とて捨てるのに覚悟が必要になります。良くもあり、悪くもあり。
 
■10月10日 F1日本GPスタート前。
 
 今朝の悪夢。何かの用事でチェック出来ないから生放送を録画していたけど、レース終了まで我慢出来なくて途中からリアルタイムで見始めてました。
 その時点で出走台数は9台。順位表に佐藤琢磨の名前が無くてヘコみました。ミナルディのドライバーが「運転したくない」と足で走って逃亡し、解説者が「前代未聞」と言っていました。なぜか出走しているハッキネンのコクピットに、シューマッハが強引に立って乗り込み、ドイツ国旗を片手にウイニングランをしていました。
 
 佐藤琢磨のリタイアが正夢になりませんように。
 
■10月11日 F1日本GP終了後。
 
 地上波だから生ではないけど最初から見ましたし、完走台数も多かったし、ミナルディも走ってましたし、ハッキネンは走っていませんでしたし、シューマッハは自分のコクピットにいましたし、佐藤琢磨は4位入賞しましたし。何も実現しませんでした、悪夢。
 如月さんの夢は的中率0%です。競馬に関する内容を見せられる度、これは予知夢に違いないと妄想を抱き、夢で1着だった馬の単勝馬券を1000円で買ってきてもらったものです。結果はご想像通り。
 
 そんな浅ましい過去を戒める為、そのハズレ馬券たちは引き出しの奥に。
 
■10月13日 泣き黒子とコンタクト。
 
 ここに黒子なんてあったっけ。右目の端の下、泣き黒子の位置。小さくて肌がほんのり染みになっているだけだけど、今まで意識が向かなかったのか、いつの間にか新しく現れたのか。
 泣き黒子の持ち主は涙もろいと相場が決まってますが、言われてみれば最近はよく泣いています。研ぎ澄まされた感受性の強さと、心根が優しい証拠でしょう。特に大変なのがコンタクトレンズの装着で、日々泣きまくりです。
 
 泣き黒子とコンタクトレンズの関連性や如何に。
 
■10月17日 そっち方面に疎い奴。
 
 自室の家電製品は、決まって壊れかけ。テレビデオは入力端子の接触が悪いし、キーボードは電源の入りが気分屋で、ゲーム機は動作不能になるし、MDステーションは時刻機能が死んでスイッチも誤作動が多いし。特に酷いのは2つのCDラジカセで、1つはディスクチェンジャーが不安定だし、1つはCDが動かず、どっちもカセットテープが動きません。CDが駄目でカセットテープも駄目なら、君はラジオです。
 
 テレビデオ・MDステーション・CDラジカセと、クラシカルな品ばかりなのは自覚しています。
 
■10月19日 おでこでこでこ。
 
 この度、おでこ娘になりました。モデルのはなのおでこが可愛いと言いまくった責任を取り、自分も長めだった髪型を真似っこ。半分は冗談で、半分は本音。
 
 子どもの頃にかなり広かったおでこは成長に連れて狭くなっていたのに、最近は拡大傾向のような…!
 
■10月21日 台風・欲求・映画。
 
 吹きすさぶ風と降り乱る雨がガラスサッシに立てる音で、表に出たい誘惑に駆られる。風に動かされ雨に濡らされる全身を想像して心地良くなるのは多分、自意識を取り払って全てを何かに委ねた状態に落ち着けるから。同じ理由で、たまになら満員電車も嫌いでなかったり。
 強い雨降りで傘を差さずに外出したら訝しげな視線を浴びてしまうだろうけど、台風の到来であれば少しくらい怠惰な格好でも見逃される。よし、今こそ絶好のチャンス、いざ挑戦。いや、自重せねば。下手すれば死んでしまう。
 
 台風の最中、少年少女たちが裸になって『もしも明日が』を唄いながら踊り続ける。そんなクライマックスの邦画があったと、ふと思い出して調べる。そうそう『台風クラブ』だっけ、その場面以外は全然知らないけど。満たされない誘惑の代替を果たしてくれるかもしれないし、機会があれば観てみよう。
 
■10月22日 選別基準オーダーメイド。
 
 活字も、映像も、音楽も。無数に用意されたレディメイドの作品から選別し、自分の触れる僅かな趣味の品は決まります。それらの取捨選択の判断基準は、好みに合うか合わないか、面白そうか面白くなさそうか、そのくらいでしょう。好みに合うからこのCDを聞く、面白そうだからこの本を読む、なんて風に。
 
 如月さんにはあと1つ、重要な基準があります。これは非常に厳しい取り締まりで、数多の素晴らしい作品に触れる可能性を簡単に潰してしまう、全然喜べない足枷。自覚したのが割と最近で、それまではずっと無意識下に潜んでいました。気付けても具体的に説明出来ないのがもどかしい。
 食事に例えれば、人参が大嫌いな人はカレーライスやシチューが食卓に並んでいる時点で中身を確認するまでもなく、なるべくなら食べないように事態を進めるでしょう。その予感を生じさせる媒体が何なのか、言葉で伝えられません。少なからずの数があるし、頻繁に極端な変化もするし。
 
 この基準によって最も排除されがちなのは、テレビ番組。わかり合える人がいるのか、自分の独特なものなのか。
 
■10月25日 世界平和祈りし少年時代。
 
 小さい頃は怖がりでした。誰でも大抵は当てはまるとは言え、相対的に見て酷い方だと思います。
 
 一番恐れていたのは幽霊でも地震でもなく、戦争。悪い意味で反戦教育が盛んな土地柄のせいで、戦争への漠然とした恐怖は小学生になって即、強固に洗脳されました。
 ヘリコプターや飛行機の音が聞こえると、攻撃されるのではと心配し。校庭にスピーカー付の柱が設置されるのを見て、空襲警報を鳴らす為だと誤解し。神様どうかお願いします、戦争を起こさないでとよく祈ってました。今では笑い話でも、当時は本気。
 
 世界の平和を真摯に祈願する少年。あぁ、なんて可愛く健気な子どもなの。
 
■10月27日 読み人知らず。
 
 今日は貴方の 七回忌だけど
 嘘をつくの 忘れました
 
 
 この散文詩が今回は授賞したそうですよ。ええ、雰囲気は好みですね。どんな意味かって?私の解釈は…あの日から6年も経つのに、弱い私は未だ悲しみに苛まれたまま。貴方が空から見付めているかもしれない命日くらい、嘘でも元気に過ごして心配させないようにしよう。そう決心した、なのに出来なかった。
 
 これが第一印象ですが、穿った見方で反対の想いが込められているようにも思えます。むしろ、言葉の詮索を一切しないのであれば正しいのは…恨んでいた貴方が死んで私は非常に喜ばしいのだけど、可哀相な気もするからせめて命日くらいは悲しんであげましょうね。でも、あれから6年目の今年は遂に、そんな心掛けすら忘れてしまったの。
 
 では、貴方がどう思われたのか聞かせて下さい。
 
 
 以上、今朝の夢でした。夢の中で現実に存在しないであろう文章を読んだり音楽を聞いたりする度、誰が創作したのといつも不思議です。
 
■10月29日 祈るのは大事?
 
 祈るのは案外大事、と日記の題材として数ヶ月前にメモしました。
 
 自分にとって大切な人が不測の事態で離れ離れになってしまった時、無事に帰って来るように祈ったところで絶対に無意味。そう思っていたけど、これは待つ側だけの理屈かもしれない。待たれる側からすれば、無事を祈ってくれる人がいる確証があれば、実に心強いから。心配を掛けたくない、必ず帰ってあげたいと、待つ者と待たれる者が望む最高の結果を成す為の原動力を生み出してくれるはず。
 だから、祈るのは一見無意味だけど大事なのかもしれない。そんな文章を書こうと、メモしていました。
 
 新潟県中越地震の発生後に行方不明になっていた母子三人の救出劇における第一報を聞いた時、この考えを肯定された気持ちになりました。ただ、やがて流れた続報により、数時間で消えてしまったのです。
 
■10月31日 安らかに召されない。
 
 天国。多分無いだろうけどあると仮定して、生前にどんな行いをすればそこに召されるのでしょう。素直に考えれば当然、善き行いのはず。とは言っても、一般的な日常生活では発揮する機会に恵まれず、医師や消防士みたいに人命救助が職業だと有利そう。
 では、医師と消防士は天国行き内定…なんて、単純には決めさせません。地球のキャパシティを超えつつある人類が、この後に及んで貴様は総数削減を邪魔するのかと糾弾されても、不条理ではないでしょうから。地球規模で見れば、資源を食いつくし環境を破壊しまくる人類こそ元凶だし、率先して自らの命を絶つのが勇気ある自己犠牲と評価されるかも。でも、世間では自殺は罪だと戒められており、複雑です。
 
 天国行きか地獄送りか決断を下しているのが、閻魔様なのか正義の女神様なのかも知りませんが、その判断基準を教えないのは不公平だと思います。
 
 
  
■11月2日 キサラギ注意。
 
 今夜の帰り道は珍しく渋滞、と思ったら交通事故が原因。そこで今日は、交通事故の体験談を。
 
 初遭遇は約5年前、強い雨の夜道を自転車で走っていて、街のドブ川に架かる小さな橋を渡って左折する時でした。右手から差し込んできたライトが一瞬で迫って来るのに気付いたら、発光元の原付と激突。もとい、衝突。もとい、接触。ある種、接吻。
 雨の日でお互いが低い速度だったのが幸いし、本当にちょこんと触れた程度でしたが、斜めになった自転車を足で踏ん張ったら要らぬ怪我に繋がりそうで、緩やかに地面へ倒れます。
 
 原付の乗り主は同世代らしき男性で、気が弱そうにおろおろして「大丈夫ですか…!」「申し訳ありません…!」を連発。ほんの小さな痛みすら無いのに、こっちが気の毒になるくらい。
 そもそもこれ、左右確認せずに飛び出したこちらが悪い。ライトに照らされてから接触までのコンマ秒間、やっちゃったって後悔しましたもの。だから、あんまり頭を下げられるのも恐縮で、ちゃっちゃと大丈夫な旨を伝えて別れました。
 
 後日、周りに話したら「連絡先聞かないと!」「お金貰えたんじゃ?」「お人好し過ぎ…」と、散々叩かました。事故より痛い。
 
■11月4日 ヤヨイ注意。
 
 もう1つの交通事故体験談。2年半前、友人の運転する車に同乗していて交差点で右折する際、正面から直進して来たバイクと衝突したのです。今曲がったらあのバイクと当たりそうな…ふむ、この感覚の違いが免許を持っている奴と持ってない奴の差かな、と右折開始から事故発生までの僅かな間に考えていました。
 こちらに怪我人は出なかったものの、相手は入院で車は廃車。そして、友人はヘコみまくり。この集まりは当時不幸真っ只中な如月さんを励ましてくれる体裁だったのに、励ますべき対象が変わったのは言うまでもありません。
 
 後部座席の左側の窓にもたれ掛かりつつ座っていた如月さん、あと少し車の右折が早かったら…?
 
■11月6日 この世で1番不味いもの。
 
 数年前まで頭が良くなりたくて、大塚製薬のネイチャーメイドシリーズでDHAを愛飲していました。DHAとは即ちドコサヘキサエン酸、と小難しい単語を軽々と即答出来るように、その目覚ましい効果を疑う余地はありません。
 いつものように製油入りカプセルと水を口に入れたある日、奇想天外な発想が浮かびます。このカプセルの中身は、どんな味だろう。
 
 グミみたいで甘そうな外見なのに中身は魚の油とは、確かに疑問でこれもDHAが脳に利いている証拠でしょう。カプセルを一粒だけ奥歯に追いやり噛み締めれば、柔らかな殻は難無く潰れ、口内へ中身がぬっとり。
 
 「…@”#〓%&(∀$^*」※♀†∬∝〆!!」
※対訳:腐った牛乳に腐った鰯を擦り潰して腐った油を混入させたような、超神秘的絶景風味!!
 
 体験しないのは人生最大の損失級の凄味です。皆さんも是非真似して下さい、出来るものなら。
 
■11月8日 新古書店に潜む。
 
 新古書店を巡っていてふと思ったのは、単行本の棚に新風舎の本が目立つこと。主要出版社の中に埋もれた状態だから不自然な数ではありませんけど、種類が少なくて冊数だけ多いような。
 こう感じたのって多分、如月さんが所有する新風舎の本が1冊しかないからでしょう。その題名は『グリム童話アーティストブックシリーズ 灰かぶり』で、制作はグルーヴィジョンズ。当然、チャッピーです。
 
 先日、郵便物を整理しました。携帯電話の請求書やクレジットカードの利用明細やDM等、企業の送付物は開封せずに保管してしまうのが癖で、纏めて片付け。もしカードの不正利用なんてされていたら大変なので、真似厳禁です。
 そこには新風舎からのものが幾つもあり、これは以前に出版賞に応募したからでしょう。到着は大半が1年以上前で、放置し過ぎです。整理の前に中身を確認すれば、共同出版の案内や次回の賞の募集要項や出版目録と、予想通りでした。ただ、共同出版されたらしき書籍が1冊入っていたのは、そこまでするんだと驚き。そして、閃きもしました。
 
 もしや、新古書店に新風舎の本が目立つのは、こうして送られてきたものが売られているから…?
 
■11月10日 心街(こころまち)。
 
・CHEERS! (相馬裕子)
 96年発売、購入。FLIP FLAP『FLIP FLAP e.p.』を聞いて彼女の存在が連想され、久々に再生。そしたら、1曲目「私、泣いた。」の前奏で2分間続く緩やかなピアノソロが、書きたい歌詞にぴったり重なってくれました。偶然に感謝。
 
・TODAY-FOREVER-JUST A DAY (cocott)
 99年発売の頂き物。店頭でもネットでも手に入らず、当時の自サイトで嘆いたら、常連さんが買って送って下さった思い出深い品。北欧系ヴィンテージポップの決定版と自称する割に、ヴォーカルも演奏も安っぽいけど、狙いは好みです。
 
 心街(こころまち)を制作中のBGMでした。
 
■11月12日 耳障らない耳触り。
 
 現在深夜1時、激しい雨が降り始めました。ざっぷんざっぷんと強烈な音を巻き散らしながら、絶え間無く降り注いでます。どんな擬音なら現状を表せるか、悩んでしまった程です。
 真夜中に大きな音が響いているのに、耳障りにならないのは不思議。もしこれが同音量のエンジン音や猫の鳴き声なら、腹立ててしまうのに。似たような感覚で、睡眠の際に鼓動が妙に聞こえてくる時がありますけど、あれも落ち着かせてくれるので好きです。煩さに敏感で必ず耳栓して寝る癖に、矛盾してますね。
 
 遠くから、季節外れの雷らしき唸りが。モデムを壊されないよう、コードを引き抜いておきましょう。
 
■11月14日 だんすもんのんぶりる?
 
 DANS MON NOMBRIL.
 
 フランス語で私のおヘソの中。カヒミカリィの初期の曲で人気は低いものの、生涯で最も一番聞いた曲です。毎日の行き帰り中に2回ずつ耳にする日常を数年続けても、まだ聞き飽きません。
 でも、困ったことに曲名の発音が不明。知らないまま、10年も経っています。歌詞に登場しますが何度聞いても文字で捉えられず、だから「カヒミの曲で一番好きなのは?」と訊かれても答えられないのです。
 
 Ma Langue Au Chatがマロンゴシャ、なのはわかります。おフランスは奥が深い。
 
■11月16日 私の名前は如月さん。
 
 今でこそ一人称は「如月さん」で統一してますが、インターネットで活動し始めた頃は試行錯誤していました。
 
 生意気な「俺」を最初に却下し、万能な「私」から始めるも実年齢にそぐわず、無難な「僕」は幼い印象になってしまい、似合わなさそうだけど「ウチ」も試すと、何だか恥ずかしい。結局、可能な限り一人称を用いないことで解決を図ります。
 転換のきっかけは、当時制作していたサイトの新コンテンツに、近況を設けた時。普通に書けば読んでくれる人がいないだろうと、サイト内で扱っていた作家  小林めぐみが著書のあとがきを「あとがき連続青春小説」と銘打って三人称風一人称で綴っていたのにあやかり、真似しました。
 
 これにおける彼女の一人称が「小林さん」で、自分の一人称として「如月さん」を初使用し、定着したのが現状。約半年の苦闘でした。
 
■11月18日 こっち=僕。
 
 前回に続き、一人称の話。幼児期の一人称を思い出すと、記憶を消したくなります。なぜなら「僕」でもなければ「俺」でもなくて、どこでどう転んだのか「こっち」だったから。
 例文は「こっちの家」「こっちもやる」「こっちと遊ぶ?」となります。自分を「僕」や「俺」と称すると羞恥心が強く刺激されたのは、特有でしょうか。そんな生まれながらの恥ずかしがり屋も、成長と共に少しずつ克服してゆき、今では立派な恥知らず。「俺」も「私」も「僕」もへっちゃらです。
 
 当時は「こっちの家に来る?」と友達に訊いたら、不思議そうに「こっちって、どっち?」と返されてしまいました。ごもっとも。
 
■11月20日 出来てたまるもんか。
 
 皆は簡単に出来るのに、自分には出来ないこと。まず思い付くのは…って、その名称を忘れてしまいました。検索で探そうにも、入力すべき単語がわかりません。少し昔に雑誌によく載っていた、2枚並んだ幾何学模様から立体画像が浮び出すってやつです。
 流行中の高校生当時に幾度と挑戦しましたが、尽く返り討ちに。今となっては挑戦の機会も失われ、その立体とやらを体験しない人生になりそう。
 
 あと、指を鳴らせません。普通の人は喜ばしい場面で親指と中指で「パッチーン」と軽快な音を弾けますが、如月さんは「スカ」「パス」「チッ」「グニョ」で、気分が盛り下がります。
 こちらは日常生活で必須技術とされる分、通算で結構な期間を練習に費やしました。独りでの現状打破は無理と悟っては実地訓練で詳しく教えてもらったり、インターネットなる文明の利器を得ては正式な方法を勉強したり。それでも、駄目なものは駄目でした。
 
 出来る人からしたら、出来ないのが理解不能なのでしょうね。どうだ参ったか。
 
■11月22日 善行>悪行だとしても。
 
 誰にも決して追随出来ない神技的な手術の技術を持つ、一人の天才医師がいるとして。今までに数え切れない程の命を救い、これからも数え切れない程の命を救ってゆくと思われる、人類の宝。今日もまた、彼によって救われた命は増えています。
 しかし、彼には恐ろしい裏の顔がありました。自らの快感の為だけに無差別に人々を殺めてしまう、快楽殺人鬼だったのです。生来の性癖は心の底の奥深くに根付き、死ぬまで過ちを重ねてゆくでしょう。今日もまた、彼によって失われた命が増えています。
 
 ここで質問。彼が救った命の数をX、彼が殺めた命の数をYとした時、どんな数値なら罪を許されるのか。ただし「X>Y、Y≧1」とします。
 50人救って10人殺めたでは駄目。100人救って5人殺めたでも無理。1000人救って1人殺めたでも困難。一気に飛ばして、10000人救って1人殺めたなら…それでも、許されそうにありません。
 
 悪行を善行で覆すのは、不可能な程に難しくて。それがほんの些細な物事だとしても、きっと同じ。
 
■11月24日 簡潔なまま完結。
 
 本当は長文で読み応えのある日記にしたいのに、大半は失敗します。理由は明白で、結論をすぐに書きたくて経緯を省きたがるから。小説で例えれば、プロローグや本編より先にエピローグを書くようなものだけど、実際に経験があって救いようがありません。
 
 そして、今回もちっとも長くならずに、こぢんまりと纏まりました。
 
■11月26日 残酷を買います。
 
 動物の生命維持には、相応の残酷を必要とします。多かれ少なかれ、他者の生命を犠牲が必須だから。人間の場合、その必要量は他と桁違いでしょう。
 生命維持で欲求が留まればマシだけど、人間には無理。飢え死にしない程度に腹が満たされていればもっと美味しい食物をたくさん食べたいし、凍えない程度に風雨から守られる住居に住んでいればもっと広くて立派な家に住みたいし、衣服や財産でも同じ。それらの実現には更なる残酷を供給しないと需要に追い付かないけど、なぜか実現してしまうのが今の世界。
 
 要するに、こうやってインターネットに接続可能な環境に存在する自分は、どこかしらで生産された何かしらの残酷によって維持されている。生まれた時に授かった清廉は、誰もが知らず知らずの内に汚れてしまい、清らかでない者の言葉はどんなに内容が清らかだとしても、そうは聞こえません。
 以上を理解した上で、この近代的な生活を捨てたくないと、達観して大人になってゆくものですが。本当に自覚出来ないまま成長し、自分の純真と他人の不純を疑えないような人が、いなければ良いのに。
 
 身近な現実を見る前に遠くの現実を見てしまうのは、現実を利用して作り出した現実逃避。
 
■11月30日 否定を否定してみると。
 
 自分は特別かもしれない、もしくは、自分は普通じゃない。前者は優越感から、後者は劣等感から生まれますが、大きな差異は無いでしょう。
 この感情の寿命はとても短くて。目新しい情報に触れてゆく度に「特別かも」「普通じゃない」と、皆が同じように思い込んでいるとわかるから。残念がったり安心したりして、悩みは再燃しません。
 
 だけど、案外ありますよね。本当に特別だったり、本当に普通じゃなかったり。ずっと当たり前だと信じ込み、疑えないだけで。
 
■12月2日 赤信号に忠実。
 
 良い意味で既成事実を積み重ねるのは、自分の為に大事。ある日うっかり寝坊しても、無遅刻を長らく通していたら「あの人が遅刻とは、よっぽどの事情だろう」と推し量ってくれるし、突発的な怒りで振るってしまった暴力も、普段は穏和で尊敬を集める人柄であれば「あの人が暴力とは、よっぽど相手が悪いのだろう」と解釈してくれそう。
 
 如月さんが信号を頑なに守るのは、既成事実作り。機械の命令に無条件で従うのは莫迦らしいけど、赤信号無視が原因で交通事故に遭遇した時、加害者側でも被害者側でも有利を招いてくれるはず。
 
■12月4日 暗算さえ得意なら。
 
 如月さんは暗算が苦手で、繰り下がりがあったら降参して筆算しないとご破算に至れません。
 
 スーパーの店頭販売でレジを兼任していた昔、この弱点が致命傷でした。多くのお客さんは102円のお買い上げに対して205円のように、お釣りの端数を調整しつつ代金を支払います。これなら単純な引き算なので安心だけど、問題は5円や50円単位での調整。157円のお買い上げに212円のお支払いで、お釣りの10円玉4枚と1円玉3枚を50円玉1枚と5円玉1枚に化けさせる方です。
 暗算が苦手な者には意図が見透かせず、金額の入力中は半信半疑。そして、お釣りの端数が5になったレジスターの表示を見て初めて、こっそり「流石はお客さん、頭冴えてる!」と思っていたのです。
 
 でも、計算をミスしてしまうお茶目さんもいらっしゃって。大量の小銭を受け取る羽目になったお客さんと、それを指摘出来なかった自分との間に流れる気まずい空気たるや。
 
 そんな経験があって如月さん、お釣りに対して小細工は不要派。失敗時の恥ずかしさを考えれば、財布の小銭の重みなんてどうってことありません。
 
■12月6日 実感する難しさ。
 
 一片の狂いも無い確実な情報で「明日に世界は滅亡」と伝えられたなら、世界中の人々はどんな行動を起こすでしょう。きっと、取り乱すどころの騒ぎでは治まらず、私利私欲の渦巻く凄まじい地獄絵がそこかしこで描かれるはず。
 でも、これが「10年後に世界は滅亡」なら、普通の生活を続ける人が多そう。そんな先のことより今は、夕食の献立の方が悩みだって風に。
 
 この心模様、現在の自分のそれと似ています。
 
■12月8日 猫舌ぶってる。
 
 例年なら寒さとの再会を喜ぶ時期にも拘らず、既に電気ストーブのお世話になりたい。気象情報では暖冬傾向だなんて言っているのに、こんな調子じゃ如月越冬隊の名が廃れてしまいます。寒さに強い体質が変わったとか、秋から改善すべき肌の湿疹が未だ不安定なのが予兆だったとか、不安は尽きません。
 
 以上、アイスコーヒーやアイスティーやアイスココアを飲みながら。
 
■12月10日 ひたすら善い子。
 
 性格の善い人は善い故に悪い人の振りは出来ないけど、性格の悪い人は悪い故に善い人の振りが出来るはず。だから、世の中には悪い人より善い人の方が多いと感じられるのでは。
 大抵の犯罪者に対して近隣住人が「まさかあの人が」と反応するのは、多分これが原因。善い人の振りをしていた悪い人は犯罪を起こしてもおかしくなくて、善い人の振りすらしない悪い人は悪さの程度が低いので犯罪を起こすには至らず、悪い人の振りの出来ない善い人は犯罪を起こさないと。
 
 理屈っぽい文章になってしまいました。
 
■12月12日 高熱トリッパー。
 
 前の木曜日から、咳とくしゃみと頭痛に攻撃されていました。風邪もどきの症状は毎年のように患うも、今は高熱で意識もぼんやりしており、数年振りの本格派到来です。
 この時期はやはり、インフルエンザが怖い。ここ10年の病歴を振り返れば、1回は確実で疑わしきも3回ありました。どれも40度超の熱に浮かされて幻影が見えちゃうわ、喉が壊れて声は出ないし食事も困難だわで、散々な目に合わされてます。調子が悪くなる→でも年末は忙しくて休めない→無理する→無理出来る程に体が強くない→虫の息と、こんな自己中心的な強がりの連鎖で周囲に迷惑を掛けたことも幾度か。
 
 ところで、発熱が40度に及ぶと苦しみが薄れて、気持ち良かったりしませんか。蛍光灯を天使みたいな小さな生き物が飛び回ってたり、己をゲームソフトの開発者だと思い込んで締切に追われている妄想に取り憑かれたりと、危険な香りがします。
 
■12月14日 理想主義者義主実現。
 
 よく「夢見がち・理想主義者」と言われては、うんうんと頷いていました。自覚してますもの。よく「冷めてる・現実主義者」と言われては、うんうんと頷いていました。自覚してますもの。
 前者は異性から、後者は同性からの指摘ばかりでした。つまり、相手に応じて態度を使い分けている。本音とか嘘とか明確に分けられるものではなくて、両方の側面を合わせ持っているからだと解釈してます。
 
 現実的な理想主義者か、理想的な現実主義者か、どちらかだと思います。
 
■12月16日 机ベッド化。
 
 寝付きの悪さは生まれながらで、1時間程度なら慣れっこだけど。意識がやけに冴えてたり体があまりに疲れてたりで普段以上に眠れない時は、寝床のソファーから勉強机に移動します。
 
 寝心地は比べるまでもありません。だけど、椅子に腰を軽く掛けて、手首の辺りで重ね合った腕で即席のお手製枕を作り、顔を伏せて額を乗せると、不思議とさっきまで盛んだった睡眠妨害が落ち着きます。
 机の表面から肌にほんのり伝わる冷たさが気持ち良いのと、若かれし頃はここで過ごす時間が異常に多かったことに原因がありそう。ひたすら勉強に励んでいた訳ではもちろんなくて、自宅にそこにしか自分の居場所が無い期間が長くて。言わば「ライナスの安心毛布」みたいな存在で、愛着が有り余っていつまでも捨てられません。
 
 ただ起床後、体中に鈍い痛みを発生させちゃうのが玉にキズ。眠れぬ者を夢に誘ってくれる優しさは持っていても、寝違えの面倒までは診てくれないのです。
 
■12月18日 その日を夢見ても無理。
 
 頑張っても使い切れない物や、使う当てが皆無な物を所有し続けるのは、心地が悪い。無いと困る消耗品だけど消費速度が極めて低く、過剰に保管されている物。絆創膏が10箱とか、ノートが50冊とか、絵葉書が100枚とか、引き出しにあったら処分したいやら惜しいやらで、胸がむずむずしませんか。
 
 上のは想像だけど実際に1つあって、それはサーバーの使用領域。このサイト上のファイルの総容量は一般的なサイトより非常に控えめな約1.5Mbyteで、利用中の米ジオの可能使用領域は15Mbyteと、実に10倍です。2年を費やして定期的に更新しても全然減らず、むずむず。
 
 更新ツールのファイルマネージャで数値を見せられる度、遠くに視線が移ります。
 
■12月20日 知識の差は紙一重。
 
 知識の差は紙一重。自分だけ知っていたからと言って自慢する程のことでもなければ、自分だけ知らなかったからと言って卑下する程のことでもない。
 
 何にせよ知識を得るには、時間と媒体が必要。同じ時間に同じ媒体に触れていた人は同じ知識が与えられ、同じ時間に違う媒体に触れていた人には違う知識が与えられる。誰かが新聞を読んで知識を得ている時、別の誰かはテレビを見て別の知識を得ていて、更に別の誰かは友人と会話してまた別の知識を得ていて、以下繰り返し。
 時として「どうしてそんなことも知らないの?」「どうしてそんなことまで知ってるの?」と思うこと、思われることがあるけれど。それは同じ時間に触れていた媒体の違いで生まれた差でしかないのかもって、思いたいし思われもしたい。
 
 知識の差は紙一重。自分だけ知っていたからと言って見下せる程のことでもなければ、自分だけ知らなかったからと言って見上げる程のことでもない。
 
■12月22日 好きより嫌い。
 
 好みの音楽は女性ヴォーカルが大半です。収納棚の約150枚のCDを見ても、カラオケで唄う用の一部しか男性はいません。
 あらゆる虫が苦手です。嫌いと言うより、気持ち悪いと言うより、本能から生じる恐怖。嫌われ者な害虫の類は当然、大人気のカブトムシやクワガタも勘弁願いたい程の重症で、夏は拷問の季節と化します。
 小さい頃に卵白アレルギーがありました。卵黄より卵白派を名乗っていたのに、不可抗力で好物が食べられないのは酷です。
  
 上から個人的趣向・生理的嫌悪感・身体的拒否反応で、どれも似たような好き嫌いの話題だけど理由は色々。そしてこの境目は、時として曖昧になります。例えば、人付き合いを避けたいとして。それは個人的趣向で嫌いなだけなのか、生理的嫌悪感があって仕方無いのか、身体的拒否反応で絶対に受け付けないのか、当人すら理由を判断するのは難しいでしょう。
 
 特に最後の理由の場合、本音で好きだとしても止む無く嫌わなければなりませんね。
 
■12月24日 サンタのいない過去。
 
 サンタクロースを信じていた時期が皆無なのは、どうやら普通ではないみたい。幼少期から現実と空想の境界線を認識しており、例えば特撮物のステージを観ても、あれはコスチュームを着た役者が台本通りに演じているだけで、中身もテレビの人と違うんだろうなと思っていました。
 
 子供たちに贈り物を届ける為にトナカイと共に聖夜の夜空を舞う白髭のお爺さんの存在を、ほんの短い期間でも信じられる環境で育てた人は、少し羨ましい。
 
■12月26日 M-1グランプリ放送前。
 
 昨年の感想もどうぞ。東京ダイナマイト・トータルテンボス・タカアンドトシは初耳なのでパスします。
 
 
・アンタッチャブル
 前回はよもやの最終決戦進出で会場ウケも1番と大活躍し、昨年における笑い飯の位置にいます。爆発力には欠ける印象で、流石に優勝は難しいか。
 
・千鳥
 前回は彼らを酷評したものの、この1年間に見た幾つかのネタには笑わされることも多々あり、実は期待してます。時事的にもぴったりなお札ネタ  伊藤博文連発で一気に攻めて欲しい。
 
・南海キャンディーズ
 基本的に出オチで、吉本興業の安田大サーカスだと思う。山ちゃんもしずちゃんもキャラクターは面白いけど、それがネタにあまり反映されていない弱点があります。ゴールデンタイムのM-1より、真夜中のオールザッツ漫才で笑いたいコンビ。
 
・POISON GIRL BAND
 数回しか見掛けてませんが、脱力したまま延々と続くネタは好みでした。師匠方の劣化コピーばかりで没個性な関西の若手勢も、この姿勢を見習って欲しい。
 
・笑い飯
 優勝候補だけど、千鳥と反対にM-1以外で輝きが曇っているのが心配。出し惜しみかもしれませんが、洗練されていない車ネタや学生服ネタだと危ういかも。
 
 
 結果を受けての感想は、また後日に。
 
■12月28日 M-1グランプリ放送後。
 
 今年のM-1グランプリの感想。自覚はありませんが如月さん、ゲラだそうです。
 
 
・千鳥
 去年に続いての1番手が気の毒とは言え、他の賞レースで大ウケしたネタを持っているのに、敢えて違う角度から攻めて外したのが非常に残念。65点。
 
・タカアンドトシ
 普通に上手な漫才、良くも悪くも。言い回しや口調が肌に合わなくて最初は口元が緩まなかった反面、所々の仕掛けには反応しました。70点。
 
・東京ダイナマイト
 ツッコミの語彙が少なくて笑いが繋がらないのと、ボケのキャラクターが不統一で狙いが定まらないのが辛い。発声の悪さや運転手と乗客の位置関係を考えていない等、技術も駄目。掴みからコント調に移るまでは面白かったです。60点
 
・トータルテンボス
 何かにつけて、最低限想像して欲しいことがあります。お笑いの世界も例外でなく、気安く使っちゃいけない言葉や題材が存在しやしませんか。30点。
 
・南海キャンディーズ
 手術ネタでは最終決戦進出は無理、と独白したのは内緒にしたい。複数回見たネタなのに、体から新鮮な笑いがこみ上がったのです。しずちゃんの火を恐がるサイが生き生きとしていたのと、山ちゃんの多種多様なツッコミが全部ウケてたのが印象的。80点。
 
・POISON GIRL BAND
 如月さんのような中日ドラゴンズファンに的を絞った、勇気あり過ぎなネタ。突拍子の無いボケに冷静沈着なツッコミが追随して軌道修正させてゆく様は、良い意味で遥か昔のよゐこのようでした。75点。
 
・笑い飯
 不安的中。ネタ選びもネタ運びも投げやりらしき気配が、画面から伝わる程。大した笑いを起こせないまま長々と粘る姿は信じられない醜態で、笑う準備をしていたのに全然笑えませんでした。68点。
 
・アンタッチャブル
 面白いより先に上手だと思わさせるのこそ、彼らの実力なのでしょうね。期待以上は出さなくても、期待通りを出してくれれば十分です。82点。
 
 
 敗者復活と最終決戦は後日に。
 
■12月30日 M-1グランプリ最終決戦。
 
 前回の続き。敗者復活はザ・プラン9もしくは安田大サーカスもしくはジャリズムもしくは麒麟だと思っており、笑い飯の敗北に続き予想的中です。
 
 
・麒麟
 第33回上方お笑い大賞で、笑い飯と千鳥を破って最優秀新人賞を獲得。そっちで準決勝で敗れてしまったM-1での雪辱を果たしつつ、こっちでも敗者復活にのし上がって来るのだから勢いがあります。全体的に得点が伸び悩んでいる状況から安全策として無難なネタを選んだようで物足りなさもありますが、笑いの数は去年と比べて雲泥の差でした。75点。
 
 以上で決勝終了、アンタッチャブルと麒麟と南海キャンディーズが勝ち抜けました。
 
 
・アンタッチャブル
 ネタの取捨選択で失敗するコンビの多い中、何をやっても最低限の面白さが保証されているのが凄い。ただ、そこかしこで連発される小ボケと小ツッコミのすべり率が少し高いのが気になりました。余分は削ぎ落として、質を上げて欲しいですね。78点。
 
・麒麟
 100キロマラソンは前述の最優秀新人賞獲得のネタで、これを後出ししたところに彼らの本気さが見えました。咄嗟に田村が声にした魂の叫び「頑張れ俺たち!」は、今回のM-1で最大の笑い。いやいや、頑張り過ぎです。80点。
 
・南海キャンディーズ
 大女の大砲が直撃するも、その後は右肩下がり。2人のキャラクターは安直に貶めるより、強引に持ち上げる方が面白いのでは。75点。
 
 
 優勝はアンタッチャブル。ふるいに掛けられて他のコンビはあっさり脱落するも、最後まで余裕で残ったのが彼らだった印象です。以上、優勝予想メールを千鳥で応募した奴の感想でした。見事に最下位的中。
 
 
 
⇒目次 ⇒2003年 ⇒2005年 ⇒表紙